2007/08/23(木)
朝、何度も目覚めてしまうのはもう慣れてしまった。
薬を飲んでもそれは確実にやってくるのだから、
もうこれとうまく折り合いをつけていくしかない。
でも今朝は薬を飲んで寝ていないにも関わらず、
何だか頭が重く、嫌な感じの朝だった。
何もしたくないし、事実、何もすることはない。
月曜と火曜に新会社へ行き、疲弊だけして状況は振り出しに戻り、
水曜は何も考えないようにして、
ひたすらここ数日に起こったことを記録して終始した。
よって今朝がまた新たなスタートの初日になるわけだし、
再び孤独の開始も同時に意味していて、
何となく起きてからずっと憂鬱な気分ではあった。
何とはなしにこれまでの軌跡を振返ってみたくなり、
5月からのブログを読み返してみた。
ああ、こうだったなぁ、と懐かしい感慨にも耽りながら、
状況的には全く前進しておらず、また戻って来てしまったような気が
重く心にのしかかった。
かえって精神状態が悪い分、マイナスからのスタートか。
僕はもう今までの業界での再出発を諦めた。
それは主に体力的な面からの判断だ。
僕には人より体力がないし、ここ4年ばかりは現場から離れていた。
このブランクは大きい。
しばらく自らのブログを読んでいると、
いきなり目から涙が流れて来た。詳しい理由はわからない。
もしかしたらまた振り出しに戻ったことが悔しかったかもしれないし、
もう何をやってもダメなんじゃないかという
諦観のようなものがもたらしたのかもしれない。
とにかく何だか泣いていた。
彼女が出勤する直前の出来事で、
ひとしきり泣きじゃくる僕に出がけの彼女は優しく慰めてくれた。
「焦るんじゃない」「私はずっとここにいるから」
それを聞くとますます涙が止まらなくなった。
最近の僕の傾向は、人の暖かさや優しさに触れると泣いてしまうのだ。
彼女は時間が来たので出社。
僕はまだ一人で居間で泣きじゃくっていた。
どうして泣いているのかがわからなかったので、
理由や気分をPCに打ち込んでみた。様々な言葉が並んだ。
どうしても一人ではいられそうになかったので、
11時過ぎに母の携帯に電話してみた。母は在宅だと言う。
「遊びに来なさい」という母の優しい言葉に僕はまた泣き出した。
それを聞いて、電話を切った後、何と母が僕の家にやってきてくれた。
かなり心配していたのだろう。あまりにも早い到着で驚いた。
さらには母からの要請で、勤務中の妹までが飛んで来た。
どうやら父にも連絡したようだが、父は地方でゴルフ中だった。
それにしてもいやはやもう一大事だ。
そしてそういう気持ちがますます僕を涙もろくさせた。
しかし妹だけは真剣に僕にすぐに診てもらえる精神科に行くよう、
強く説得していた。かなり末期的症状だと思ったのだろう。
僕は何となく一時的なもののような気がしていたので、
泣きながらも断り続けた。
1時になり、妹は仕事に戻っていった。
僕は大丈夫を連呼して、少し平静を取り戻していた。
母が居間に残ってくれたので、いろいろな話をした。
突然お腹がすいてきたので、昨晩の残りを一人で食べた。
3時に母と実家に移動した。
実はもう実家の方が落ち着くし、居心地がいい。
正直、ここに住ませてもらいたいくらいだ。
また母といろいろな話をして、5時に甥を迎えに行き、
少し精神的に辛かったが、ポケモンのぬいぐるみで遊んだ。
妹が帰宅し、夕食をまた作ってくれてご馳走になった。
今日は特別においしかった。
9時に自宅に歩いて帰宅して、妹からの宿題を始めた。
彼女が元気に10時に帰宅し、バラエティを見終わったのは12時。
またしばらく彼女のピロートークに付き合い、就寝した。
僕はおそらくまた同じ道を歩くことに
一瞬ひるんでしまったんだと思う。
再スタートしようとしたところ、ちょっと足が重かったような。
これからは自分が最低限できる仕事を中心に探すことにしたが、
周囲の女性達は口を揃えて、僕のことを差してこう言う。
「真面目過ぎる」「考え過ぎる」「いつも緊張している」
「リラックスすればいいのに」「もっと遊べばいいのに」
それができればすぐにでもしたいし、性格だって変えたい。
そしてそうしようと心がけて、少しは変わっている。
現にCDは買わないし、悪態は全くつかないし、
人間を見る際にも包容力は限りなく大きくなったはずだ。
しかしそれは再就職に直結しないスキルであり、
現実にはそれは仕事にはならないから困ってしまう。
薬を飲んでもそれは確実にやってくるのだから、
もうこれとうまく折り合いをつけていくしかない。
でも今朝は薬を飲んで寝ていないにも関わらず、
何だか頭が重く、嫌な感じの朝だった。
何もしたくないし、事実、何もすることはない。
月曜と火曜に新会社へ行き、疲弊だけして状況は振り出しに戻り、
水曜は何も考えないようにして、
ひたすらここ数日に起こったことを記録して終始した。
よって今朝がまた新たなスタートの初日になるわけだし、
再び孤独の開始も同時に意味していて、
何となく起きてからずっと憂鬱な気分ではあった。
何とはなしにこれまでの軌跡を振返ってみたくなり、
5月からのブログを読み返してみた。
ああ、こうだったなぁ、と懐かしい感慨にも耽りながら、
状況的には全く前進しておらず、また戻って来てしまったような気が
重く心にのしかかった。
かえって精神状態が悪い分、マイナスからのスタートか。
僕はもう今までの業界での再出発を諦めた。
それは主に体力的な面からの判断だ。
僕には人より体力がないし、ここ4年ばかりは現場から離れていた。
このブランクは大きい。
しばらく自らのブログを読んでいると、
いきなり目から涙が流れて来た。詳しい理由はわからない。
もしかしたらまた振り出しに戻ったことが悔しかったかもしれないし、
もう何をやってもダメなんじゃないかという
諦観のようなものがもたらしたのかもしれない。
とにかく何だか泣いていた。
彼女が出勤する直前の出来事で、
ひとしきり泣きじゃくる僕に出がけの彼女は優しく慰めてくれた。
「焦るんじゃない」「私はずっとここにいるから」
それを聞くとますます涙が止まらなくなった。
最近の僕の傾向は、人の暖かさや優しさに触れると泣いてしまうのだ。
彼女は時間が来たので出社。
僕はまだ一人で居間で泣きじゃくっていた。
どうして泣いているのかがわからなかったので、
理由や気分をPCに打ち込んでみた。様々な言葉が並んだ。
どうしても一人ではいられそうになかったので、
11時過ぎに母の携帯に電話してみた。母は在宅だと言う。
「遊びに来なさい」という母の優しい言葉に僕はまた泣き出した。
それを聞いて、電話を切った後、何と母が僕の家にやってきてくれた。
かなり心配していたのだろう。あまりにも早い到着で驚いた。
さらには母からの要請で、勤務中の妹までが飛んで来た。
どうやら父にも連絡したようだが、父は地方でゴルフ中だった。
それにしてもいやはやもう一大事だ。
そしてそういう気持ちがますます僕を涙もろくさせた。
しかし妹だけは真剣に僕にすぐに診てもらえる精神科に行くよう、
強く説得していた。かなり末期的症状だと思ったのだろう。
僕は何となく一時的なもののような気がしていたので、
泣きながらも断り続けた。
1時になり、妹は仕事に戻っていった。
僕は大丈夫を連呼して、少し平静を取り戻していた。
母が居間に残ってくれたので、いろいろな話をした。
突然お腹がすいてきたので、昨晩の残りを一人で食べた。
3時に母と実家に移動した。
実はもう実家の方が落ち着くし、居心地がいい。
正直、ここに住ませてもらいたいくらいだ。
また母といろいろな話をして、5時に甥を迎えに行き、
少し精神的に辛かったが、ポケモンのぬいぐるみで遊んだ。
妹が帰宅し、夕食をまた作ってくれてご馳走になった。
今日は特別においしかった。
9時に自宅に歩いて帰宅して、妹からの宿題を始めた。
彼女が元気に10時に帰宅し、バラエティを見終わったのは12時。
またしばらく彼女のピロートークに付き合い、就寝した。
僕はおそらくまた同じ道を歩くことに
一瞬ひるんでしまったんだと思う。
再スタートしようとしたところ、ちょっと足が重かったような。
これからは自分が最低限できる仕事を中心に探すことにしたが、
周囲の女性達は口を揃えて、僕のことを差してこう言う。
「真面目過ぎる」「考え過ぎる」「いつも緊張している」
「リラックスすればいいのに」「もっと遊べばいいのに」
それができればすぐにでもしたいし、性格だって変えたい。
そしてそうしようと心がけて、少しは変わっている。
現にCDは買わないし、悪態は全くつかないし、
人間を見る際にも包容力は限りなく大きくなったはずだ。
しかしそれは再就職に直結しないスキルであり、
現実にはそれは仕事にはならないから困ってしまう。
mux2
SIVASENさん
コメント、ありがとうございます。
業界といえば業界かもしれませんが、ちょっとズレていますね。
王道ではないです。そこに約20年勤め、課長にまでなりました。
ただズレているので、転職後、潰しがきかず困っていましたが、
一社だけ僕のキャリアを買ってくれて内定をもらったんです。
ところが僕は前日のオリエンテーションであえなく白旗。
どう考えても43歳の身に早朝からの15時間労働は無理でした。
でもこの業界ではそれが常です。
ですからこれからは違う職種に挑戦しようと一気に方向転換しました。
SIVASENさんには「神道」がいつも傍にあり、羨ましい限りです。
先日、占いに行ってみようと真剣に考えましたが、
いまだ行ってはいません。
どこかにまだ妙なプライドがあるんでしょうね。
SIVASENさんとは、きっと似たような境遇にあると思います。
ただ私は家庭を持っていない分、まだ身軽ですね。
でもその分、孤独と焦りと、毎日戦っています。
お互いの春が早く来るといいですね!
コメント、ありがとうございます。
業界といえば業界かもしれませんが、ちょっとズレていますね。
王道ではないです。そこに約20年勤め、課長にまでなりました。
ただズレているので、転職後、潰しがきかず困っていましたが、
一社だけ僕のキャリアを買ってくれて内定をもらったんです。
ところが僕は前日のオリエンテーションであえなく白旗。
どう考えても43歳の身に早朝からの15時間労働は無理でした。
でもこの業界ではそれが常です。
ですからこれからは違う職種に挑戦しようと一気に方向転換しました。
SIVASENさんには「神道」がいつも傍にあり、羨ましい限りです。
先日、占いに行ってみようと真剣に考えましたが、
いまだ行ってはいません。
どこかにまだ妙なプライドがあるんでしょうね。
SIVASENさんとは、きっと似たような境遇にあると思います。
ただ私は家庭を持っていない分、まだ身軽ですね。
でもその分、孤独と焦りと、毎日戦っています。
お互いの春が早く来るといいですね!
SIVASEN
mux2さんは、業界で働いていらしたのですか?
私も10年以上前、名古屋の映像プロで2年間ADをやっていました。
結局不規則な勤務時間と、ADに求められる気配り、根回し等が自分には出来ず、
強迫観念症を患って、逃げるように辞めてしまいました。
それから10年、人と関わらないですむと言う理由でトラックの運転をしていたのですが、
乗務から内勤の管理職になり、連日15時間に及ぶ勤務と、
人間関係の重圧に耐えきれずに、ここも逃げ出してしまいました。
今、かつて自分が本当にやりたかったことへの再挑戦願望、
この逃亡生活の中でやってみたいと思い始めた事への挑戦願望はあっても、
同時に同じような失敗を繰り返すのではないかという恐怖心もあります。
今、この恐怖心が、何をしたらよいのか分からなくさせている状況です。
私も周りの人から「考えすぎ」「もっと気楽にやればいいのに」等、
同じようなことをよく言われていますよ。
私も10年以上前、名古屋の映像プロで2年間ADをやっていました。
結局不規則な勤務時間と、ADに求められる気配り、根回し等が自分には出来ず、
強迫観念症を患って、逃げるように辞めてしまいました。
それから10年、人と関わらないですむと言う理由でトラックの運転をしていたのですが、
乗務から内勤の管理職になり、連日15時間に及ぶ勤務と、
人間関係の重圧に耐えきれずに、ここも逃げ出してしまいました。
今、かつて自分が本当にやりたかったことへの再挑戦願望、
この逃亡生活の中でやってみたいと思い始めた事への挑戦願望はあっても、
同時に同じような失敗を繰り返すのではないかという恐怖心もあります。
今、この恐怖心が、何をしたらよいのか分からなくさせている状況です。
私も周りの人から「考えすぎ」「もっと気楽にやればいいのに」等、
同じようなことをよく言われていますよ。
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