2007/07/05(木)
ここ数日、いやここ何ヶ月か、俗にいう睡眠障害の症状がある。
睡眠障害には3種類ほどあるらしく、
眠れない、何度も起きる、早朝覚醒が主なものだが、
確実に最後の早朝覚醒が当てはまっている。
よく寝たと思って目を覚ますと、
時計は布団に入ってからまだ1時間半しか経っていない。
再び寝ても、3時半、5時半、6時半と目が覚める。
そして7時以降は15分刻みで目が覚めてしまう。
確かに12時過ぎに寝て8時半に起きる生活は寝過ぎと言えば寝過ぎだ。
これまでこんなに毎日8時間も寝ていたことがない。
そしてそれが癖にならないよう注意して起床することを心がけている。
社会復帰すると9時から会社で寝るのは12時過ぎ、
つまり7時間以下が求めれられる。
なかなか対応できないのは経験上知っているので、
今から対応しておく訓練だ。
しかしながら今日の夢は強烈だった。
僕はテレビ番組のスーパーを生放送で送出する業務に着いていた。
しかし何度も失敗し、
見るに見かねた同僚が、「僕やりますから」と言って、
その仕事を奪ってしまったという夢を朝の6時に見てからというもの、
心臓の鼓動が激しくなり、全く眠ることが出来なくなってしまった。
そのまま8時まで何とか布団の中にいて、重い頭のまま起床したが、
やはり精神的なダメージは計り知れず、
すっかり暗い気持ちになっていた。
この気分は以前、不安の薬を飲む前に感じていたものに近く、
胸の奥から何だか重たい空気がこみあげてくるような、重苦しい気分。
居ても立ってもいられなくなってしまう。
この世に自分が必要ない気分になり、
一人でいると何だか不安で不安で仕方がない。
そんなわけで今日は一人では絶対にいられないと判断した。
彼女が11時に出勤した直後、昼食のパンを持参して、
いきなり実家に向かった。実家には化粧前の母がいて、
多くの親類等からの電話に悩殺されていた。
僕が来るのはもうわかっていたような様子で、驚きもしない。
「あんたはお客さんじゃないから」ということだった。
以前なら1ヶ月に1回訪れる程度だった実家が、
最近は週に2、3回は訪れている。
甘えていることは自分でもよくわかっている。
ただここしか逃げる場所は僕にはなかった。
逃げる場所がまったくない人もいることはわかっている。
僕の彼女もそうだろう。
田舎から遠く離れた都会でたった一人で不安の中、暮らしている人々。
彼らが抱え込んでいる巨大な闇は想像できないが、
僕はやはりまだマシな方で、こうやって心配してくれる人が身近に、
それも自転車で5分ほどの所にいてくれるのは
この上ない幸福だと思うし、感謝もしている。嫌な顔一つせずに、
軽口で迎えてくれる家族がいることはありがたいと思っている。
でも本来はこんな風に実家にいても何も状況は変わらないし、
もっと僕は強く激しく生きなければならないはずだ。
多くの人に会ったり、職を探したり、もっと真剣に生きなければ。
そういう意味では頭ではわかっていても行動に移せない僕の弱さが
露呈されているのだけれども、
いつの日かそれを克服しなければ明るい未来はないのだろう。
明るい未来が本当にあるかないかすらもうわからないが。
実家で母とまた他愛もない会話をした。
母もどちらかというと苦労知らずの人生を歩んできたので、
話すことにそれほどリアリティや厚みはない。
話す内容も過去をふりかえることばかりで、
「どうして辞めてしまったの?」が一番多く登場する言葉だ。
それでも一人でいて、ノイローゼになってしまうよりはマシだった。
それだけ僕は孤独を恐れているのだろう。
こんなに恐いものだとは本当に知らなかった。
過去に自分が詩集の中で、孤独はそんなに恐いものではない、
と記していたことが信じられない。
本当にそれを経験していないからこそ書けたのだ。
そういう意味でも自分を否定し、
今までの自分を哀れんでもいる自分が嫌になってくる。
自分はそれほど大した人間ではないことがよくわかったが、
それでも少しは普通の人よりは才能や感性があると思っていた。
ところがそれはまるでないことが今目の前で明らかになっている。
そういう現実に押しつぶされているのが今の僕だ。
多くの文才たちが自ら命を絶っているのも、
おそらく自分が書いたものを自分が越えられなかったからだ。
自分が書いたことを自分が実践できず、
その自己矛盾に苛まれていたのだ。
そういう気持ちが痛い程よくわかる。
母との会話はどこにも向かっていないし、
何の解決にもならないことはわかっていた。
でも僕には避難する必要があった。
そのために実家を利用していることに何ら悪気はない。
ただ申し訳ないとは思う。
そしてその申し訳なさが多くの人を自死に追いやっているのだろう。
途中で一度来週に予定されている撮影の件で携帯でやりとりした。
パンを食べ、安売りのチラシを片手に母と車で買い物に出かけた。
そうこうしているうちにもう5時になり、甥をまた迎えに行く。
今日、甥は動物園へ遠足に行っていた。
顔を真っ黒にしながら甥は疲れているように見えた。
それでも僕が迎えにきたことが嬉しかったらしく、
帰宅しても一緒に遊んで欲しいとせがんだ。
だんだん自分の子供のように思えてくるから不思議なものだ。
やはり接している時間が長ければ長いほど、
情がうつるものなのだろうか。
6時過ぎに疲れて帰宅した妹が、チャーハンを作ってくれたので、
またまたごちそうになった。
ゲームをしてスイカを食べて、午後9時に帰宅した。
帰宅しても何もする気が起きなかった。
彼女が帰宅しても居間で横になったままだった。
おまけに腹痛までし出した。激しく下痢をした。
状況は日々悪くなっているようだった。
もう僕は正常な会社にはきっと勤められない気がした。
心身のスタミナが確実に不足してしまっていた。
眠くて眠くて仕方がなかった。今日一日何もしていないのに。
母と話していただけなのに。
それで疲れてしまっている男が社会で通用するはずがない。
これは気分の問題だけじゃないような気がし始めていた。
僕は確実にひとつのレースに負けて、
今、もっとランクの低いところに行こうとしていた。
それでも構わないと思える自分がいた。12時前に一人で寝てしまった。
ものすごく深い眠りだった。
睡眠障害には3種類ほどあるらしく、
眠れない、何度も起きる、早朝覚醒が主なものだが、
確実に最後の早朝覚醒が当てはまっている。
よく寝たと思って目を覚ますと、
時計は布団に入ってからまだ1時間半しか経っていない。
再び寝ても、3時半、5時半、6時半と目が覚める。
そして7時以降は15分刻みで目が覚めてしまう。
確かに12時過ぎに寝て8時半に起きる生活は寝過ぎと言えば寝過ぎだ。
これまでこんなに毎日8時間も寝ていたことがない。
そしてそれが癖にならないよう注意して起床することを心がけている。
社会復帰すると9時から会社で寝るのは12時過ぎ、
つまり7時間以下が求めれられる。
なかなか対応できないのは経験上知っているので、
今から対応しておく訓練だ。
しかしながら今日の夢は強烈だった。
僕はテレビ番組のスーパーを生放送で送出する業務に着いていた。
しかし何度も失敗し、
見るに見かねた同僚が、「僕やりますから」と言って、
その仕事を奪ってしまったという夢を朝の6時に見てからというもの、
心臓の鼓動が激しくなり、全く眠ることが出来なくなってしまった。
そのまま8時まで何とか布団の中にいて、重い頭のまま起床したが、
やはり精神的なダメージは計り知れず、
すっかり暗い気持ちになっていた。
この気分は以前、不安の薬を飲む前に感じていたものに近く、
胸の奥から何だか重たい空気がこみあげてくるような、重苦しい気分。
居ても立ってもいられなくなってしまう。
この世に自分が必要ない気分になり、
一人でいると何だか不安で不安で仕方がない。
そんなわけで今日は一人では絶対にいられないと判断した。
彼女が11時に出勤した直後、昼食のパンを持参して、
いきなり実家に向かった。実家には化粧前の母がいて、
多くの親類等からの電話に悩殺されていた。
僕が来るのはもうわかっていたような様子で、驚きもしない。
「あんたはお客さんじゃないから」ということだった。
以前なら1ヶ月に1回訪れる程度だった実家が、
最近は週に2、3回は訪れている。
甘えていることは自分でもよくわかっている。
ただここしか逃げる場所は僕にはなかった。
逃げる場所がまったくない人もいることはわかっている。
僕の彼女もそうだろう。
田舎から遠く離れた都会でたった一人で不安の中、暮らしている人々。
彼らが抱え込んでいる巨大な闇は想像できないが、
僕はやはりまだマシな方で、こうやって心配してくれる人が身近に、
それも自転車で5分ほどの所にいてくれるのは
この上ない幸福だと思うし、感謝もしている。嫌な顔一つせずに、
軽口で迎えてくれる家族がいることはありがたいと思っている。
でも本来はこんな風に実家にいても何も状況は変わらないし、
もっと僕は強く激しく生きなければならないはずだ。
多くの人に会ったり、職を探したり、もっと真剣に生きなければ。
そういう意味では頭ではわかっていても行動に移せない僕の弱さが
露呈されているのだけれども、
いつの日かそれを克服しなければ明るい未来はないのだろう。
明るい未来が本当にあるかないかすらもうわからないが。
実家で母とまた他愛もない会話をした。
母もどちらかというと苦労知らずの人生を歩んできたので、
話すことにそれほどリアリティや厚みはない。
話す内容も過去をふりかえることばかりで、
「どうして辞めてしまったの?」が一番多く登場する言葉だ。
それでも一人でいて、ノイローゼになってしまうよりはマシだった。
それだけ僕は孤独を恐れているのだろう。
こんなに恐いものだとは本当に知らなかった。
過去に自分が詩集の中で、孤独はそんなに恐いものではない、
と記していたことが信じられない。
本当にそれを経験していないからこそ書けたのだ。
そういう意味でも自分を否定し、
今までの自分を哀れんでもいる自分が嫌になってくる。
自分はそれほど大した人間ではないことがよくわかったが、
それでも少しは普通の人よりは才能や感性があると思っていた。
ところがそれはまるでないことが今目の前で明らかになっている。
そういう現実に押しつぶされているのが今の僕だ。
多くの文才たちが自ら命を絶っているのも、
おそらく自分が書いたものを自分が越えられなかったからだ。
自分が書いたことを自分が実践できず、
その自己矛盾に苛まれていたのだ。
そういう気持ちが痛い程よくわかる。
母との会話はどこにも向かっていないし、
何の解決にもならないことはわかっていた。
でも僕には避難する必要があった。
そのために実家を利用していることに何ら悪気はない。
ただ申し訳ないとは思う。
そしてその申し訳なさが多くの人を自死に追いやっているのだろう。
途中で一度来週に予定されている撮影の件で携帯でやりとりした。
パンを食べ、安売りのチラシを片手に母と車で買い物に出かけた。
そうこうしているうちにもう5時になり、甥をまた迎えに行く。
今日、甥は動物園へ遠足に行っていた。
顔を真っ黒にしながら甥は疲れているように見えた。
それでも僕が迎えにきたことが嬉しかったらしく、
帰宅しても一緒に遊んで欲しいとせがんだ。
だんだん自分の子供のように思えてくるから不思議なものだ。
やはり接している時間が長ければ長いほど、
情がうつるものなのだろうか。
6時過ぎに疲れて帰宅した妹が、チャーハンを作ってくれたので、
またまたごちそうになった。
ゲームをしてスイカを食べて、午後9時に帰宅した。
帰宅しても何もする気が起きなかった。
彼女が帰宅しても居間で横になったままだった。
おまけに腹痛までし出した。激しく下痢をした。
状況は日々悪くなっているようだった。
もう僕は正常な会社にはきっと勤められない気がした。
心身のスタミナが確実に不足してしまっていた。
眠くて眠くて仕方がなかった。今日一日何もしていないのに。
母と話していただけなのに。
それで疲れてしまっている男が社会で通用するはずがない。
これは気分の問題だけじゃないような気がし始めていた。
僕は確実にひとつのレースに負けて、
今、もっとランクの低いところに行こうとしていた。
それでも構わないと思える自分がいた。12時前に一人で寝てしまった。
ものすごく深い眠りだった。
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