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2007/05/01(火)
intro 2007年5月29日 記』
もし人生を振り返ることができたとき、
自分が何者でもない空白の期間を見つけたとしたなら、
まさしく今がその時だろう。

プリファブ・スプラウトの『アンドロメダ・ハイツ』が心に滲みている。

家族の写真。自分が小さかった頃の写真を見ると何故だか涙が出てくる。
どうしてかは自分でもわからない。

これまで用事のある時にしか訪れることのなかった
歩いて10分程度の実家に毎日のように行っている。

そこには昨年、子宮癌を克服し、今は月に一度うつ病の薬をもらいに
精神科に通っている66歳の母と、6年前に離婚し、
僕にとっては甥となる男の子とともに戻って来た40歳の妹が住んでいた。
母は大病を煩ってからは人が変わったように穏やかになっていた。
家で一人でいても大丈夫になってきていたし、今年小学校に通うことになった
甥を学校まで迎えに行く午後5時になるのを、本人は面倒と言いながらも
楽しみにしているように見えた。
妹は僕なんかよりとても人間ができていて、今は看護学校の教師をしている。
本来は非常に優秀な看護士なのだけれども、
甥の存在が夜勤を困難にしているようで、現職に今年の4月から転職した。
毎日朝8時には甥を連れて車で家を出て、甥を小学校に送り届けると、
20分ほどかかる僻地の学校で教鞭をとり、午後6時には帰宅する。

父も71歳で生きてはいるが、誰とも住むのを拒み、
今、僕の住んでいるマンションの真上に一人で住んでいる。
年金と退職金で悠々自適の毎日のようだ。
どうやら沖縄に愛人がいるようで、3ヶ月に一度はかの地を訪れている。
他人に干渉されるのが世の中で一番嫌いなようで、
午後4時になると大好きな酒をたっぷり飲み、電気とテレビをつけっぱなしにして
朝まで寝てしまうのを日常としている。
午後4時の解禁時間は父が人生において唯一自分で定めた掟だ。
彼は70歳まで現役で働いた、体力にはすこぶる自信のある男で、
もしかすると今でも腕相撲では勝てないかもしれない。
ゴルフは一生勝てそうもない。
父は元銀行員で、後年は出向先の病院の事務長を務め、
週に4日はゴルフをしていた。
元々は小心者で神経質な小市民だったが、
酒の飲みっぷりと金遣いだけは豪快で、
残りの家族は彼のせいで振り回されることが多かった。
それというのも彼の転勤に付き合わされたからだ。
数えてみたところ、これまでの人生において僕が引っ越しをした回数は
実に13回。それも15歳までに10回もしている。
そのせいで幼稚園を2つ、小学校を3つ、中学校も3つ通うことになった。
少なからずその転校は僕の人格形成において影響を与えただろう。
でも今となっては何が原因かはわかりはしないのだけれども。

僕は今34歳の彼女と一緒に父の真下のマンションの4階に住んでいる。
父から生前贈与を受けた築25年の分譲マンションで、
家賃は駐車場代や水道代などの使用経費以外かかっていない。
最寄りの地下鉄駅から歩いて15分。
バスも走っているが、あまり乗ったことはない。

今これを書いているのは、2007年5月29日、火曜日、午後4時32分。
リラ冷えのする静かな午後だ。
昨晩のトップニュースは戦後初の現役閣僚の自殺で、
一昨日のそれは戦後初の牝馬ダービー制覇だった。
今日はどんな戦後初が飛び出すか、楽しみはそれしかなかった。

気分は空模様のようにどんよりとしていた。
自分が何者なのかが、43歳になって初めてわからなくなっていた。
42歳まではすべてがクリアに見えていた。視界良好。
人生には何の不安もなかったし、まさか1年後の平日の真っ昼間に
自宅でパソコンに向かって、わけのわからない自伝のようなものを
書いているとは思いもしなかった。
先に疑問を晴らしておきたいのだけれど、僕はリストラされたわけではない。
自分から会社を辞めた。それも2社も。この1年で。正確には8ヶ月で。
それには理由が書ききれないほどあるのだけれど、
あまりにも事情が複雑で、どこまで正しく伝わるかはわからない。
正確に伝えようとすればするほど、自分に優位なように伝えてしまいそうで、
今の心境では到底無理な作業のように思える。
なので、それを端的に、そして時系列的に伝えられるたったひとつの媒介、
僕のここのところの日記を公開することとする。
これだと内情が手に取るようにわかってもらえるはずだ。
また、これによって自分の置かれている位置を再確認できるかもしれない。
時間はたっぷりあるのだけれど、これまで効率的に生きてきたので、
その慣例に則って始めてみたい。
2007/05/07(月)
今日から第二、いや第三の人生が始まる。』
意気込んで8時半に起床する。かと言って、何もすることはない。
しかしいつも通りシャワーを浴び、朝食をとると目が覚めてきた。
新聞は休刊日で、仕方なく昨日の新聞の上で髭を剃る。
これもいつもの習慣だ。
特別なことはしたくないし、する必要もない。

ただ今日辞めた会社には連絡した方がいいことが2つあった。
ひとつは某タレントプロダクションのグッズのこと。
ただこれはメールでCCしているから、おそらくは大丈夫。
もうひとつは某航空会社への請求。これも何とかなるだろう。

要するに僕がいなくても世界は回るということだ。
そのことさえ肝に銘じていれば、妙なストレスは抱え込まなくて済む。
何もすることがないのに起きてしまったのは
自分に喝を入れるためだけではなく、
僕の自宅に共に生活を営んでいる彼女に
ダラダラしているところを見られたくなかったからだ。
彼女とは前日にまた長い話し合いをして、
最後に「こんな私でいいの?」の一言が決め手となって、
これからも一緒に暮らすことが決定したところだった。
かなり不安定な決定ではあったけれども、
僕の心の平穏は、その一言である程度保たれていた。

善は急げという諺の通り、ハローワークに行くことにした。
何しろ今日から人生初の無職なのだ。
必要書類を集めていたら、
そういった類いには慣れている彼女がいろいろアドバイスをくれた。
どうやら証明写真が必要らしい。
これまで見たこともない多くの書類と一緒に
僕は行ったことがない場所にこれから出向くのだ。
その気分は、やけに軽やかだった。
今までの様々なことから初めて解放されたことよりも、
これから起こるであろう人生の出来事の方に興味があった。
しかしながら自分がどこにも属していないという不安、
そして、これも初めて味わうことになる経済的逼迫、
こういった要素は頭の片隅にどうしてもあった。
今日の天気と同じように、晴れたり曇ったりといった具合だ。

彼女を最寄りの駅まで送った。
いつもよりかなり早い到着だったが、彼女は嬉しそうだった。
その足で、少しだけ並んで通帳に記帳しに近所のスーパーに行った。
何しろ長い連休明けだ。主婦が通帳とにらめっこしていた。
そして2階にある証明写真のマシンで
600円払って写真を撮ることにした。登録に必要だという。
なかなかマシンの利用方法が理解できなかったが、
2回目に撮影した写真はなかなかよく撮れていたと自分では思う。

さて、それを持ってハローワークへ、と思ったが、
ゴールデンウィークの連休明けで混雑が予想され、
なおかつ昼休みにさしかかりそうだったので、
先に自転車で5分ほどのところにある実家に行くことにした。
実家には母がいた。とりたてて用はなかった。
洗顔中だった母と、これからホームに入る祖母と
そのために来札する叔母の予定を話し合った。

とにかく人生の何かがわかり始めていた。
老いていくこと。働くこと。人と暮らすこと。家族のこと。
多くの人生の仕組みがようやくこの歳になってわかってきたのだ。
この歳になって、というより、
こういった境遇になって、と言った方が正しいかもしれない。
しかしそれはすべて自分が選んだ結果なのだ。
たとえそれが愚かな選択だったとしても、
もうそれは選んでしまったのだから仕方がない。
取り返しがつかないことを嘆いても仕方ないことはわかっていた。
それを誰かのせいにしようとも思っていないし、
誰かに押し付けようとも当然思っていない。
これからその愚かな選択分だけ、僕は苦労しなければいけない。
そしてその苦労は、今まで避けて来た、
いや訪れることがなかった苦労なのだ。
よくぞここまで苦労知らず、世間知らずで生きてこられたもんだ。
何しろ、いったい1ヶ月に自分がいくら遣っていたのか、
社会にどんな形で貢献していたのか、
働かないと収入がなくなり、その結果訪れるものが何なのか、
すべて最近知ったことなのだ。
僕はもう43歳の、れっきとした大人なのに。

突然、友人の誕生日が昨日だったことを思い出し、
携帯からメールしてみた。そこには「今日からプー」とだけ記した。
心配してくれた友人から何通ものメールの返信をもらった。
自分がまだ一人になっていないことが、やけに嬉しかった。

母からおいしい食パンを半斤もらい、自宅に戻り焼いて食べた。
何故かはわからないが、無性にお腹だけは空く。
それにこれまで便秘だったのが信じられないほど
便がスムーズに今朝は出た。
快食快便はいいことだが、これは先日までの9連休で、
自分の心身が元に戻ったことを証明しているのだろうか。
デザイン会社での変則的な勤務で、
すっかり夜型になってしまっていた自分が
たったの9日間、それも3日間は東京で何も考えずに
遊んでいたというのにそれだけで回復してしまうものなのか。
それほどのダメージは受けていなかったということなのか。
とにかく休んだことは自分にとって悪い方向には行っていないようだ。
思考もポジティブだし、物事をプラスに前向きに捉えられる。
それは不安の裏返しなのかもしれないけれど。

勝手に会社を辞めてしまったことに対しては済まなく思っている。
しかしそうするしか方法はなかった。
今日から会社に行かないことは、
前日に置いて来た手紙ですべてわかっているはず。
電話もメールも来ないところを見ると、もう諦めたのだろう。
これまでも何度も辞める辞めないを話し合って来たのだから。
ただ、パソコンを立ち上げて、
会社関連のフォルダーの名前を変えているあたりから妙な胸騒ぎがした。
ほどなくそれは的中していたことがわかる。
僕のメールアドレスがまるで使えなくなっていたのだ。
これが彼らの僕に対する回答だった。あまりも陳腐な。
僕はこれで外部、特にクライアントとのコミュニケーションが断絶され、
外部からのメールははじかれていき、おかしいと思ったクライアントは
そのまま自動的に他のスタッフへメールをするか、
電話に切り替えて、初めて僕が退社したことを知るという仕組みだ。
「体調不良につき退社」などという綺麗ごとは言わない奴らだ。
きっと「今日から突然来なくなった」など、
わめき散らしていることだろう。そんなことなもうどうでもいい。
あとは僕が僕らしい人生を静かに歩むだけだ。
きっとどこかでまた彼らと接することがあるかもしれない。
そのときに笑顔で会えるようにしたい、そのためにはどうしたらいいか、
それだけを考えようと思っている。
仕方がないので、amazonなどのメール設定を
すべて自分のものに切り替えた。

その時点ですでに2時を迎えていた。
パンを食べた後、食器も洗わずに、ネットサーフィンをしていた。
このままではいけない、とどこかで自分が叫んでいた。
とにかく動かなければ。
しかし動けば動くほどお金がかかることもわかり始めていた。
世の中はそういうシステムで動いている消費型社会なのだ
ということをあらためて知った。
ふと先日、彼女が珍しく勇気を出して発言した言葉が蘇って来た。
「食器洗い乾燥機をなくしたいんだけれど」
確かに彼女の目指すスローライフとの方向性には
180度そぐわない代物だった。
前妻の手術で余った保険金で買った機械だったが、
最近は使用頻度が激減し、ただの白い大きな箱と化していた。
結構重量もあり、移動するにも面倒だったが、
こんなにまとまった時間はそうそうないと判断して撤去することにした。
それは前夜に彼女が放った一言、
「前の奥さんと暮らしてた家にやってきた居候」
それに僕自身が影響されていることは間違いもない事実だ。
確かにそこかしこに残骸があり、今の彼女の前の彼女もそのことに疲れ、
ここにはほとんどよりつかなった。
微かな匂いや空気を読む力は女性の方が強いのだろう。
おまけに感受性の強い女性ばかりなこともあって、
僕がかえって無神経な男に思えてくるから不思議だ。
こんなに繊細な男はそんなにいないと自分では思っているのに。
彼女のために大枚はたいて家をリフォームし、
前妻の存在を払拭しようと試みたのだけれども、
やはり完全にはできていなかったのだ。
これから少しずつでも無くしていくことが、僕の役目でもあり、
過去との決別にもつながっていくことだと心に決めた。
そして機械の撤去に着手したが、なかなか手強く、
モンキーレンチまで登場し、やっとのことではずすことに成功した。
捨てるのはもったいないと思ったが、
機械の裏側には、1997年製とあった。
もう10年も前のものだ。リサイクル屋も引き取りはしないだろう。

ダメ元で、マンションの真上に住む父に
この機械をいるかどうか聞いてみた。
すでに仕事をリタイヤした父は昼寝中だった。
昨日も孫と息子とのキャッチボールでほとほと疲れていたことだろう。
おまけに長男である僕が突然家にいるようになったものだから、
心配しない方がおかしい。
今まで寝るためだけに帰って来たような場所に終日いることは、
自分ではまったく苦しくないと思っていたのだけれど、
すでに初日から破綻していた。
父は「いらん」と言うことだったので、
空いている父の物置に入れさせてもらうことにした。

外は寒かった。
様々な過去の残骸が物置にはあり、
それらを僕はなかなか捨てられないでいた。
どこかで考え方を変えないといけないことは重々承知していた。
ただ何かが僕の中でくすぶり続けているのだ。
食器洗い乾燥機を物置にしまってから、
やっとハローワークに車で向かった。
すでに時間は4時近くだった。

ハローワークは5時15分までやっているらしいのでまだ大丈夫。
それに午前の方が混んでいる。
現実は甘くなかった。駐車場は満車。あらゆる人種で混雑していた。
何をどうしていいのかわからなったので、
記入場所でボンヤリと周囲の人をうかがっていたら、
自分と同じような書類を持った女性が総合案内所で質問をしていたので、
僕もそれにならって案内の手ほどきを受けた。
次々と横には新しい客が並び始め、
スタッフに対して「えー、そうなの?」とため口をきいていた輩もいて、
これじゃ職も失うわな、と思った自分も
実は同じような甘い考えで、いや逆に無知なことで、
こういった状況を招いているのだった。

人生はよくできているもので、必ず帳尻が合う。
今まで何もなかった分、これからどっさり苦労を抱え込むのだ。
書類を書き終え、整理券を受け取った時点で、すでに26人待ちだった。
いったい自分の番がいつになるのか、まったく見当もつかなかったが、
初めて来た場所での緊張も手伝って、
初めはきょろきょろと周囲を気にしてばかりいた。
しかしそれにも限界があり、しかたなく時間潰しに
携帯電話に入っていた英単語ゲームをすることにした。
久々に英語の脳味噌を遣っていることが快感だった。
僕はおそらく一般人よりは英語を知っている。

名前が呼ばれたのはすでに閉館時間を過ぎた後だった。
最後の一人か二人といった状況。
ひげを生やし口臭がきつい男性が担当で、
事務的に僕の退職理由等を聞いて来た。
僕はそれに正直に答えたつもりだったが、
今となってはどうして会社を辞めたのかがわからなかった。
ただ他人に説明するのに最適な理由を見つけ出しているだけだった。
確かに僕には管理能力が欠如していたし、
この歳で管理ができないことが
どういうことを意味しているかは一目瞭然ではあったけれども、
それでもできないものはできないので、
仕方なくそう答えるしかなかったのだ。
そして結果は、8月14日から9月30日までの
1ヶ月半分しか失業手当が出ないという、
事前に予想していたものとは全くちがうものだった。
自分では1週間後に21万円が振り込まれ、
6、7、8、9月はゆっくりと職を探せるとたかをくくっていた。
それがこの結果を受けて、見事に崩壊してしまった。
すでに暖房が消えてしまった館内は薄ら寒く、
僕の未来も暗くなっていくばかりだった。
でも仕方ない。これもすべて僕の人生なのだ。
甘んじて受け入れるしかない。
少しの間ならこれまで貯めた貯金で何とか暮らして行ける。
この状況が僕に余裕を持たせているのか、
逆に追い込まれているという状況を作り出せずにいるのかはわからない。
ただ生きていくしか方法はないのだ。すでに夭折と行った時期は過ぎた。
自死は現時点で選択肢にはない。

霧雨の中、ハローワークを後にした。
帰宅するとすでに6時半を過ぎていた。
しばらく何もする気が起きなかった。
彼女が帰宅するのは10時だ。
それまでに僕がすることと言えば、夕食を作って待っていることだけ。
すでに昨日彼女が材料は仕入れて来てくれていたので、
それを準備することにした。
でも何だか腰が重く、仕方がないので、
テレビでクイズ番組を少しだけ見た。
そしてきっちり2時間見続けた。

あまり褒められたことでも何でもないのだが、今日は昼寝をしなかった。
今日一日昼寝をしなかったことは自分における最低限の意地だった。
これからは朝の7時に起きる生活だってしなくてはいけないはずだ。
昼寝をしないことは、そういったリズムを作り出すと信じていた。
朝は早く起き、昼寝をせず、夜は早く寝る。
先日までのデザイン会社の深夜帰宅パターンから
早く脱したいという気持ちももちろんあった。
しかしそれより何より、人間らしい生活をしたかった。

とろろを擦って、まぐろを切って、山掛けを作った。
サラダのためにレタスとキャベツを切った。
千切りが以前よりもうまくなっていた。
たださすがに味噌汁の作り方だけが定かではなかった。
自分でほとんど料理をしたことがなかったので、見よう見まねでしかない。
これはあとで彼女に聞くことにしよう。
あとは鶏肉を炒めるだけだったが、
それは彼女が帰宅してからにすることにした。
案外料理や家事は楽しかった。今だけかもしれないけれど。

帰宅した彼女と一緒に夕食をとった。
12時から夜9時までコールセンター勤務で
電話で話し続けている彼女に言葉数は多くなかったが、
食器洗い乾燥機があとかたもなく消えていたことは嬉しそうだった。
やっと理解したか、といった気持ちだったのかもしれない。
しかし夕食後、食器を洗っていると彼女の態度が一変した。
雑誌を読みながらソファーの上で寝込んでしまった。
連休明けのいきなりの仕事で疲れているんだな、と僕は思い、
かかっていたテレビをただ眺めていた。
松井秀喜が2000本安打を奇妙な形で達成したようだった。
休刊日あけの夕刊には、昨日のNHKマイルカップでの
大万馬券の940万が大きく取り上げられていた。
どちらも僕には縁遠い世界の話になってしまっていた。
彼女が突然、もう寝ると言い出したのは12時を少し回った頃だった。
やはり疲れているんだと判断した僕は、
一緒に寝る準備をして、床に入った。
僕はすぐにでも寝られそうな体調だったが、
彼女は寝付きが悪そうだった。
2007/05/08(火)
1円たりとも使いたくなかった。』
朝5時に一度目が覚めた時、彼女はつられて目が覚めたようだった。
ただしばらくして、深い寝息が聞こえて来たので、少し安心した。
7時に寝返りをうった際にも、彼女は起きたような感じだった。
要するに自分のペースや人生が他人によって変化してしまう。
そのことにおそらく彼女は激しくストレスを感じているのだ。
もちろんそのことに本人も気付いていて、
でもそれをどうすることもできないという非力な自分に
ほとほと嫌気がさしているようだった。

朝8時。僕は燃やせるゴミを捨てに一度起き、
着替えてマンションの4階から1階へと階段を下りた。
別に嫌な気分はなく、
逆にこうして朝早く起きられる自分に感動さえしていた。
しかし外は寒く、帰って来て僕はまた寝巻きに着替え直し、
彼女の待つ布団に舞い戻った。
それは単に寒かったし、もう少し横になってもいいと思ったからだ。
すると彼女はこう言った。
「お願いだから、普通にしていて」
普通・・・。
僕は何とか自分の人生を普通にしようとしてたのに、
どうやらそうした僕の行為が彼女にとっては重荷のようだった。
出かける準備もままならない様子の彼女は泣きながら、こうも言った。
「私がすることがなくなったら何のためにここにいるのかわからない」
そういう考え方をする女性だった。
「だったら餃子は作らないから」
冗談とも皮肉ともつかない僕の言葉をよそに、
送って行くよというのを無視して、
「甘えちゃいけない」と彼女は11時に仕事へと向かった。

残された僕は、またメールをチェックしたが、やはり繋がらず、
やむを得ず、村上春樹が訳したレイモンド・チャンドラーの名作
「ロング・グッドバイ」を読み始めることにした。

僕がやるべきことは、まず早く次の就職先を見つけること。
まだ僕は何ひとつしていない。履歴書も職務経歴書も書いていないし、
どこにも面接にも行っていない。
たかが1日の無職生活が、これほど辛いと思わなかった。
窓を開けて気分を変えたかったが、
花粉症に悩む彼女のことが気掛かりで開けることもできなかった。
もうこれ以上、親には心配や迷惑はかけられない。
彼らには彼らの人生があるのだ。
そこに突然現れた息子はただの邪魔者だろう。
あとは本屋かビデオレンタル屋に行くか、図書館に行くか、
それとも狙っている就職先に行ってみるか。
現実逃避をするつもりはまったくないけれども、
動きが遅くなっているのは加齢のせいだろうか。
自分の冒した罪を自分で償うだけのことなのに、
どうしてこんなにも困難がつきまとうのだろう。社会も人間関係も。
そういった考え方自体が、
すでに利己的で自己中心的なのだろう、きっと。
すべては自分が招いたこと。運命でもなんでもない。
自分が楽に生活しようと夢を見ていただけ。

やはり空腹には耐えられなかった。
これも徐々に量を減らさないと家計がまずいことになる。
こうしてパソコンに向かい、現状を吐露しているのは、1時半。
外は暖かそうな日差し。桜は満開のようだ。
午後4時までdiaryと称したものを書いたが、
まるで理路整然としていない文章に辟易。
ただ、ある意味では小説にできるかもしれないとも思う。
しかしながら誰が43歳で無職になった馬鹿な男の話を読むだろうか。

本屋に行こうと思ったのは、天気が良かったことと、
今朝の朝刊に広告が掲載されていた稲森和夫の「生き方」という本を
手に取ってみたかったからだ。
今の僕のように弱った人間のために、
自己啓発と宗教は用意されていることくらいわかっている。
ただそれが気になってしまうのは、
やはり僕もご多分に漏れていないということなのだ。
結局は平凡な人間。そういうこと。
いよいよ経済的なことも頭の中をよぎり始めて来たので、
自転車で有名な川の近くの大型書店まで向かうことにする。

本州では真夏日になったところもあるという5月だというのに、
僕の出立ちはタートルネックにフリースにジャンバーにジーンズに手袋。
案の定、表に出た瞬間に暑いと感じた。
でも自宅の室内は結構寒く、足は相当に冷えていたのだ。
時間を何も気にすること無く
自転車を走らせたことはかなり久しぶりのこと。
いつもは出勤くらいしか使わないので、
普段のスピードの半分くらいでのんびりこいだ。

15分程度で郊外型の大型書店に到着し、まずはCDを座って試聴した。
いまだきちんと聴いたことの無かったノラ・ジョーンズの新譜と、
アヴリル・ラヴィーンの新譜、
それにアークティック・モンキーズの新譜。
一番馬鹿にしていた2番目のが心に響いた。
リズムを取っている自分に正直驚いた。
ロックはこういったときに無力だということを知った。
店員が何度も僕の横のブースに入替作業をしに来たので、
嫌がらせかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
被害妄想はここまで来ているようだ。
そして本のコーナーに移動し、座って読める場所が空くや否や、
目当ての本を持ち込み、速読であっさり読破した。
しかしやはり内容的には「仕事が人生で一番重要」、
「強く願えば必ず叶う」など紋切り型のものばかりで、
頭ではわかっているのにできない自分に腹を立てることに。
その他の本も、何かとそういった類いの本ばかりが目につき、
本当に弱っていることを確信したが、気分的には悪くなかった。
こんなに自由を満喫しているのは初めてだからかもしれない。
しかしその自由も一時のものだという認識はやはりあって、
それでも僕を川沿いの遊歩道に招くくらい太陽光線は強かった。

自転車で川沿いまで下りたことは、これも初めてだった。
野球を楽しむ少年、ジョギングをする男性、
サイクリングをする帰宅途中のサラリーマンなど
普段あまり目にしたことのない光景はやけに新鮮だった。
そこで大きく深呼吸をしてから、
東京に暮らす友人に携帯でメールを送った。
こういった場合、
どうして同じような境遇の人間に接したいと思うのだろうか。
傷口を舐め合いたいという本能なのだろうか。
すぐに返信が来て、そこには
「今まで走り続けて来たから休む頃合いなのかも」とあった。
自分以外の人間にはそう思えるのかもしれないが、
今まで自分は走っている感覚など微塵も無かった。特に昨年の夏までは。
ただ惰性で生きていただけ。
それはこの4月の番組改編で、
後任の手腕が大きくアピールされたのを目にした瞬間、
自分でも確認したばかりだった。

だから僕は疲れてもいなかった。
今となってはどうして前々職を辞めたのか、それすらわからない。
彼女が言うように「安定」を求めていたのなら、
絶対に辞めるべきではなかった。
それは給料の面からも仕事の面からも、そして将来の面からも、
誰の目から見ても明らかだった。それでも退職したのだから、
きっと僕は何も深く考えていなかったのだろう。
事実、こうなってしまうことなんて、全然予想していなかった。
それでもこうなってしまった以上、最善を尽くすしかない。
それしかない。

帰り道、ビデオレンタルに寄ってみた。
先日観た映画「バベル」が「クラッシュ」に似ているらしいので
ちょっとそれを観てみたかったからだ。
アカデミーを受賞したくらいだから、その存在は知っていたが、
何だか観る機会も余裕もなかった頃に上映されていた作品らしく、
今の今まで観ていなかった。
ところがどうやって目当てのビデオを探していいものやら、わからない。
五十音順でもないらしく、最新作でもない。
かなりの時間を費やした結果、やっと発見。
1本だけ棚に残っていて、あとの7本程度は借りられていたが、
いったい借りるのにいくらかかるのかも知らなかったので、料金表を見た。
330円。それだけで借りるのをやめた。1円たりとも使いたくなかった。
いや、こわくて使えなかった。事実、昨日から一銭も使っていない。
こんなにも自分が弱くなるのが信じられなかった。
43歳での転職は臆病者のすることではないと、心からそう思った。
他人事のように聞こえるかもしれないけれど、本当にそう思った。

帰宅にはなだらかな坂道を
ずっと自転車をこいで上らなければならなかった。
いつも会社帰りにフーフー言いながら帰っていたのだが、
今日は違っていた。ペダルが軽い。
どうやら体力だけは回復したようだった。
桜は満開。夜の6時半に帰宅した。もちろん誰もいない。
ビデオレンタルにいるときに思いついたのは、
自宅にあるまだ観ていないビデオ達の存在だった。
それでいきなり観ることにした。
室内は寒かったが、肌掛けを巻いて観た。
以前CSでHDDに録画しておいた「らくだの涙」という映画。
こんなに台詞の無い映画を観たのは久しぶりだったが、
その土地に住む人の生活がよくわかった。

かといって、僕はモンゴルに住んでいるわけではなく、
日本の北国で暮らしているので、
映画が終わった瞬間、いきなり現実に引き戻された。
彼女が今朝言っていたことを守るわけではなかったが、
夕食は炊飯と味噌汁だけにすることにした。
水餃子は彼女の得意料理なので、そこを汚すわけにはいかなかった。
7時からかかっていたテレビ番組に結構夢中になってしまった。
それから夕食を作り始めたが、
昨日と違って何だかまったく楽しくなかった。
味噌汁はうまくできた。けれどもご飯は少し柔らかかった。
昨夜が硬かったせいで水の量を増やしたせいだ。

彼女が帰宅した。朝とは打って変わって別人のような口調だった。
そして大急ぎで水餃子を作り始め、
あっという間に完成し、あっという間にたいらげた。
僕は極めて普通にしようとしていた。
でも何かが決定的に失われていた。
彼女はもしかすると二重人格かもしれない。
そこまでいかなくても分裂症の嫌いはあった。
それでも僕は誰かと一緒にいたかった。
深夜のテレビを見ることはやめにした。
明日は彼女は休日なので、
久しぶりに早く布団に入りセックスをした。
とても親密な交わりだった。記憶を整理すると4月22日以来だ。
彼女のすべてを余す所なく舌で触れた。それが唯一の愛情表現だった。
2007/05/09(水)
僕はあまりにも自己中心的過ぎる』
早起きだけは心がけようとしていたのに
彼女が休日なのをいいことに10時過ぎまで寝てしまった。
起きても何もすることがないのは、すでにもう飽きていた。
シャワーに入りたかったけれども、
まだ寝ている彼女を起こすのは心外だったので
仕方なく居間のソファーで「ロング・グッドバイ」の続きを読み始めた。
それにしても分厚い本で、
いつになったら読み終えるのか皆目見当がつかない。
おまけに次から次へと人物が登場し、
こういった類いの小説を今まで読んだことがなかったので
手強いなと感じたのと同時に、
いったい何てタイトルの本を読んでいるんだ、と自虐的になった。

昨夜の感じからすると、
彼女の心はまだ100%ここにとどまることに決めてはいない。
どこかまだ実家へ帰るという選択肢は残されているようだった。
それは一緒にいると二人共不幸になるといったいつもの口上以外に、
何か大きな、そして決定的な理由があるはずだった。
予想外にそれは彼女が起きて
居間に来てから話した言葉で明らかになった。
あまりにも早くその謎が解けたのは、
僕にとってはいいことだったのかもしれない。
知らないで生きていたら、僕はどうにかなっていただろう。
そういった点でも僕は彼女のことを愛していた。
人の痛みがわかる人だという点において。
そしてそれが今の僕には必要に思えた。

「辞めた会社には顔を出さないの?」と彼女は切り出した。
「近いうちに行こうと思ってる」と僕は心にもないことを言った。
実はもう2度と行かないと決めていたのだ。
でも朝から事を荒立てるのはやめにした。
「手紙だけっていうのは、よくないんじゃないかな?」と彼女。
「僕もそうは思ってる」と僕。これも心にもないこと。
「もう会っても向こうは何も言うことはないかもしれないけど」
「ほとぼりが冷めるまで待とうと思っている」

相手側の立場になって物事を考えられるというのは、
僕の強みでもあったはずだ。
ところが今回はまったく他人を顧みることなく、
衝動的に動いている自分が確かにいた。
これだけでも今の僕の切羽詰まった状況がわかるというものだ。
何もかも冷静に考えられず、何もかも中途半端に、
そして無責任に物事を終息させてしまう。
神経質な僕が物事を放り投げると、
こういった状態になることが今回よくわかった。
いや実は前々職を辞めたあたりから、
自分では気がついていたのかもしれない。
無能なスタッフをまとめられず、
理不尽な要求をする株式上場企業の中間管理職。
肩書きや給料はいいにしても、
まったくクリエイティブとは言えない業務内容。
そういったことに嫌気がさして、僕は放り投げたのだ。
そして自分自身の残された力をもう一度確かめたくて、
まったく畑違いのところに身を投げた。
けれどもそこは地獄のような場所で、
毎日魂をぶつけ合うことにたったの半年で疲弊してしまった。

それが本来のクリエイティブな生き方だということは百も承知だった。
頭では何もかもわかっていた。わかっていたつもりだった。
しかし自分でいざ実行しようとすると、まるで動きがとれなかった。
それを「何をしていいのかわからない」という
簡単な言葉で説明したのが間違いだったのかもしれない。
加齢のせいや、以前からの環境の違いによる戸惑いといった理由は、
半年も続かなかった。
僕より10歳も年下の社長に毎月提出を要求されていたレポートには、
僕がいかに与えられた仕事ができなくて、不向きで、
でも頑張るといった内容がここのところ数ヶ月続いていた。
そして殺人的に多忙だった年度末を終え、
4月に入ると何も仕事がなくなってしまった。
朝、何をしていいのかわからない日々が続いた。
そろそろ本腰を入れて、自分の進むべき道を考えようと勿論した。
でもそれにはワンマン社長の同意が必要で、入社前に僕が描いていた
比較的自由なポジションはその会社にはほとんどないに等しかった。
ちょっとでも外出しようなら、
そのための給料は払っていないと一蹴された。
金の遣い方は大雑把だったが、
こと賃金となると異常な執着心を見せる社長だった。
決算期のボーナスが、他の社員に300万円以上で、
僕には一銭も支払われなかったのには、
叱咤激励という意味が込められていたのだろうと想像する。
しかしその考えは毎年必ず2回賞与が約束されていた
典型的なサラリーマンの僕には通用しなかった。
その不払いは確かに退職の引き金にはなった。
でもそれ以上に僕に決意させたもの。
それは「これから何をするんですか?」の一言だった。
そしてある日机の上に置かれていた広告批評という雑誌とメモ。
「これからは広告営業の道しかないと思います」
僕に「給料は下がりますが、何もしなくてもいい」といった経営者は、
たったの1週間で態度を豹変させた。
確かにその1週間、僕は何もしていなかった。
何かをしようとも思っていなかったし、何もしたくなかった。
本当にゆっくり道を定めようとしていただけだ。
でも結果的にそれが逆鱗に触れることとなった。
そして不払いが発生した。
彼曰く、「株はいらないといった態度からも決めざるを得なかった」
社長である彼以外の従業員に節税対策で株を持たせる話があり、
そのメンバーの一人に僕も当初は入っていた。
しかし僕がいったん退職の話を持ち出したので、
彼はそれを一人のスタッフだけに譲渡すると言ったのだ。
僕もそれに賛成した。
けれどもそのとき、頭の片隅にはやはり
「いつか辞める」といった思考がどこかにあったのだろう。
それを彼は察したのだ。彼の洞察力は人並みはずれていた。
その他も多くの才能にあふれていた。
自分とはレベルが明らかに違いすぎていた。考え方も生き方も。
特に仕事に対しての姿勢や取り組み方は、
家と仕事を分けることなく考えるなど180度異なった思考経路だった。
僕がその会社を去るのは当然の末路のような気がしていた。

彼女との会話は、
それらのことを急激に僕に思い出させることになった。
僕はもう前職については何も思い残すことなく、
きれいさっぱり忘れていた。
ところが彼女にしてみると、まだ全然終わっていなかったのだ。
彼女は僕の後始末はいつも最低だと思っていた。

そして午後2時の納豆ご飯という質素な昼食時に、
ついに思いも寄らないことを口にした。
「本屋さんでのこともそうでしょ?」
それは僕が自分の詩集を委託販売してもらっていた
独立系の本屋さんとのやりとりのことだった。
僕はそのときのことを酸っぱい記憶としてはとどめていたが、
どうやら彼女にとっては、
僕という人間を判断するのには格好の材料だったらしい。
図星だった。何もかも彼女の言う通りだった。
僕の生き方は、すべてが無責任で、自分勝手で、
人間関係の「に」の字も感じられないものばかりだった。
特に強い意志の人と対峙した際に僕がとる言動は、
ことごとく最終的に逃げていた。
自分が傷つくことばかり恐れ、なのに責任を全くとろうとしない僕。

立ち直れないほどのショックだった。
彼女に言われるまでまったく気付かなかった。
何がショックだったのか。まず気付かなかった自分。
そしてそんな僕だと知っているのに
一緒にいることを選択しようとしている彼女の強さ。
僕は自分ではペテン師だとも思っていないし、
裏切り者だとも思っていない。
けれども結果的にはそうなってしまっていた。
自分が最も嫌悪するような人間に
自分自身がなっていたという事実に愕然とした。
しばらくの間、食卓テーブルで放心状態だった。
これからどういう顔をして生きて行けばいいのか。
すべてをお見通しだった彼女にどういう態度で接すればいいのか。
世の中の人々は、みんなこのような逆境に耐えて生きているのか。
だとしたら、自分だけが弱く甘えた人間なのか。
何が僕をそうさせたのか。幼い頃の奇妙な家庭環境か。
それともやはり甘えて生きている自分自身か。
わからない。わからなかった。ただわかったことがあった。
それを自分で認めて、それを直して、そこから立ち上がらないと。
何故かポジティブに考える自分に驚いた。
「直そうとするだけ偉いよ」と彼女はやさしく呟いた。
「私はもうすべてをあきらめているから」

自死を選択しなかった以上、生きていくしかないのはわかっていた。
生きていくためには働かなければいけないことも、よくわかった。
そして僕にはそういった言葉をあえてかけてくれる存在もいる。
それだけでもう十分幸福じゃないか。
お金では買えないことを今日学んだ。
ある意味清々しい気分だった。
自分のことをこんなに知ったのは生まれて初めてかもしれなかった。
大学生の頃、同級生が僕に
「お前は90%の確率で社会から脱落する」といったのは正解だった。
どのようにして彼がそれを見抜いたのか、とても知りたい気分だが、
それから20年以上たって、ようやく気がつくことができた。
僕はあまりにも自己中心的過ぎるのだ。

近所からはゴスペルの曲を練習する歌声がずっと聴こえていた。
午後6時、彼女と今晩以降の食事の材料を調達するために
近所のスーパーに買い物に行った。
強く物事を言えない僕に対して、
彼女はあまりにもストレートに核心を伝えてしまったことに
いささか済まない気持ちがあったようで、
物腰がいつにも増して急に柔らかくなっていた。

夕食に肉野菜定食を作って食べたあと、
二人で居間に横になってまた話し合った。
自分が本当に馬鹿者だということを知った後だったので、
とても正直に、言葉を選ぶことなく、心情を伝えられた気がした。
彼女もそんな僕を見て、少し喜んでいるように見えた。
せっかくの休日を話し合い(かれこれもう何百時間にも及ぶ)と、
堂々巡りの思考に費やしていることに彼女も疲れていることだろう。
けれども僕は今日確実に生まれ変わった。成長した。
どんな本を読んでも書いていない、どんな映画を観ても出てこない、
そんなストーリーが自分自身の人生で展開されている。
まだ僕には変えるべきことがたくさんあるに違いない。
そうやって人生は転がって行くべきなのだ。
母からの電話に丁寧に答える自分がいた。
彼女と一緒にいる意味が今日ひとつ加わった。
2007/05/10(木)
僕の特異な才能』
8時に目が覚めるが春眠暁を覚えずという通り、というよりも室内が寒く、
布団の中が暖かかったので、そのまま9時過ぎまで寝ていた。
彼女が起きたと同時に床を出たが、邪魔になるかと思い、
もう一度布団に入って「ロング・グッドバイ」の続きを読み始めた。
やっと物語の中に入り込めているような感覚を
10章を越えたあたりから感じ始めていた。
あたたかい布団の中で集中して朝の読書をしていたが、
彼女の出勤と同時にやはり猛烈な孤独感に襲われることになった。

もう両親のところに逃げ込むのはやめにしようと思っていた。
確かに困った時はお互い様、ではあるが、
さすがに43歳の息子の面倒をみるのはいくら何でも悲し過ぎるだろう。
たとえその種を蒔いた責任はあるにしても。
寒い中、起きていつものように
ホットカルピスとバナナという朝食を11時にとり、
このところ昨日を除く毎日出ている大便を済ませた後、
トイレ掃除をして、再び読書。

しかし心中はまったく穏やかではなく、
どうやって前職の社長と話をしようか、そのことばかり考えていた。
昨日まではまったくといっていいほど考えていなかった
(自分の中ではもう片付いたと思っていた)ことなので、
その方法がわからなかった。
メールはすでに社長の手によって使えなくなってしまっているし、
電話をかけて直接話すのも違うような気がした。
昨日彼女が言っていたように「ああそうですか。そうですね」で
済まされることも十分考えられた。
それが恐かったというのもあった。
ただやはり会って話をしないことには次の段階に行けない。
そうするのが正解なのだ。
自分自身にそう言い聞かせた。
それで思い立って、FMラジオを聞きながら、
webメールを書くことにした。

「このような形で会社を去るようなことをしたくはなかったのですが、
もうどうしようもないところまで追い込まれてしまい、
置き手紙が精一杯でした。自分のとった行為自体に関して、
いたたまれない気持ちでいっぱいです。
いろいろとご迷惑をおかけしたと思います。申し訳ありません。
数日が経過し、少しはまともに振る舞えるようになっています。
もし会っていただく気持ちと時間がおありでしたら、
会っていただけないでしょうか。もう話すこともないし、
顔も見たくないと思われるのはごもっともなことですが、
このような形で別れるのはとても悲しいです。お願いします。」

それから何十秒かおきに受信メールをチェックしたが、
社長からの返信はなかった。
仕方なくまた読書を再開した。物語は20章まで進んでいた。
僕とはまるで縁遠いハードボイルドな世界が小説では展開されていて、
その会話の端々に人生の悲哀や人物の生き様を感じ取ることができた。
しばらくして再度返信をチェックすると、
短いながらも優しく感情を抑えた返信が来ていた。
来週会ってくれると言う。ありがたい。正直、そう思った。

気分が浮かれたのと、これからの準備のため、
一昨日に自転車で行った大型本屋に向かった。
履歴書と職務経歴書を買いに行くためだ。
どうしてもそれを書かないことには
自分を客観視できないような気がしてならなかった。
しばらくそういったものを書いていなかったので、
書き方も忘れてしまったし、
どうやって今の自分の自己アピールをすればいいのかなんて
さっぱりわかりようもなかった。
ただ今のまま立ち止まっているのだけは
いけないことだけはわかっていた。
一昨日とほとんど同じ格好で自転車を走らせた。
惨めな生活者には黒の服装というイメージが昔から僕にはあったが、
実際自分がそういった状況になった時に黒い服装で、
眼鏡までしていたのには何だか笑えた。
僕の視力は1.5なのに。そして白樺の花粉症でもないのに。

履歴書売場には女性ばかり3人も品定めをしていた。
どうやらやはりそういうご時世らしい。
レジの人も驚くことだろう。これから3人も連続で履歴書を買うのだ。
格差社会なんて無縁だと思っていたが、ここから先、
正社員になったとしても給料は半分になることは明らかだった。
貰えるものが少ないと、買えるものも少なくなるわけで、
それは畢竟、僕の生き甲斐でもあったCDや映画に
接することの減少を意味している。
それに今僕が「貰える」と表現している時点で、
もうそういったことを嘆いている資格が
僕にはないことも感じ始めている。
昼間見たサイトでの書き込みには、
「契約社員で結婚なんてあり得ない」とあった。
それが現実なんだろう。そしてその現実感はまだ僕にはなかった。

そう言った状況になって初めてわかる、僕の特異な才能だ。
将来のこと、まだ起こっていないこと、起こるかもしれない可能性。
それらを僕はあまりにも楽観視しすぎていたようだ。
ある意味、馬鹿か天才にしかできない、と昨日彼女が言っていた。
その点で、僕はきっと馬鹿だ。明らかに天才ではない。
そういえば、サイトで実は狙っている会社のことを調べたのだった。
僕には大きな会社で、福利厚生が行き届き、朝は早くてもいいので
帰りも早い、それでいて何かを作り出している会社が向いていると
自分で判断していた。
この判断も合っているかどうかはわからない。
むしろ間違っている確率の方が高いような気もする。
おまけに募集している年齢制限は35歳まで。
ただそこの取締役支店長とは一緒に仕事をしたことがあり、
全く知らないわけではなかった。
あと気になったのはリクナビで検索した、リフォームの会社。
しかしそこは従業員が4名で、社長が元パチンコ屋経営者だった。
深い人間関係を求められることは必至だ。
そんなことを選り好みしている余裕は本当はないのかもしれない。
ただあと17年もそこで働くことを考えれば、必然なような気もする。
そして実は僕の選択肢には、前々職に再就職という選択肢もあった。
ただ正社員は困難だろうし、何せ社長がきっと首を縦にふりやしない。
でも頭を下げにいく覚悟はある。何しろ約20年も働いて来た会社だ。
契約社員には賞与がなく、その賃金も安く押さえられていることは
管理職だった自分には知っていて当然のことだった。
どうしてそんな立場を捨ててしまったのかは、
今となってはもうわからない。
ただその理由を問いつめられることもきっとあるだろうから、
自分ともう一度素直に向き合って、
その時の自分の気持ちにかえってみたいと思う。
そうした時が早く訪れないかと心待ちにしている。

もしかすると、と思い、また川沿いに自転車を走らせた。
風が強く寒さを感じたが、
雪解け水が豪快に音を立てて川を下っていく景色と、
遠くの山に沈んで行く夕陽、
それに、僕の前を無造作に過ぎて行くランナーや自転車。
人生の縮図を見ているような気がした。
多くの人が自分の前を通り過ぎて行く。
幾分感傷的すぎるが、「銀河鉄道の夜」のような感覚だった。
帰路で以前暮らしていたマンションの前を通ってみた。
もう10年以上も前なのに何一つ変わっていない風景がそこにあった。
それから友人が勤めている中古本屋にも顔を出してみた。
友人はいなかったが、違う友人から携帯にメールが来た。
「6月か7月に結婚します」とのことだった。
この友人は彼女とも友人なので、
彼女にショックを与えることは必至だった。
何しろ同じ歳で同じような境遇で会社を辞め、
かたや年下の若い彼氏をゲットして幸せな結婚生活、
一方僕の彼女は9歳も年上の無職の黒い格好をした自己中心的な男と同棲。
いつ結婚するかもわからない。不安定な人生。
こんなタイミングで、
それも僕達が当初予定していた6月に入籍するなんて。
何だか人生のバランス感覚に嫌気がさして来た。

こんな状況で絶対に当たるはずがないロト6を買わずに6時前に帰宅した。
すぐに暗くなり始めた。
PCに向かって昨日からの長い長い1日を書き連ねた。
不思議と文章を書いていると、時間の感覚がなくなる。お腹もすかない。
元々好きなのだ、文章を書くのが。
この生活自体が小説になれば、との思いから書き始めて来たのだけれど、
主語や言葉遣いがバラバラだし、状況説明がまるでできていないはずだ。
その上、若い頃描いていた小説家になろうという覚悟や決意も
もうどこかに消え失せていた。
そういった気持ちは永遠に戻ってこないような気もする。
でもそれではいけない。とにかく稼いで生きていかなければ。

彼女が帰宅し、半額のステーキを焼いて食べた。
一緒に食事をとっているにも関わらず、会話はほとんどなく、
唯一琴線に触れた会話は、
やはり共通の友人の結婚報告メールのことだった。
当然のように彼女の元にも届いていたメールは、
どうやら僕と同じ内容のようだった。
彼女は素直に「よかったんじゃない」と言った。
でもそれを僕は強がりと捉えてしまい、
「大丈夫?」などと気の利かない最低の言葉をかけてしまった。
「人は人だし。何が大丈夫なのかわかりません」
それからというもの彼女は一切会話を拒否し、
一人で床についてしまった。
確実に何かが僕の心を蝕んでいるに違いなかった。
沈黙は金なり、という格言通り、僕はこういう時だからこそ、
静かに自分の思いに忠実に、何も語ることなく、
やるべきことをやるだけなのだ。
2007/05/11(金)
本当はもう気取っている場合ではない。』
詩人だとか、アーティストだとか、
少しばかりの知識や経験などを振りかざしても何の意味も持たない。
僕は今、世の中から必要とされていない人間の仲間入りをしている。
それを証明するかのように、誰からも何も連絡はない。
確かに誰にもこの状況を説明していないのだから、
仕方がないことかもしれない。
ただ僕は思う。
あまりにもこれまで人間関係が希薄だったのではないかと。
それは僕の幼少期が少なからず影響していると自分では思っている。
幼稚園2つ、小学校3つ、中学校3つ、僕が転校した経歴だ。
さすがに小学校までは受け入れられた。
しかし中学校3つはさすがにきつかった。
心のどこかで、転校さえしてしまえば
人生をリセットできると思い込んでいたのだろう。
その気持ちは高校でも、大学でも3、4年という短い期間なら通用した。
そして最初の就職は8ヶ月。次の会社には約20年。それからは7ヶ月。
20年勤続した、というかできたということは、
やはり自分に合っていたとしか考えられない。
確実に給料は上がっていたし、それほど残業もなかった。
今考えると天国のような会社だ。しかし僕はそこを放棄した。
せっかく築いて来た人間関係も、いともあっさり捨て去った。
それほど遠くには行かない気がしたが、
結果的にかなり遠くに僕は旅立ってしまったわけだ。
それから僕はもがき苦しんで、今、また逃げ出した。
今回ばかりは次の行く先や彼女とのこれからの関係が
決まっていない分、不安しかない状況だ。
さすがにいい加減大人なので、
自分で何とかしなくてはいけないことくらいわかっている。
しかしもう5日間、結果的には何も動いていない。
唯一勇気を出したのも、社長に向けてメールを書いたことくらいだ。
あとは読書、外出。食事の支度、テレビ、以上。
この時間を楽しめと言う声も聞こえる。
でもどうやってこれを受け入れていいのか。
今週末から祖母の件で少しばかり世の中に貢献できそうだが、
それにしてもその後はまったくの暗闇だ。
挙げ句の果てには、こういった状況が続いてしまっているので、
徐々に活力も失われて行っているような気がしてならない。
僕は本当に次の就職活動ができるのか。
自分を売り込むことができるのか。
時間が経つにつれ、それは損なわれて行くような気がしてならない。
でも焦ってはいけないような気もする。そして要するに逡巡している。

昨日と同じように読書から始まった1日。すでに半分は読んだ。
身支度をして、久々に首だけ髭を剃った。
そこだけは伸びると厄介だから。
そしていきなりPCに向かった。
毎週欠かさず見ている海外の占いサイトが更新されていた。
「やらなければいけないことを優先せよ」そこにはこうあった。
おっしゃる通りだ。
一通り、昨日までのことを打ち込んだ後、
やはり何もすることがなくなった。
いや、することは山ほどある。やらなければいけないことも。
ただ今週は自分と向き合って、
自分がどうなってしまうのかを見届けたいと思った。
何も考えていないわけではもちろんない。
でも何を考えていいいのかも正直わからない。
自分が考えても実現しないことだって世の中にはたくさんある。
そんなことを言っている場合でもないのだが、
自分を見極めたい気持ちが優先し、
それ以上に経済的なことがここ数日頭をよぎり始め、
何も収入がない状態で物を消費したり、
お金を使うことに罪悪感すら感じている。
これがもしかすると最も恐れていた真実なのかもしれない。
そのことは自宅が寒かったことで気がつき、
灯油代を節約しなければ、から始まり、
風呂と洗い物は短く、湯温は低く、食費を削ってなど、
あらゆる消費活動に広がっていった。

昼食は昨晩の残りもののステーキとパン。それだけで十分だった。
外は春の陽気に包まれていたが、風がまだ冷たく、
終日外にいることは不可能だった。
そして僕がとった行動は、風を遮り、
日光を効率よく浴びることができる、自動車内での読書だった。
2時過ぎから6時まで、4時間もの間、一心不乱に読書をした。
車内は汗ばむほど暑く、その点では僕の考えは間違っていなかった。
何しろ自分の判断や行動にまったく自信がないので、
何が間違っていて何が正しいかの見極めがついていない状態なのだ。

こういった状態をただやり過ごすだけで、いいのかという疑問はある。
でも仕方がないことだってこの世にはたくさんあるはずだ。
もちろんそれで済まされないこともあるけれども。
「ロング・グッドバイ」をずっと読んでいるせいで、
気持ちは少し大きくなっている。
フィリップ・マーロウよろしく、何かを達観しているような。
しかしながら僕には死を恐れない勇気もないし、
すべてを理解したような経験もない。
人生というものを
この歳になって初めて歩いている気さえしているルーキー。
小説の中の出来事を現実にまで投影していまうようなことまでは
しないと思うけれども、何かどこかで現実を受け入れたくない自分も
存在していることは確かだ。

読書をしていた場所、つまり自動車を駐車させていた場所は、
終日日光が差し込むことを考慮し、近所の大型スーパーの屋上だった。
そこに着いた時から、何十台かの車が停まっていたが、
僕と同じ頃についたガス会社の自動車に乗ったスタッフは、
おもむろに運転席の背もたれを倒し、昼寝を始めた。
それから何度か気になって見てみたが、実に3時間近くそこに車を停め、
携帯電話を眺めたりしながら、時間を浪費していた。
僕にはただただ過ぎ行く時間をやり過ごしているような風にしか
見えなかったけれども、彼には彼なりの事情があって、
今そこにいるわけだし、きちんとした勤務状態を
続けていたからこその行動だったのかもしれない。
それに彼はれっきとしたサラリーマンで、僕は無職だ。
そこに決定的なものを感じてしまうのは、
僕がかなり疲弊しているからだろうか。
次々と車が屋上に滑り込んで来た。
車内で食事を摂る会社員や、携帯を手にする男。
どうやらここは人目につかない、
開放感を満喫できる場所として機能しているようだった。
店舗のスタッフが、僕が滞在していた4時間の間、1度掃除に来た。
初老の男性で、手には箒を持っていた。
そんな彼だってやるべきことをやっている。

僕は何も自己憐憫をしているつもりはない。
ただこうやって比較している自分に正直驚いている。
今までこのような比較などしかことがなかった。
自分には確実に自分の人生があったし、
そのことに対して何の疑いもなかった。
それがどこでどうボタンを掛け違えたのか、
今こうしてスーパーの屋上に平日たたずんでいる。
小説の主人公ならまだしも、
現実生活においてそれがどういうことを意味しているかを
僕は身をもって体験しているわけだ。
そしてそこからもう逃げることはできない。

帰宅後、HDDに録画してあった映画を観た。
「靴に恋して」。スペインの映画だ。
すでに2年前に録画してあったにも関わらず、初めて観る映画だった。
複雑に人生が交差している構成で、
最終的に主人公だった女性はとてもキュートだった。
登場人物は皆どこかに暗い影を持ち、
人生は重くのしかかっているように見えた。
けれどもラストでは、美しいリスボンの街をバックに、
前向きなエンディングを迎えていた。
誰の人生にもハッピーエンドが訪れますように!

午後9時近くになって、ようやく空腹感がやって来た。
先程まで車を屋上に停めていたスーパーに行って、
夕飯の買い出しをした。思い切って多くの食材を買い込んでみた。
でも僕が選んだのは「50%引き」のシールがはられたものばかり。
こうやって惨めになっていくのだろうか。

刺身、生姜メカブ、特売の焼きそば、バナナ。
肉野菜炒めもどきを自分で作ってみて、
彼女には刺身を食べてもらった。
帰宅した彼女に相変わらず笑顔はなく、
特段刺激的な会話もなく、夜は過ぎて行った。
僕は胃袋を小さくすべく、あまり満腹にはしなかった。
それがいけなかったのだろう。夜遅くには空腹感が襲って来て、
仕方がないので、お菓子を一切れ口にした。
くだらないデートを提案するくだらないテレビ番組を見て、
HDDに録画してあったバラエティを2本も2人で一緒に見た。
土曜日の明日は僕にはやるべきことがあった。
祖母の家の引っ越しの手伝いだ。
彼女は還暦を迎えた父への買い物に朝早くから出かけるらしかった。
そう告げた彼女に、僕はもう一緒にいたくないんだな、
という空気を感じ取った。
2007/05/12(土)
祖母の家の片付け』
彼女はいつもより早起きし、急いで支度をして、あっさりと外出した。
よっぽどこの部屋の重苦しい空気から脱出したかったらしい。
確かにこの1ヶ月は、
2人でいてもあまり楽しくはない状態が続いている。
何ら建設的な会話がないのだから、一緒にいても楽しいはずがない。
しかしこうした状況を作り出したのは、紛れもなく僕自身で、
おまけにその僕ですら、どうしていいのかわからない。
いや、本当はわかっている。
僕は一刻も早く次の仕事を見つけ、
彼女の信用を勝ち取らなければならないのだ。
彼女は何度もこの言葉を口にする。「私といても重荷になるだけ」
まったくもって彼女は正しい。
僕はどこに向かって生きているのかわからない。

外は5月だというのに相変わらずの寒さだった。
それに今日は祖母の家に駐車場がないせいで、
自転車での移動が課せられている。
十分に厚着をして、午前10時半に家を出発した。
半分期待をこめて祖母の家までの途中にある実家に立ち寄ってみた。
するとまだ母や妹や甥は出発する前だった。
それは僕が車に同乗できることを意味していた。
母は気を利かせて「2時までに祖母の家に来て欲しい」と
言ったにもかかわらず、
僕は11時前にはもう家を出ていたのだから間に合うはずだ。
朝起きてからどうも胃の調子が悪かった。
歯磨きをしている最中には嘔吐感もあった。
実家でトイレに行きたかったが我慢した。
直前に妹が大便をしていて「臭いからね」と念を押されていたからだ。
出発する時間が近づいていたこともその要因だった。
僕の腹部は常に違和感とゴロゴロといった異音に包まれていた。
そんな中、4人を乗せた車は祖母の家に向かい、10分後到着した。

母の母である祖母は昨年の夏、独り住まいの自宅で倒れ、
頭から血を流しているのを近所の人に発見された。
救急車で運ばれ、精密検査を受けた結果、
頭には異状がなかったけれども、
倒れた拍子で足の付け根を骨折したようで、
本人の意識ははっきりしていた。
僕は母からその一報を聞き、すぐに病院にかけつけたが、
大事には至っていなかったので安心した。
運び込まれた病院に、そのまま入院することになった。
そこは一昨年まで母がガンで入院していた病院だった。
母の妹が仙台から見舞いに来たり、
僕も頃合いを見ては彼女と一緒に見舞いに行った。
祖母は昔に比べればはるかに縁遠い存在になっていた。
昔は僕が初孫だったこともあり、とてもかわいがってくれていた。
僕が大学生の頃に足を骨折した際には、
祖母の家に寝泊まりしていたこともあった。
僕の自宅がエレベーターなしのマンションの5階だったからだ。
それから骨折が癒えたあとも、
学校を抜け出して突然昼食をご馳走になりに行ったりした。
祖母はいつでも僕の味方だった。
そんな祖母が今、入院先を転々とした結果、
いわゆる老人ホームに入ることになったのだ。
自宅の階段の昇降ができず、一人で生活することが困難になったからだ。
祖母は一人で住むことを好んだし、母や叔母との関係は冷えきっていた。

今日は祖母の家からホームに持ちこむものを選び、
運送屋さんに運んでもらう日だった。
スタッフを1名しか頼んでいないので、
箪笥を運んだりするのに男手が必要だということで僕が呼ばれた。
僕は当然それを引き受けたし、むしろ肉体を酷使したかった。
ところが2時までには相当の時間があり、
僕は今年小学校に入学した甥の面倒をみるため、
甥と一緒に外出することになった。
甥と2人きりで外出するのはこれが初めてではない。
以前は2人で映画も観に行ったし、ドライブもした。
ところが僕が前職で激務だったせいで、なかなか会えずにいた。
今は会おうと思えばいつでも会える状態に僕はいて、
そのことは彼に喜んでいた。

そういえば先週の土曜日も同じようなことがあった。
先週も祖母の家の片付けをしていた。
僕は6歳の甥と近所の公園や古本屋に散歩にでかけ、
1時間程度一緒の時間を過ごした。
甥にはそれがとてつもなく嬉しかったらしく、今日も、となったのだ。
同じ公園にもう一度、とも考えたのだが、
それではあまりにも芸がないと思い直し、
少し遠くの大きな公園で開催されている
フリーマーケットに行くことにした。
外は冷たい風が吹いていた。
僕と甥は2人で並んで川沿いの道を歩いた。
甥は僕のポーズを真似するように、
両方のポケットに手を入れて、風を切って歩いていた。
2人並んで歩くその光景は僕には微笑ましかったし、おそらくは
誰の目から見ても正真正銘の親子にしか見られないことだろう。
僕は43歳で甥は6歳。僕が37歳の時にできた子供だということになる。
それは世間的にはむしろ遅過ぎる子供ということなのだろうけれども、
現実では僕には一人の子供もいない。

僕は子供の気持ちを理解できる自負があった。
何故かはわからないが、子供の目線や考え方と同じレベルまで
自分を持って行くことができるのだ。
どんな子供でもすぐ僕と仲良くなるし、
そのせいで妹からは「保父さんになれば?」と言われたこともあった。
子供が大好きだった。でも子供は持てなかった。
前妻がそれを拒否したからだ。
「○○ちゃんのお母さん」と呼ばれる存在になることに、
前妻は激しく抵抗していた。
そのことも一因で、僕は4年前に離婚した。
前妻とは時々だが会っている。
彼女の出演している芝居を僕が撮影に行くときにだけ。
彼女は女優で、僕はテレビのディレクターだった。
慰謝料のつもりで僕は舞台撮影の仕事を離婚後も引き受けていた。
独身となった彼女は自由奔放に活躍の場を広げ、
今では業界内で確固たる地位を築いていた。

そんな前妻の住むマンションが見える公園に僕と甥は到着した。
僕の胸中に様々な思いが交差した。
子供がいない自分、別れた前妻、そして今自分が置かれている状況。
今の僕の彼女はおそらくもう子供は諦めているのだろう。
僕が約束を果たせなかったから。
2人の話し合いで僕と彼女は今年の6月に結婚することになっていた。
そして来年の4月に子供を産む予定だった。
今思えば、そんな夢のような話し合いが
現実に進行するはずもないことくらいわかる。
ただそれを約束した頃は、
まったくそれがおかしいとは思っていなかった。
ところが僕は昨年の9月に約20年働いたテレビ局を退社し、
友人の経営するデザイン会社に誘われるがままに入社した。
そして5日前の5月7日、
たったひとつの殴り書きの置き手紙を残して僕はその会社を去った。
4月8日、2人は普通の日曜日を過ごしていた。
その生活が僕の「会社を辞めようと思っている」という発言から、
崩壊し、今では僕は「裏切り者」のレッテルを貼られている。
すでに34歳の彼女にとって、
今回の約束は人生最大にして最後の賭けだった。
高齢出産、ぼくの年齢や体力、両親の介護、
それらを総合して彼女は現実的に判断していた。
一方、僕はおそらくは何も考えていなかった。
ただ単に辞めたかった。
その気持ちはきっと僕以外の誰にも理解できないと思う。
前職のデザイン会社は僕のいるべき場所ではなかった。
その気持ちだけではもちろんないが、
僕はそこから結果的に逃げ出していたことになる。
そしてその後片付けさえ、まだしていないただの馬鹿者が僕なのだ。

今ならよくわかる。僕は本来辞めるべきではなかった。
前々職も前職も。
ただしかし死にものぐるいで働く決意が僕にはなかった。
その覚悟の曖昧さが彼女の人生を狂わせてしまったことに
僕はとてもいたたまれなさを感じている。
自分の弱さだけならまだしも、
自分以外の人生を犠牲にしてしまったことは、
正直どう償っていいのか、皆目見当がつかない。

甥とのフリーマーケットは、続く。
途中、僕は何度も甥に尋ねた。「疲れた?」「寒くない?」
その問いに対して、いつも甥は「大丈夫」と答えた。
半分は強がりだったのだろう。
僕ですらその日の風は冷たく感じられたし、
かなり長い距離を僕らは歩いて来た。
僕の心の中には、甥が何かを欲しがったら
素直にそれを買ってあげようという気持ちがあった。
けれども甥はまるでそれを拒否するかのように、
売場と離れた方をひたすら歩くのだった。
きっと幼心に遠慮しているのだ、と僕は思った。
いくつかの店の前を通り過ぎ、
子供用の対戦型カードが多く陳列されている店の前に来たとき、
甥の顔がパッと輝いた。
そこには本当に多くのカードが並んでいるというより、
箱の中に積み重なっていた。
そしてたくさんの甥と同じような年代の子供達が群がり、
一心不乱に自分の持っていないカードの品定めをしていた。
しかし何故か気弱な甥はその中に
すすんで飛び込んでくようなことは決してしなかった。
おとなしく品定めをしている子供達が去るのを待ち続け、
周囲をうろうろ彷徨うばかり。
僕は甥の精神的弱さを見たような気がした。
同時に自分の姿もそこに投影していた。
「見せてって言って一緒にみせてもらいなよ」と僕は甥に言った。
「いい」と甥は言った。
「ダメだって」
僕は半ば強引に甥を引っ張り込んで、一緒にカードを物色した。
態度で示さないとわからないのだと、
その時は本能的に判断したのだろう。
甥には父親がいなかったし、父性をどこかで僕が示す役割があった。
それがこの時とばかり、僕は一緒に甥の目指すカードを探し始めた。
「エレメンタル・ヒーローを探すんだよ」
元気に叫ぶ甥に僕は少し嬉しくなり、真剣にそのカードを探した。
カードは20枚1組で100円のと、11枚1組で100円のものがあった。
どうしてその差があるのかは僕にはわからなかったけれども、
甥の探しているのは20枚1組の方に属していて、
甥はすでに5セットを手に持っていた。
店の女性がこう誘いかけて来た。「5個買えば1個おまけしますよ」
僕はその言葉に乗って、甥にこう告げた。
「あと1個選びなよ。それをおまけしてくれるって」
「わかった」甥は再び目の前のカードの山に手を入れ始めた。
けれどもなかなかその残りの1組が見つからなかった。
探しても探してもそれはあらわれない。
甥の表情がどんどん曇って来た。「ないなぁ」
そこで僕はこう言った。「じゃあ5個でいいよな」
「でも1個おまけなんだよね?」と甥。
「だって探したけど、欲しいのなかったんでしょ?」と僕。
「うーん」甥はさすがに困っていた。
その感覚は僕に幼い頃の記憶を蘇らせていた。
何かに制限があって、それを我慢しなければいけない瞬間の感覚。
自分で払えるお金がないので、
どうすればいいのかわからなくなってしまう感覚。
甥の表情からそれが手に取るようにわかり、心が痛くなった。
すると甥はこう言ったのだ。「じゃあ2個でいいよ」
僕は驚いた。おそらく甥はおまけがつかなくなることの躊躇いから、
節約へと気持ちを入れ替えたのだ。
それはおそらく僕の妹の教育なのだろう。
そしてその言葉は僕に鋭く突き刺さった。
無職である僕には
甥に節約することまで強制してしまっているような気がしたのだ。
涙が流れて来た。本当に悲しかった。自分で自分を追い込んだのに。
今週1週間で遣ったお金は、履歴書代の150円と、
昨晩の夕食の材料の910円だけだった。
これまでの自分では考えられないほどの少額しか遣っていなかった。
どこかで節約しなければ、という気持ちがあったのだろう。
昨晩も半額のシールを探し求めている自分がいたくらいだったから。
そういったものが甥に伝播しているのか。妹がそう説明していたのか。
とにかく甥は2個でいいと言い張った。
僕は涙を拭き、次に出てくるのを必死にこらえていた。
妹がいつも1個にしなさいと言い聞かせていたのかもしれなかった。
でも僕はこう言った。「じゃあ3個買ってあげるよ」
甥は嬉しそうだった。
そして間髪入れずに、「じゃあこれとこれ」と3つ選んだ。
僕は300円を店の女性に支払い、
僕らは60枚のカードと共に歩を進めた。

祖母の家からすでに地下鉄の駅にして2つの駅を歩いてきた。
フリーマーケットの会場の終わりが見えて来た。
さすがに疲れたと思い、甥に尋ねたが、
甥は疲れていないけど座りたいと呟いた。
僕はやっぱり疲れているんじゃないか、強がりを言って、と思った。
近くに小さな公園を見つけたので、
甥とその中にあるベンチに腰掛けた。
すると甥は真っ先に白いレジ袋に入っていた
60枚のカードを開け始めた。
表面しか見えないそのカードの残り19枚ずつに何が入っているのか。
甥はそれを一刻も早く確認したかったのだ。
僕は何だか知らないけれど、また泣きそうになっていた。
今度はさすがにこらえたけれども。

ここしばらくの様々なダメージで涙腺が緩んでいるわけではない。
僕以外の純真無垢な甥という人間を前に、
自分の薄汚れた人生を顧みていたのだろうと思う。
何も考えずに生きてこられた幼い頃。
ただ僕の場合それが実に43年にも渡って繰り広げられて来た。
多くのものが一瞬のうちに去来して行った。
幼い頃の自分、学生時代の自分、
社会人になってからの自分、そして今の自分。
カードを一心不乱にながめる甥を横に、
僕は人生の何かを少しだけ理解した。
本当は僕にも甥のような子供が必要だったのだ。
それを僕は真剣に考えることなく、ただ今が楽しければいい、
その気持ちだけで生きて来た。そのツケが回って来たのだ。
もっと将来的な展望を考えなくてはいけなかった時期に、
僕は音楽や映画や文学のことを優先して考え、
常に一緒にいる女性を中心に生きて来た。
その女性との関係性こそが僕の人生と言っても過言ではないくらい。
その点では僕はとても素敵な男だったのだろうと自分でも思う。
でもそんなのは本当の優しさではない。
そのことにもっと早く気付くべきだった。

カードの中には特別なものはなかったようだった。
甥は少し残念そうな表情をしていたが、
40枚だかしかない英雄のカードのうちの半分程度を
今日の3枚の合算で集めたことになるらしく、
そのことで少しは満足していた。
そして僕らは祖母の家に戻ろうとした。
胃は相変わらず変な音を立てていた。完全な消化不良だった。

フリーマーケット会場の半分まで戻ってきたときに、
僕の携帯が鳴った。妹からだった。
「昼食を食べに行こうと思うんだけど、いまどこ?」
「公園のフリーマーケット。もう駅まで来ちゃった」
「じゃ車で迎えに行く」
「文学館で待ってる」
僕と甥は寒さをしのぐため、文学館の中で妹の到着を待っていた。
かなり寒かった。インド人らしい家族3人が
マフラーをしながらロビーでお菓子を食べていた。
しばらくして僕は外で待っていようと思い、
「行くぞ」と甥に告げた。
すると甥は「寒いから中で待ってようよ」と答えた。
やはり甥は寒かったのだ。
それを口に出せば家に戻らなければいけないと思い、
その言葉をずっと心の中にしまいこんでいた。
僕はまた何故か泣きそうになっていた。
そうやって子供から得られるものがある。
妹はかけがえのないものを手に入れたんだ。
そのために多くのものを犠牲にして。
それでもなお逆境にみんな立ち向かって真摯に生きている。
自分だけが苦しいんじゃない。
みんな苦しいのを顔にも出さずに生きているんだ。
迎えに来た妹の車に同乗していた母からの携帯での到着の連絡で、
僕と甥は外に出た。

昼食を食べる食欲は僕にはなかった。感慨に耽っていたからではない。
本当に胃腸の調子が悪かった。
自分の体調管理くらい自分でしなければいけない。
そのくらいわかっていた。でもさすがに今日はおかしかった。
母と妹と甥の3人が祖母の家の近所のパスタ屋で
1時頃に昼食をとっている間、
僕は後片付け最中の祖母の家のソファーで横になって、
さっきまで僕の身に起こっていた出来事を振り返り、かみしめていた。
それからトイレで大便をすると、途端に空腹感に襲われた。
3人が戻ってくるころには、
もう運送屋さんが来る時間近くになっていた。
昼食を諦めた僕は、ほどなく来た初老のドライバーを手伝うべく、
箪笥や布団などを手際よく運び出し、積み込み終わった後は、
車で5分ほどの老人ホームに向かった。
そしてまた運び出しを手伝い、今度は室温の高い部屋の中の
主役である介護用ベッドの組み立てに着手した。
空腹感はピークを過ぎていた。

すべてが終わったのは午後4時。
それからまた祖母の家に戻り、今度は灯油タンクから
ポリタンクへの灯油の積み替えを妹と共同作業で行ない、
油まみれになりながらも午後5時半にそれらを終え、
ポリタンクを積んだ妹の車に揺られながら、実家に戻った。
途中で自転車に乗り換えて自宅に戻った。
妹らは車でタンクを運んでくれた。僕の方が少しだけ早く着いた。
物置にタンクを入れ、3人は手を振って帰って行った。暖かい家庭に。

僕は一人で4階の自宅に戻った。彼女はまだ戻って来ていなかった。
古くからの友人から「弟が出した本を贈呈します」と
写真集が送られて来ていた。それはすぐに目にする気分ではなかった。
僕はまた同じ格好で外に出て、
ポリタンクから灯油を移す赤いポンプを買いに、
実家の奥の方にあるホームセンターに向かって再び自転車を漕いだ。
本当はそんなものは欲しくなんてなかった。
おそらく近所のスーパーでも売っていた。
ただ妹の一言、「ホームセンターの方が100キンより安いよ」
それだけが僕を動かしていた。
少しでも安い方に。引っ越し作業はしたが体力はまだ余っている。
時間もたっぷりある。
けれども何より一番の理由は、もう一人で家にいたくなかった。
加えて彼女との2人の時間は苦痛以外の何ものでもなかった。

僕はうす暗くなった5月の寒い夕暮れに自転車を走らせた。
途中で公園に寄って、ベンチに座って時間をやり過ごした。
時間を確認しようと携帯を手にした瞬間、
メールの着信音が同時になった。彼女からの携帯メールだった。
「これから帰ります」
彼女が朝出かけてからすでに8時間が経過していた。
きっとまた一人で悩み苦しんでいたに違いない。
「僕ももうすぐ帰ります」と僕は返信した。
「了解です」とすぐに返信が来た。
それから僕はポンプを探し、ほどなく見つけ、98円で購入し、
かばんに入れて自宅に戻った。
ゆっくりと、ゆっくりと。

自宅にはすでに彼女が戻っていた。そして夕食を作り始めていた。
僕が昨日買っておいたホッケ。半額のものだ。
食事最中、案外会話が弾んだのには驚いた。
彼女がそんなに話すとは思わなかった。
僕はどうにも他人に会話のペースを影響される嫌いがあり、
自分からそのペースを作り出すようなタイプではなかった。

夕食後、僕の提案でお汁粉を作ってもらい、2人で食べた。
かなり甘かった。
それを食べ終えた後、彼女の口から怒濤の言葉が溢れ出した。
「私は6月で今の職場を辞め、実家に帰る」
「あなたのとってきた行為にはもううんざり」
「私はそれほどお人好しではない」
「いつも言葉だけ」「態度で示していない」
「これからどうするということを一切聞いていない」
「信用を取り戻したいのならとにかく行動で示してほしい」
すべてが正論だった。僕は下を向いて頷くことしかできなかった。
そして子供の話に話題が移ったとき、
今日甥とのことで起こったこと、
感じたことを話そうと思った瞬間、僕は号泣した。
さすがにこらえられなかった。
職を失い、彼女を失い、そして将来まで失った。
何を生き甲斐にこれから生きていけばいいのか、わからなかった。
2人で多くのことを語り合った。
もうこれはここ最近では恒例の行事のようになっていた。
でも今回は最後通告だった。
彼女は今日、街に出て、多くのことに整理をつけてきたらしかった。
堰を切ったように話し出したその言葉には、
今までにはない重みが感じられた。
反論の余地がなかった。僕はすべてを失うべくして失ったのだ。
そしてそのことに今の今までまるで気がつかずにいた。
会話の途中で「天然」という言葉が何度も登場した。
この言葉は今夜が最初だった。
そう、僕はまるで将来を予想できない、
そうなってみないと真剣に考えられない天然ものだ。

深夜1時。彼女が歯ブラシを差し出したことで、会話は終了した。
2人でベッドに入ってからもまだ話は続いたが、
2時に彼女は向こうを向いて寝息を立て始めた。
僕は結局3時まで眠れなかった。
いつまでも会話がリフレインしていた。
彼女の最後の言葉はこんなものだった。
「結婚、離婚、不倫、そして同棲。フルコースを堪能したわ」
最後のは僕とのことを意味していた。
2007/05/13(日)
不幸な自分を演出しているのだろうか。』
昨日は遅くまで起きていたにもかかわらず、朝は8時に目が覚めた。
そしてこれから僕が「やらなければいけないこと」を想像した。
それからその後起きるであろう、最悪の状態を想像して、身震いした。
もし今頭に描いている再就職のプランが
どれもことごとくダメだったとしたら。
恐ろしくて寝てもいられないかった。自殺する自分をも想像した。
起きて居間のソファーでまた考えたが、恐くて恐くて仕方がなかった。
みんなこのような経験を経て、平気な顔をして生きているのか、
と考えると不思議でならなかった。
僕が弱すぎるのか。それはわからない。
ただ強くないことだけは明らかだった。

シャワーに入った後、何日かぶりに髭をすべて剃った。
僕が態度で示した初めての行動とでもいうように。
あとから起きて来た彼女と、友人から送られて来た写真集を眺めた。
そしておもむろにPCに向かい、僕は日記を書き始めた。
彼女は昼食に焼きそばを作ってくれた。
僕は小説を書いていることを説明し、少しだけ会話が成立した。

それから僕は何時間、こうしてキーボードを叩いているのだろう。
思考をすべて叩き付けるように。
書いている途中で競馬中継を何分間か見た。
コイウタが勝ち、先週に続き200万馬券の波乱だった。
もう競馬なんてできる身分ではなかった。外には雨が降っていた。
今日は叔母が仙台からやってくる日だったが、
それは見過ごすことにした。
これ以上人に惨めな姿をみせたくない。
昨日も祖母の義理の妹に髭面の顔を見られたばかりだ。

僕は不幸な自分を演出しているのだろうか。
こうやって文にしていることもその一環か。
わからない。ただ他にするべきことを見つけられていないだけ。
また2人だけの静かな沈黙の時が流れた。
何も考えていないわけではないが、
何かを考えても無駄なような気もした。
行動こそが今求められていることは百も承知だった。
そしてあまりにも深く考え過ぎることも、
実はいけないことだということも承知していた。
ただ黙って時が過ぎるのを待っているのだけは、性格上許せなかった。
明日からは頭をよぎったことを実際に行動に移そうと心に決めていた。

僕が先日、気分転換で上京した際に購入して来た、
DEAN&DELUCAのミントのことがきっかけで
彼女とネットサーフィンを楽しんだ。
何だか彼女は開き直っているように見えた。
昨日、あれだけ思いのたけをぶちまけたからかもしれない。
僕も少し開き直るくらいの精神的余裕ができればいいのだけれども。
やはり誰からもメールは来ていなかった。
ほとんど誰しもが僕の今の状況をわかってはいない。
わかっていたとしても連絡などしてはこないだろう。
僕はこれまであまりにドライな人間関係しかしてこなかったから。
今そのことを痛感している。

夕食の買い出しに彼女と雨の中出かけた。
今日外に出るのは初めてだった。
梅ジャコチャーハンを作ってもらって、美味しく食べた。
1人でなくて良かった。彼女がいてくれて良かった。
2人でテレビを見た。
じっと苦しい時が過ぎ去っていくことを待っているかのようだった。
居間にあるデジタルの時計は、
今この瞬間がもう2度とやってこないことを示していた。
本当はやり過ごしてなんかいられないのだろう。
僕はもっともっと多くの人に会ったり、話をしたり、
自分自身を見つめ直さなければいけない。
しかしながら何より今は行動だ。
そうしないと僕は仕事のほかに、
応援してくれている彼女までも失うことになる。

早めの就寝。2人でベッドに入った。
ここのところ、僕も彼女も深夜になっても眠くならない。
その代わり朝はものすごく眠い。
もしかすると睡眠障害なのかもしれないが、今晩もまた同様だ。
食後は眠く、寝ようとすると眠くない。
いつものように会話が始まった。これも最近の恒例になっている。
まだ会話があるだけ、僕は救われているのだけれど。
そして僕は決意を言葉に出した。
「明日から頑張るから。何をしたか報告するね」
「ありがとう。無理しないでね」
彼女は突然抱きついてきた。その勢いにものすごく驚いた。
彼女に信じられているという実感がこみあげてきた。
本当に今こそがんばらなければいけないと思った。
今がんばらないで、いつ頑張るのだ?
今こそ強くなるように神様が与えた試練。
ここを乗り越えてこそ初めて真の幸福を手に入れることができるはずだ。
彼女の強い抱擁が引き金になって、僕の欲求に火がついてしまった。
激しいセックスのあと、泥のように眠る2人がいた。
2007/05/14(月)
昨晩彼女と約束したことを』
実行にうつさなければならない。
その気持ちだけが僕を占拠していた。
しかし特段誰と約束をしているわけでもなく、
何をするのかも決まっていない。
それを決めるのはすべて自分で、誰も決めてはくれないのだけれども、
それでもまだ僕は甘えのせいか、まだどうにかなると信じていた。
僕以上に不幸な境遇の人は世の中に山ほどいる。
借金だったり、犯罪だったり、事故だったり。
それに比べて僕はまだ恵まれている。
約20年働いて来たので、それなりの蓄えが僕にはあった。
それに頼っているわけではないが、
どこかでその存在が僕を救っていた。
まだ窮地には追い込まれていない。まだ考える余裕がある。
どこでもいいから日銭が欲しい、
といった危機的状況にはなっていなかった。
僕に課せられているのは、
どちらかというと彼女の信頼を勝ち取ること。
結果的には双方叶えることにはなるのだけれど、
モチベーションとしては後者の方が圧倒的にリアルだった。
それは僕がまだ甘いということを証明している。

午前はゆっくりと時間が過ぎた。
友人に写真集のお礼の手紙を書いた。
今の状況も少しだけ終わりの方に書いておいた。
久しぶりにペンで自分の肉筆を見たような気がした。
そして久しぶりに誰かに向かって
客観的に文章を書いたような気もした。
するといきなりの空腹感に襲われ、
昨日の昼食の残りの焼きそばを作って食べた。

今週、僕がやるべきこと。
それは消去法的に自分の選択肢をあたっていくこと。
その優先順位の一番手として、
まずは工場に行ってみることにした。
そこは僕の住む市の隣の市にあり、
前職で外注に出していた会社だった。
それなりの歴史と資本金があり、従業員も多かった。
そこは今回の大きなポイントだった。もう少ない人数の会社で
公私の区別がないのにはうんざりしていたからだ。
一番気になっていたのは、通勤手段だった。
そこは交通手段が何もなく、
自動車でしか通うことができない場所だった。
これまで車通勤をしたことがなかったので、
いったいどういった道路事情で何分かかるのか、
それをまずは確かめたかった。
それを人は余裕と呼ぶかもしれない。
そんなことより当たってくだけろじゃないかと思うかもしれない。
そういった意味でやはり僕はまだ
切羽詰まった感覚になっていないのだろう。
それがいつかはやってくることを知っていながら。
僕はその会社の支店長を知っていたが、
まだ何も連絡はしていなかった。
本来は会う約束を取り付け、事情を話し、
サイトで見つけた求人情報を切り出すといった段取りが正式なものだ。
だが僕は求人情報にあった年齢制限を大きく超えてしまっている。
そこを支店長権限で何とかしてもらいたいと思っている自分、
それ以上に、本当に僕はこの会社で仕事をしたいのか
と思ってしまっている自分、
すべてに何だか納得できていない部分があり、
それが僕を逡巡させている要因だった。

車に乗り込むと案外車内は暑かった。
午後1時半に出発し、何も迷うことなく会社に到着した。
約25分。妹も同じ方向で車通勤しているが、13分と言っていた。
案外近い。途中でコンビニは2軒。
すでに入社した後の昼食のことを考えていた。
工場は3階建てな巨大な建造物で、事務所は階段で上る3階にあった。
駐車場では作業服のスタッフが車両のライン引きをしていた。
そのような作業はお手の物なのだろう。
ただあまり質のいいスタッフのような気はしなかった。
従業員用の駐車場にはところどころ水たまりがあり、
舗装がいびつになっているようだった。
勇気を出して支店長を呼び出してもらおうかとも考えたが、
それはあまりに尚早だ。
確かに今日は久しぶりにきちんとした身なりをしているし、
髭もちゃんと剃っている。
それにしてもいきなり手ぶらでやって来て、
雇ってくださいはないだろう。
今までは外注先と発注先という間柄だったのだ。
1階と2階は工場で、
専門的な職人でないと動かせないような特殊な機械が並んでいた。
きっと冬は寒く厳しい環境なのだろうということは想像できた。
工場の周辺にはまだ雪も残っていて、自然に溢れている。
かっこうの鳴き声まで聞こえた。
車に乗り込み、帰ることにした。
途中で友人の勤務している仕出し弁当屋の車とすれ違った。
何をしにきたのか自分でもよくわからなかったが、行動だけはした。

帰路で4月から転職した妹の勤務する学校に立ち寄ってみた。
そこは一種のコロニーを山奥に形成しているようだった。
そしてそのまま帰宅した。
何もしていないのに何だか疲労感だけがあった。
階上で父の歩く音がしたので、顔を出してみることにした。
前日まで父は名所に花見に行っており、その間に来客がドアノブに
山菜をたっぷり届けているのを僕が連絡していた。
それで今朝父とは電話で話していた。
父の家に入ると、父はその山菜を大量に煮ている最中だった。
僕にも少しくれるという。
そう言いながら「こごみ」の筋をとる作業を父はひたすらしていた。
何故だか知らないけれど、僕はそういった単純作業を突然したくなり、
手伝うと言いながら、結局その作業に没頭してしまっていた。
父は途中からテレビを見ながら、好きな酒を飲み始めた。
僕は今晩訪問予定の病院の話を切り出した。
その病院は開業したばかりで、僕は前職で一緒に立ち上げに関わった。
挨拶がてら、何か僕にできることはないか聞いてみようと思ったのだ。
実は父は一昨年まで病院の事務長をしていたので、いろいろ質問した。
「病院の事務って何をするの?資格はいるの?」などなど。
父はそれに丁寧に答えてくれた。
そして「お前みたい(な説明のつかない業種)のは難しいなぁ」
とつぶやいた。
サッカーや大相撲など当たり障りのない話題がつきると、
徐々に会話がなくなった。
こういう環境になるまで、僕は父とそれほど交流をしていなかった。
父は酒を飲まないとほとんど話をせず、
酒が入ると話にならないほど酩酊する男だった。
僕は筋をとる作業を淡々とこなした。100本以上あったかもしれない。
水の中に何度も入れた手は冷えきって、
ずっと立っているせいで腰が痛くなった。
その作業を最後までやり遂げないと、
自分がダメになってしまうような気がした。
父の家に行ったのが4時すぎで、
テレビではもう大相撲が終盤を迎えていた。
途中、父から連絡を受けた妹が山菜を採りに来たが、
とても疲れているようだった。
6時過ぎ、山菜の天ぷらを後で取りにくる約束を交わし、
いったん自宅に戻った。
そしてじっくり今晩の予定を考えた。

病院で僕の居場所は見つけられるだろうか。
まったくの異業種で僕はやっていけるのだろうか。
ただその病院は前職で嫌と言うほど関わっていたので、
スタッフはほとんどわかっている。
まったく知らない場所でない分、やりやすいのは確実だった。
ただいきなり雇ってくださいというのは唐突だ。
何しろまだ僕が前職を辞めたことすら知らないはずだ。
まずは退職の挨拶をと考え、それを機に話をすすめてみようと思った。

手頃な手土産をスーパーで買い、7時の閉院にあわせて車を走らせた。
院長がすべての作業を終えるまで、
結局1時間半以上待つことになった。
その間、頭の中では文字通りの筋書きが浮かんでは消えて行った。
「お疲れのところ、突然お邪魔して申し訳ありません。
少しだけお時間よろしいでしょうか?
実は急なお話なのですが、前職を退職することになりましたので、
ご挨拶におうかがいいたしました。つまらないものですが、
これをみなさんで。退職の要因は業務形態の見直しです。
うまく機能しなかったようです。
僕はこれまで20年、実はテレビのディレクターをしていましたが、
昨年の10月に友人に必要だからと誘われ入社しました。
本当にこちらとは楽しくお仕事させていただきましたし、
貴重な経験になりました。ありがとうございました。
これからのことは何も決まっていません。
こんなお願いは滅相もないのですが、
何かこちらでお手伝いできることはありませんか?
病院勤務の経験はありませんが、
一般的な患者からの視点でお力になれると思います」
このようなストーリー。
前半部分はうまく言えた。
しかし後半は必要以上に言葉がでてきてしまい、
うまく論理的に話せなかった。
それ以上に、「こちらで何かお手伝いできることがあれば」
「お声をかけてください」という口調にすりかわっていた。
質問をするつもりだったのに、お願いに変わっていたのだ。
これでは相手も「そうですね」で終わってしまうだろう。
でもさすがに何のアポもなしでこのような話をされ、
院長ともう一人のスタッフは驚いた様子で、
初めの数分はお互い立ったままで会話が進んでいたくらいだった。
僕はこことの仕事では全力を尽くしたつもりだったし、
僕がいなければこのプロジェクトは
うまくいかなかったこともわかっている。
しかしその評価は賞与なしという冷たいものだった。
自分で「プロジェクトマネージャーとしては失格」と
口に出してしまったことが
このようなことになろうとは思っていなかった。
それは相手が判断することであって、
自分では胸にしまっておくことだったのだ。
それを僕は社長に毎月要求されていたレポートにも記していたし、
直接話してもいた。
僕はもっと自信を持って働いても良かった。
やることはやっていたのだから。

病院を後にした僕には、多くの後悔が残った。
ハンドルを握る手に力はなかった。気持ちもうつろだった。
空腹だったからもしれない。
外の風景にはまるでリアリティがなかった。
これで僕の選択肢が一つ減ってしまった。
すると助手席の携帯電話が鳴った。
出てみると先程の病院の院長からだった。
「プライベートのメールアドレスを教えてください」
ありがたい言葉だった。気にかけてくれているのだ。
タイピングができるか、ネット環境の整備ができるか、
そのことを少し彼は気にかけていた。
でもそれは一過性のものでしかなく、
あとは僕の提案能力にかかっている。

お腹だけは満たそうと、駅前のスーパーで
以前によく食べていた弁当を半額で買って食べた。
9時半に食べたその252円の夕食はとても懐かしい味がした。
3年前、前妻との離婚後、一人で暮らしていた頃の主食だったのだ。
ほどなく彼女が帰宅し、
帰宅前に立ち寄った父の家からもらってきた
タランボの天ぷらをおいしそうに食べていた。
そしていつものようにテレビを静かに見た。
日本一のタクシー会社の再生の話を放送していた。
世の中はどこも厳しい。格差社会は僕の所までやってきた。

恒例となった早めの就寝。
生活を少しずつ朝型にシフトしなければならない。
明朝は燃やせるゴミを8時半まで出さなければならないし、
8時から12時の間には、
彼女が通信販売で購入した化粧品が届くことになっている。
ベッドに入ったあと、今日のことをすべて彼女に報告した。
そうすることが信用を勝ち取って行くと思ったからだ。
ひとつ、まだ前職の社長との会談が終わる前に
退職の挨拶をしてよかったのか、
という点で納得がいかないようだったが、
僕はもう完全に退職したつもりだったし、
もう絶対に戻る気はなかったし、
おそらく社長にもその気はないだろうし、
何せ普通の会社ではなかったので、何ら退職規定もなかったため、
自分が今どういう身分のなのかは判別はできなかったが、
辞めたと思わない限り、次には進めないし、
すでにハローワークにも行ったのだし、
僕が今しているすべての行為がすべて無意味になる、
といったような屁理屈ともとれる言い訳で納得してもらった。
もちろん自分でもそう考えることも可能だということはわかっていた。
でも自己正当化しないと、本当に次に進めなかった。
進めないことがとても恐かった。
やさしい彼女に報いるためにも僕は強く生きなければならない。
彼女がいなければきっともっと堕落してしまっていただろう。
ありがとう。何度も彼女にささやいて眠った。
2007/05/15(火)
今この感覚を深く胸に』
今この感覚を深く胸に刻み込んで決して忘れないように。
働くことが生き甲斐であり、喜びだということを。
朝起きて何もすることがないことほど
惨めなことはないということ。
会社に行かなくなってたったの1週間、
ゴールデンウィークを入れても20日間。
こんな短期間で人間がダメになっていくのかと思うと、悲しくなる。
それが自分であることは、悲しさを通り越して笑いたくもなる。
もっと苦しめ。もっと苦しめ。
苦しさの中から本当の自分がわかってくる。

今朝は7時に目が覚めてしまった。
悪いことしか脳裏に浮かんでこないのだ。
ゴミを出して、準備をして、荷物が11時に来て、
ほどなく彼女が出勤して、
そしてまたPCに向かってすでに1時間半、
1日前の文章を打ち込んでいる。
何をすべきか、たったの1日ですでに失った。
何をしていいのか、正直さっぱりわからなかった。
自分が傷つくのにまだ怖がっているようだった。
もう失うものなんて何もないのに。
ダメもとで当たってくだけろしかないのに。
お腹だけは空く。何も動いていないのに。何も働いていないのに。
カップラーメンとご飯を胃に流し込む。
食べ物をいざ前にすると、大して空腹ではないような気もする。
何だか食欲がおかしな具合だ。

食後にいきなり、人材銀行なるところに行ってみようと思い立つ。
とにかく行動しないことには何も始まらない。
幸いここのところ好天に恵まれていたので、時間もあることだし、
その事務所の入っている駅付近のビルまで自転車で行ってみよう。
とりあえず防風のための重装備だけはしなくては。
いざ出陣。
心地よく風を切って自転車は川沿いのサイクリングロードを進んだ。
いつもはサイクリングロードの上を自動車で走っていた。
下に降りると見慣れない風景が広がっていた。
案外、川も近くを流れている。
遠くには中心部のビル群が見える。
もしかしたら結構早く着くのかもしれない。
僕の住む区から続くその川沿いのサイクリングロードには、
マラソンをしている若者や自転車で買い物に向かうであろう主婦、
それに釣り人やサッカーなどの余暇を楽しむ人が多くいた。

自転車をこぎ続けること25分。中心部に到着。
ここから川は東にカーブしているので、
ここで一般道路に戻ることにした。
中心部は川沿いよりも気温が高く感じられた。
中心街に来るのは久々のことだ。
一般道路を走ると信号や歩行者や自動車、
歩道の起伏などの障害物に数多く出会った。
普段感じることが無かったことだった。
ほどなく人材銀行へ到着した。
そこは40歳以上の専門職の求人を扱っているところだった。
ビルに入る所を誰かに見られやしまいか、
そんなわけのわからないことを感じた。
もう恥も外聞も何も無くしないといけないはずなのに。
しかしさすがに約10キロ以上の長距離をペダルを漕いできたせいで、
足がしびれ、喉が渇いていた。
近くのコンビ二でポカリスエットを買い、
事務所の向かいの役所の池の前で休むことにした。

午後3時近くになっていたが、
忙しそうな人達が街を闊歩しているのが目に入って来た。
なるべくそれらを視界に入れないように池に向かうベンチに座った。
人間慣れしている鴨や鳩が僕の周りをすぐさま囲み出したが、
僕には何も差し出すものがなく、そのまま放っておくと、
しばらく周囲をウロウロした後、
静かに池の向こう側の方に飛び去っていった。
ビルの2階にあった人材銀行のシステムは
当然ながら初めてだったのでわからなかった。
2、3人の来訪者がいたが、
彼らはベンチに座り真剣にファイルを覗き込んでいる。
おそらく求人情報が閲覧できるのだろう。
まずは登録が必要なのか、係の人に尋ねてみることにした。
特段登録は必要ないようだった。ここは我々が納めている税金や
これまで多額の金額を納めて来たであろう
雇用保険で運営されていることを考えると、
途端に緊張感がなくなり、僕はPCに向かって検索を始めた。
そこには自宅でチェックしていた
インターネットサイトにはない求人情報が登録してあった。
何枚か印刷した後、一通り事務所内を見て回り、
同じビルの5階に移動した。

そこには一般的なハローワークがある。
明らかに自分より年下の若者が多数PCに向かっていた。
そこでも使い勝手がわからず、いきなり通路を進み、
空いているPCに向かってみたものの、
タッチパネル型の画面は何の反応も示さない。
隣の人の手元を見てみると、
ビニールシートに入った番号のついた紙とタッチペンがあった。
どうやら受付でもらってくるらしい。
来た通路を戻り、受付にあった順番待ちのカードをとって渡すと、
窓側のPCを案内された。
すぐに場所がわかり、腰掛けて、検索を始めた。使い方は簡単だった。
確かにそこにもサイトにはない情報が登録されていた。
5枚まで印刷が可能だったので、
そこでも限度まで印刷して持ち帰った。

ビルを出た午後5時過ぎでもまだ外は明るく、
春の日差しに包まれていた。中心街を自転車で走った。
途中、大型CDショップに立ち寄ったが、
CDを買う余裕は今の僕にはなかった。
過去には1ヶ月に20枚も30枚もCDを買っていたのが信じられなかった。
僕は本当に遠い所に自らを導いてしまった。
大した覚悟もなしに成り行きに任せて
人生を歩んでいた自分が恥ずかしい。
でもそういったことすら、
このような状態にならなければ気付かなかったのだ。
確かに失ったものは大きく、代償は高くついた。
それでも前向きに生きていかなければならない。

中心街を抜けて、祖母の家の前を通る頃には雨が降り出した。
さっきまでの晴天が嘘のようだ。
今日は母が祖母の家に行っているはずだった。
しかし車がなかったので母はもう祖母の家にはいないようだった。
明日は祖母の家を引き払うことになっていた。
祖母は老人ホームに入れられることになっている。
人間の人生について、
特にプライドが高いがために不幸な人生を歩んだ祖母の人生について、
考えながら雨の中、自転車を漕いでいた。

途中で実家に寄ってみた。すでに足はパンパンにはっていた。
そして母の車を借りて、僕の自宅での不要品を祖母の家に運び、
祖母の家から僕が必要としているものを運び出すことにした。
学校から帰宅していた甥も一緒に同乗した。
とにかく祖母の家は明日業者が来て一切合切を運び出してしまうのだ。
僕はその中に自宅の不要品を紛れ込ませようという魂胆だった。
運び込んだのはパラボラアンテナと食器洗い乾燥機。
大型ゴミの日に出すと700円かかってしまうのを
ここでセーブできたことになる。
こういった経済的な節約は僕の精神を蝕み、
おそらくは彼女にも波及していることだろう。
それでは満足な生活もできないし、
切羽詰まった状態は長続きはしないはずだ。
そのためにも早く僕は次の仕事を見つけなければならない。

ただ今日はもう終わり。実家で夕食をご馳走になった。
山菜やら肉やら。
そしていろいろ話をしているうちに甥は寝てしまい、
僕は午後10時近くに帰宅した。
彼女が帰宅する頃だったので、
買い物の確認をしようと携帯に電話したが出なかった。
仕方なく2人の朝食であるバナナを購入するためスーパーに入り、
それを手に取ってレジに向かおうとしていたら、
彼女が向こうから走って来た。着信音がIPodで聞こえなかったらしい。
彼女の耳には僕がプレゼントしたnanoの白いイヤフォンがあった。
2人で会計を済ませ、自宅へと戻った。
僕が自転車で中心街まで行ったことを告げると
彼女は驚いていたようだった。

前職の社長から会談は金曜の17時と
メールが来ていたので了解の返信をした。
もうお互い話すことは何もない。
ただこのまま別れるのだけはいけないことだった。
彼とは10年以上の友人だったからだ。
翌日の朝は8時半までに実家に行き、9時から積み出しだったので、
早くに就寝した。
彼女には人材銀行のこととハローワークのことを報告した。
けれども僕はただ検索と印刷をしただけで、
何も動いていないに等しかった。
2007/05/16(水)
肉体労働日』
快晴。
7時半に起きて8時15分には実家へと自転車を走らせた。
すぐに母と車で祖母の家に向かった。
仙台から来ている母の妹、僕の叔母と共に最後の後片付けをした。
老人ホームに持って行くもの、最後に持ち帰るものなどを整理した。
妹も出勤前に顔を出した。ほどなく9時になり業者がやって来て、
慣れた手つきで荷物を4トントラックに運び込んだ。
暑くて長い1日になりそうだった。

ところが正午前にその作業はすべて終わってしまった。
母と叔母と途中から合流した妹とで回転寿司を食べた。
そして祖母が滞在しているホームに向かった。

しかし祖母は「足が痛い」と昨晩スタッフに告げていて、
そのことが問題視されていた。
僕が想像するに、祖母は「集団生活を強要されるホームに慣れず、
一人になりたかった」のだ。
その気持ちは血を引いている僕には痛いほどよくわかった。
見知らぬ人と一緒に狭い場所で時を過ごすほど苦痛なことはないはず。
何を話していいのかもわからないし、話を聞いていてもつまらない。
愛想笑いをすることは学生時代からそうだったが非常に疲れる。
それをすべて自然体でできればいいのだけれども、
それができないから苦しかった。
これは僕が幾分感情的になっているからなのだろうか。
どうも自分をネガティブに考える方向になりつつある。
それがいけないとわかっていながらも。

明日ホームのスタッフが病院に連れて行くこととなり、
叔母を駅で降ろして疲れきった母と実家に戻った。
そして僕は初めて育成会に行っている甥を17時に迎えに行き、
また夕食をご馳走になった。肉体はとても疲労していた。
昨日の自転車に加え、今日の肉体労働、そして早起きに、
おしゃべりな叔母の相手などが一気に襲いかかってきた。
こんなことで疲れていては社会復帰も難しいとまで思った。

帰宅すると早上がりだった彼女が戻っていた。
彼女も毎日眠れずに疲れていた。こんな状態は長くは続かない。
僕はもっと行動しなければならなかった。
ただ今夜は本当に疲れきっていた。
最後の力を振り絞って浴槽にお湯を溜め、
入浴してから眠ろうと思った。
荷物の運び出しのあとで埃まみれになりながら掃除もしていたので
身体がきれいなはずがなかった。
朝にシャワーもきちんと浴びる余裕もなかった。
ゆっくり入浴し、ストレッチをすると、
途端に眠気が襲いかかり、泥のように眠った。
こんな1日を僕が過ごすことになるとは
1年前には夢にも思っていなかった。
2007/05/17(木)
何の原動力もない。』
曇天。今日は終日雨の予想。
朝にいきなり状況を何も知らない旧友からライブの誘いの電話が来た。
話の流れでディレクター募集の話が出たので、
来週にでも話を聞いてみようと思う。
ただフリーは僕の体質には向いていない。
贅沢は言っていられないのだけれど。

PCに向かって挨拶がてらの売り込みと、
このいつになったら終わるのかわからない日記のようなものを打ち込む。
一人の時間がゆっくり過ぎて行く。
足は筋肉痛で、心はとても荒んでいた。
自殺することも考え始めた。
妹が昨晩「専業主婦は2週間で飽きる」と言っていたが、
本当にその通りかもしれない。
僕は以前から家からでなくても全く構わないと、豪語していたが、
本当に自分が自由な立場になってみると、
その精神的な荒みは激しかった。
彼女が結婚していた時の気持ちもよくわかった。
自分が一体何者なのかがわからない感覚。
社会に必要とされていないのではと考えてしまうこと。
それは本当にすぐにやってきた。
ただこれを好機と捉えない限り、可能性はない。

ただ気持ち的には明日の17時の社長との
会談を終わらせてからにしたいと思うようになっていた。
単なる逃げ口上なのかもしれないけれど。
気持ちの整理がまだできていないことも確かだった。
しかしそれには今日をどう過ごすのかが問題だった。
読みかけの本を読んでしまうことは今日にもできる。
でもそれは今の僕が「しなければいけない」ことなのだろうか。
もっともっといろんなことを考えることもできる。
でもそれも今やらなければいけないことなのだろうか。
また実家や父の所に逃げ込むようなことだけはしたくなかった。
さすがにこの歳でパラサイトシングルはごめんだ。
少しの矜持が僕を救っていた。

昼食を食べることにした。
BGMはTrash Can Sinatras。心にしみるメロディ。
月曜に父から貰ったタランボの天ぷらが昼食。
塩味が効いていて、おいしかった。
食事の後、サイトで求人検索をしたが何もなかった。
明日の会談前に、引継事項をまとめてみた。
とりたてて書くこともなかった。
午後2時、母から電話が来た。祖母はやはり骨折していたようだ。
僕の思い過ごしもあるようだ。しかしながら最悪の状況が訪れた。
祖母が入所したホームは順番待ちで
やっと入ることのできたところだったにも関わらず、
すぐに出て行かなければいけない可能性が高いからだ。
1ヶ月そこに滞在しない状況が続くと、
自動的に退去を余儀なくされるシステムなのだ。
おまけに母は病院の駐車場で車の側面を擦ってしまい、
ひどくショックを受けていた。
電話をかけて来た時には母の心労はピークに達していたようだ。
僕は助けようと思い、母の元に行こうとしたが、母が遠慮した。

僕は5月も半ばを過ぎたというのに、ストーブをたきながら、
これからどういう順番で誰にどうやって連絡をとるかを思案した。
やはり飛び込みで見知らぬ世界に入るのは、
先の祖母のようなことになりかねない。
そうも悠長なことを言っている場合ではないのだけれど、
やはり妹がしきりに言うように
「知り合い」のつてをたどって行くしかない。2、3だがあてはある。
でもやはり来週以降にしたい気がする。
天気が悪いので印象も悪く感じられるかもしれないと思ったからだ。
こうやって様々な理由をつけて行動や結論を先延ばしにする悪癖こそ、
僕の彼女が指摘し、僕が最も早く直さなければいけないことだった。
それがこの期に及んでもまだ露呈してしまうということは、
僕はまだ本気ではないのだろう。
今度は僕の預金が底をついて初めて、
僕は状況に気付き、動き出すのだろうか。
それではあまりにも遅過ぎる。
その前に僕には孤独が到来してしまうからだ。
彼女は6月がリミットと言っている。
最低でもそれまでに将来を決めなくては僕は一生を孤独のまま過ごし、
独り寂しく死んで行くことになる。
それだけはいやだ。それだけはしたくない。
だから今行動しなければ。
やっと未来と現在がつながる思考ができるようになってきた。
ただ疲労困憊の母を助けないわけにはいかない。
妹からも援助の電話が来た。

病院に向かう。雨が激しく降っていた。
CTスキャンの結果、やはり骨折はしていたものの、
激しく動き回らないで安静にさえしていれば、
ホームでの生活も可能だそうだ。これでまずは一安心だ。
また一からホーム探しや引っ越しや病院巡りをしなくて済む。
仙台に帰ることになっていた叔母を駅まで送り、母と実家に戻って、
自動車保険会社に電話して、自損事故の保証内容について質問し、
等級は下がるが修理可能との返答を貰う。これも一件落着。
そして2日連続で甥の育成会への迎えに、今日は車で行く。
甥は母が来ないので少し残念そうだったが、
その後、僕と遊べる時間があるとあって、笑顔を絶やさなかった。
この笑顔がやはり妹の辛く長い人生の原動力なのだと感じた。

僕には今何の原動力もない。
明るい将来も、愛すべき人も、失いそうな気配。
これまで培って来たものが今何の役にも立たず、
ただ毎日をやり過ごしているだけ。
まだ全く本格的な転職活動すらできていない。踏ん切りがついていない。
なり振り構わず、知り合いにあたったり、新しい会社に面接に行ったり、
そのような行動を彼女も期待しているし、僕も早くそうしたい。
その勇気がないわけではなく、
これからの20年を早急に決めることが疑問なだけ。
こうやっていつも言い訳をして逃げている自分に飽き飽きしている。
もうこの台詞は何度もここに登場しているかもしれない。
こうやって文章を書くことにも何の意味があるのかもわからない。
ひたすらに考えてもいけないことはわかっているが、
書いてどうなるのだろうか。だんだんと自我や自尊心、
それに自信や矜持が失われているような気がする。
今こそ強くならなければならないのに。
今強くならないでいつ強くなる?
これは試練。これを今乗り越えないと。
自ら蒔いた種は自らが刈り取らないと。

そう思いながら、また甘えて実家で夕食のカレーライスをいただく。
甥とはポンジャンやオセロで楽しんだ。
申し訳ないので後片付けをさせてもらった。
妹や母も僕のことを気にかけてくれている。
でもここに逃げ込むわけにはいかない。
父は来週から沖縄旅行だ。僕は来週は勇気を振り絞って行動しよう。
ダメ元で動かないと、当たって砕けろの精神だ。

雨の中、一人にならないと行けないと感じ、自宅に車で戻った。
祖母のものを少しだけ運び出した。
もうこれはいわゆる形見分けのようなものだ。
途中で明日の朝食などを買い、自宅に戻って、
読みかけだった「ロング・グッドバイ」を最後まで一気に読み終えた。
これで僕の現実逃避の媒体が一つ減った。
自分をどんどん追い込んで行かないといけない。自殺はしない程度に。
彼女は友人が東京から遊びに来ているので、終電で帰宅した。
2人でベッドに入って、何度かキスをして眠った。
僕は今日の報告をしながら、後ろめたさを感じていた。
実際、僕の今日の行動は、
ただ逃避するために介護を理由にしているようなものだったから。
2007/05/18(金)
会談&ファーストフード』
9時まで寝てしまう。昨晩は深夜1時過ぎに寝たためだ。
今日から彼女は別な研修のため、10時出勤で寝不足のまま出て行った。
今晩は会社の飲み会があるとのこと。
僕は今日で少し踏ん切りがつく見通しだ。
前職の経営者との会談が17時にある。
それまでに連絡事項を印刷し、準備万端。
これが終われば僕も堂々と胸を張って失業者と言える気がした。
何だかおかしな話だが、今は一方的に僕が会社に行っていないだけで、
実はどういう身分なのかが社会的には定まっていないのだ。
ただiCalで確認したが、もう新しいアルバイトが来ているらしい。
きっと僕の席に座って僕の仕事のおさらいをしているのだろう。

もう2度と前職には戻らない決意をしているが、
何故僕は出社拒否という形で会社を去ったのかが、
自分でもきっと答えられない。
ああいう形でしか僕は自分を表現できなかったとしか思えない。
衝動的な決定。
考えれば退職の理由はたくさんある。
しかし決定的だったのは、ひとつ。生き方の違いだ。
友人としてはこれからも付き合って行きたいとは思う。
でも一緒に仕事はもうできない。
以前にも公私を分けたいと思っていたはずなのに、
誘いにのってしまったのはおそらく加齢による人生の不安からだろう。
あと20年近く同じことを繰り返すことへの不安。
出口やゴールが見えない戦いへの不安。
そして自分の可能性が損なわれて行くことへの不安。
そういったものが渾然一体となって、僕に襲いかかり、
それが決意という名にすり替わって結果的に行動に移してしまった。
だからあの時の決意や覚悟が不足していたとは思わない。
あの時はあの時の自分がいて、自分なりに判断した結果なのだから。
そして今の判断も今の自分がした判断であり、間違ってはいないはず。
「人生で起こるすべての出来事は最善のために起こる」
これはネットで見つけた誰かの座右の銘だが、本当にそう思いたい。
そう思わないと何もできない気さえする。
そうこう思案をして、結局は何も転職関連の行動に移せなかった。
考えることは確かに大切だけれども、行動はもっと大切なはずなのに。

引継書類をプリントアウトして、午後4時に着替えて自宅を出発した。
久しぶりに髭を剃って、きれいな身なりをしたので、気分もよかった。
ただこれから自分のことを
自分がどう説明するのかはさっぱりわからなかった。
とにかく自分がしたこと、その方法は明らかに社会的に間違っていて、
それは謝罪したいと思っていた。手土産を近所のケーキ屋で購入した。
少し早めに着きそうだったので、時間を少し潰した。
事務所の最寄りの駅にすでに3週間以上も置きっぱなしになっている
僕の自転車は奇跡的にまだ同じ場所にあった。
早く取りにこないといけないが、自宅にはもう置く場所がない。

17時に待ち合わせのカフェに着き、ホットミルクを頼んだ。
不思議と気分は軽やかだった。
これで少しはわだかまりがなくなるはずだったから。
そして次への弾みになればいいと、楽天的に考えていた。
社長がほどなくやって来て、まずは謝罪。
「勝手だなと思いました」とのこと。
そしていかに我々の生き方が違うかというお馴染みの論議をし、
実務的な問題やどうしてこうなってしまったのかの
原因などについて1時間半話をした。
僕は終始悪役を演じ、確かに僕のしたことは悪いことだけれども、
そのまま事務所に行っても暗い顔をして、
最後の挨拶をすることにした。
この状況を笑顔で過ごすことはさすがにできなかった。
僕が座っていた席にはすでにアルバイトの女の子が座っていた。
その子は毎週水曜に昼食を作りに来てくれるバイリンガルな女の子で、
確かに僕より会社には向いていたし、
タフなことも求められている人材には合っているはずだ。
午後7時、僕は7ヶ月働いた事務所に別れを告げた。
最後に社長はこう言っていた。
「遊びに来てください。それが溝を埋めて行くことになりますから」
真摯に受け止めていいのか、その時にはわからなかったが、
今になって考えると、迷惑をかけているのは僕の方だし、
そう言ってくれるだけ有り難いと思わなければ行けない立場でもあった。
とにかく時間はかかるかもしれないが、
自然体で再び会える日が来ることを信じている。
ものすごく身勝手なのかもしれないけれど、
過去は過去で取り返しがつかないのだから。

それから駐車場から車を出した僕がとった行動は、
前々職の部下に電話をすることだった。僕にはもうそこしかなかった。
半分以上は僕の中で決まっていたのだ。復帰。
そして現状において、僕を受け入れる環境が
整っているのかを聞いてみないことには何事も始まらないし、
求められていないのだったら、最初から話なんてない。
部下とはもう20年来の付き合いで、心から話をできると思った。
けれども部下は電話には出てくれなかった。
もしかしたら、拒否をしているのかとも思った。
それでも僕はもうそこにかけるしかなかったので、
自宅に戻って夕食を自分で作って食べた後、もう一度電話してみた。
彼は離れた場所で一人で作業をしていた。
10時に会う約束をとりつけた。
彼にしてみれば何事かと思ったことだろう。
落ち合った2台の車は、
深夜まで営業しているファーストフードの駐車場に滑り込んだ。
雨が静かに降っていた。
僕はホットココアを飲みながら、
単刀直入に僕が無職である現状を話し、
復帰の可能性について尋ねてみた。
すると彼の表情は見るからに明るくなった。
よほど現状が悪いのだろう。
現場としては僕の復帰は願ったり叶ったりのようだった。
正直、うれしかった。
約20年自分がやってきたことが認められているような感覚。
これを前職では少しも得られなかった。僕の生気は一気に回復した。
つい何時間か前には、下を向いていた僕の気持ちは一気に前に向いた。
よし、もう一度やってみよう。心からそう思った。
ただ復帰にはあと何段階か話を進めなければならず、
幾多の困難が予想された。
それらを説得しない限り、
僕はまた下を向いて生きなければならないことになり、
それは僕が独りになることを同時に意味していた。
それだけは避けたかった。
僕がこれからやらなければいけないことは決まった。
久々に生きていけるような気分だった。
「何か手助けはしますから」と言ってくれた僕より年上の部下に
心から感謝の意を表し、12時に自宅に戻った。

彼女は昨日に続き、会社の飲み会で遅いのはわかっていた。
軽やかな心になっていた僕は、
何も言わずに最終電車で帰ってくるであろう彼女を
駅まで車で迎えに行くことにした。
ほどなく彼女をピックアップして帰宅した。
寝る前に彼女は「何かいいことあったの?」と尋ねた。
それほど僕の表情や態度が昨日までとは違っていたのだろう。
「来週にでも朗報を届けられるかもしれない」と僕は告げた。
ただ実はまだ何も進んでもいないし、決まってもいなかった。
砂上の楼閣かもしれないが、気分は本当に軽やかで、
永遠に生きていけるような気がしていた。
2007/05/19(土)
雨中サッカーと「恋愛睡眠のすすめ」』
妹が休日出勤のため、早起きして1時からの甥のアテンドに備えた。
しかし甥から電話が来たのは11時半のことだった。
まだ寝ていた連れ合いをよそに、すぐに実家に向かった。
外は雨だった。母をおいて、僕と甥は、
甥の同級生の外国人少年の誕生会の会場に向かった。
プレゼントと傘で甥は大変そうだったが、
人生初めての誕生会出席で嬉しそうだった。

雨の中ガーデンパーティ会場に集まっていたのは子供6人、大人6人。
少年のアメリカ人の母親は片言の日本語しか話せず、
英語を話せないといけない雰囲気はあった。
僕は片言の英語を駆使し、何とかコミュニケートしようとした。
少年の母親のパートナーである日本人の彼氏も非常にできた男で、
その場を完全にコントロールしていた。
降りしきる雨の中、自然発生的にサッカーが始まった。
大人3人対子供6人。
大人は彼氏と、巨大なアメリカ人、そして僕。
以前の僕ならこんな雨の中でサッカーなんて、と思ったかもしれない。
ただ今日の僕は違った。
もっと積極的に社会にコミットしていきたかった。
これをきっと成長というのだろう。僕はここ数日で確実に成長した。
失ったことで初めてわかることがあって、
それが自分の中で結実しているのがわかった。
僕はもっともっと強くならなければいけないし、
もっと世界に向けて自分をアピールしなければ
この先もっと多くあるであろう困難に立ち向かっていけない。
そう感じていることに自分でも驚いたが、
すでに肉体はサッカーボールを必死に追いかけていた。

甥はサッカーに参加せず、同級生の女の子と一緒にじゃれ合っていた。
妹の甘やかせのせいだと感じた。
僕が小1の時には何も考えず、雨のことも気にせず、
サッカーに興じていたことだろう。
そういった意志が甥には欠如していた。
妹にこのことは正確に報告しなければいけない。
雨中のサッカーは本当に楽しかった。
もっと正確に言うと、サッカーを心から楽しめた自分がうれしかった。
靴やズボンはドロドロで、ジャンバーはびしょ濡れだった。
それでも幸福だった。生きている実感があった。

実家に歩いて帰る頃には、ものすごい寒さを感じていた。
ストーブと遅い昼食で暖まったのは午後3時過ぎのことだった。
甥と少し遊んだが、ほどなくして僕と甥は睡魔に襲われた。
心地よい昼寝だった。5時に妹が帰宅し、
今日の一件を報告したあと、僕は自宅に戻った。

部屋では彼女が横になっていた。相変わらず気分は良かった。
「映画でも観に行かないか?」と言う僕の久々の誘いに
彼女は即答した。「いいね!」
定食フードを食べた後、
車で昨日僕が社長と会談したショッピングゾーンに向かった。
明らかに僕は別な人物だった。お金のことも、彼女とのことも、
そして自分が失業中であることも完全に忘れていた。
それは現実逃避かもしれなかった。ただ状況は僕を求めていた。
どこかに必ず落とし穴が待っているはずだった。
ただそんなことすら考えたくなかった。
これまで強運の持ち主と呼ばれていた僕がそこにはいた。
彼女と二人でゴンドリーの新作「恋愛睡眠のすすめ」を楽しんだ。
めちゃくちゃ楽しい映画だった。
帰宅後、蜜柑の缶詰を食べて、ベッドに入った。
長い一日が終わった。
2007/05/20(日)
肉体は行動を求めていた。』
昼過ぎまで寝てしまった。
前日からゴルフで出かけていた父が戻り、
一昨日テレビで見た風水を信じて、
シーサーを買って来てくれるように頼んだ。
父は明日から沖縄旅行だった。
彼も50年以上働き続けたので今の生活がある。
僕も頑張らなければいけない。
風水に影響されたのか、突然僕は玄関を綺麗にしたり、
鏡の位置を変えたりした。彼女も徐々に参加した。
そして父からもらった山菜を湯がいたりして、
あっと言う間に3時になった。

まだ気分は良かったのでオークスに参戦した。
蝦名のミンティエアーから流したが、福永ローブデコルテに差された。
負けても何だか爽快だった。
ただお金を使っている感覚は以前とは明らかに異なっていた。
肉体は行動を求めていた。ただ何もすることがなかった。
僕は動物園の熊のようにあちこちウロウロしながら時間を過ごした。

7時に彼女と買い物に行って、食材を買い込んだ。
すぐに夕食を食べた。こごみの酢醤油。
タランボのてんぷら、すどけ(これはNGだった)など
山菜のオンパレードだった。
唯一鶏肉のトマト煮があったが、もう満腹だった。
それからスイカを食べて、妹と電話で話した。
テレビを見たり、トイレの修理をしたりして時間を過ごした。
明日から彼女は違う部署に異動だ。
僕は何もしてあげられることができない。
励ますこともできない。すぐに状況を打開する必要があった。
明日からもう恥も外聞もかなぐり捨てて、
復帰という目標に向かって進んで行こうと誓った。
2007/05/21(月)
人生で起こるすべての出来事は』
「人生で起こるすべての出来事は最善のために起こる」
昨晩、この言葉を彼女に話した後、彼女は安らかに寝息を立てた。
僕はスイカと天ぷらの食べ合わせがやはり悪かったのか、
お腹の調子が悪く、寝た気がしなかった。眠りが浅かった。
彼女が9時に出かけた時にはかろうじて起きていたが、
それからまた眠ってしまい、起きたのは10時半だった。

金曜の夜の部下の一言だけで、僕は状況を明らかに誤解している。
問題なのはこれからなのに。困難はこれから訪れるのに。
もう一度、帯を締め直して、立ち向かおう。
そういいながらもPCに向かって、3日分の文章を打ち込んでいると
あっという間に3時になってしまった。FMが時報を鳴らした。
階上の父の家からチューナーを持ち出し、録画の準備にいそしんだ。

遅めの昼食は昨晩の残り物。そして今晩の作戦を考える。
それにしても僕はずっと言い訳ばかりを考えているような気がする。
先に行動してから理由を考えているような。
何故前職を辞めたのか、
そのことを言葉にして表現しようとするのだけれども
口から出てくるのは言い訳ばかりで、
まったく説得できるようなものではない。
これでは僕の口べたや論理的思考の欠如を露呈していることになる。
もっと対人関係においてもタフにならなければ、
これから先、苦労が目に見えている。

夜に前々職の部下に会って、
お願いベースになるが話を聞いてもらう。
生放送のスタジオの中に何もせず30分いたのは初めてだったが、
あっという間なのだということに今更ながら驚いた。
すぐに話が始まったが、やはりうまく伝わっているような気がしない。
向こうにしてみれば、「あっちがダメだったから戻って来ただけ」と
思うことだろう。ああ、もっときちんと自分の意志を伝えなければ。
やはり現実問題として、いくつかの障害がある。
ただ明日、キャリアプランの面談があるらしく、
元の上司には間接的ではあるが僕の気持ちは伝わることになるだろう。
ここが一番の壁かもしれない。直接上司に話すこともできた。
ただ僕は仁義を通し、筋を通し、
何のわだかまりもなく、事を進めたかった。
しかし元部下はすっかり会社の奴隷と化していて、
現実的な点をいくつか指摘しては、苦い顔をしていた。

金曜日とは明らかに違う表情で僕は帰宅した事だろう。
僕は最後の賭けに出たが、賽の目は投げられて、
負ける確率も大いに出て来た。
でもここで負ける事は自分の人生に負ける事を意味している。
明日からまた自分のことを見つめ直し、
来るべき決戦に備えようと思う。
彼女が夕食を作ってくれた。チキンライスはおいしかった。
テレビを見て早めの就寝。
2007/05/22(火)
電話での交渉』
自分に活を入れるために、早起きしてゴミを捨てに行った。
朝食を食べて、生活のための準備をして、PCに向かう。
今日の10時に元部下は元上司と面談、11時にはもう一人の部下の面談。
どのように報告してくれるのか、またこの順序が適切だったのか、
よくわからない。ただ、考えうる最善の方法はとったつもりではいる。
それが正しい行いでないことはわかっている。
一度辞めた会社にまた復帰することが。
元部下が言うように風当たりも強いだろうし、
多くの困難があるはずだ。嫌がらせもきっとあるだろう。
でも僕はそれを選んだ。それは辞めた後に後悔があったからだ。
もう少し頑張れたのではないか、こうすればよかった、
おかしいと思う事を是正すればもっと楽しくできたのではないか、
そういったことは辞めた後に気がつく。外から見られるためだ。
そのことはアピールしなくてはならない。
つまり僕はいったん外部の人間になって初めて
内部の事がわかったということ。
これは僕の現在の最大の武器であり、逆にこれしか強みがない。
よってその武器をどう効率的に遣うかがポイントになりそうだ。

いったん元部下によろしくとの電話連絡をする。
彼は最後まで応援してくれるだろう。ありがたい存在だ。
手応えは僕の方から聞くということを電話の最後で告げたが、
なかなか恐ろしくて聞くに聞けない状態が続いた。
彼からは何の連絡もないということは
あまり手応えが良くなかったということだろうか? 
悪いことばかりが頭をよぎる。
黙って待ち続けるにも限界があった。

外はあまりにも天気がいい。今年の最高気温になりそうだ。26度。
しかし家の中にいるとものすごく寒い。足が冷えてくる。
太陽が高く昇るせいで、家の中に光はほとんど差し込まない。
その代わりに風だけが強く吹き込んでくる。
外に出るのは少しはばかられた。何故なら近所の目があるから。
平日の昼間に堂々とブラブラしているのはやはりおかしい。
僕がどういう状況かなんてことは
誰も気にしてはいないだろうけれども、
それでも世間体というものはある。ただそれにしては好天過ぎた。

家中の窓を全部開放した。
心地よい風と暖かい空気が一気に流れ込んできた。
彼女が極度の花粉症なので、
あまり外の空気を中に入れないように心がけて来た。
ただ今日だけは空気の入替が必要だった。
自分の心の中にも新鮮な空気を取り入れたかったから。
おもむろに窓の桟の掃除をした。ものすごく汚れていた。
埃ではない。砂のようなものが沢山たまっていた。
ティッシュを濡らして割り箸で拭いたりした。
一気にゴミ箱がいっぱいになった。手もドロドロだ。
長年気になっていたので、時間のある時にしかできない作業を、
とは言え、こんなに汚いとは思わなかった。
その掃除をある程度終えると、少しだけ達成感があった。
こういう小さな積み重ねが今の僕には必要かもしれない。
僕がかなり弱っている事だけは確かだ。
こういう状態の日々を重ねて行くうちに、ダメージは広がって行く。
もう社会復帰できないのではないか、とまで思う。
たかが2週間でこんな風に考えるようになるとは夢にも思わなかった。
もっと自分はしっかりした人間だと思っていた。
これでは定年退職後も心配だ。
今流行の余暇の過ごし方をうまく実践できない老人になるのだろう。
一日中家でゴロゴロして、奥さんに怒られるのが関の山だ。

どうもマイナス思考が働く。
窓を開けすぎて少し寒くなったきたからか。
ストーブにはまだ灯油が残っていた。祖母からの贈り物だ。
でもここで気になるのは経済効率だ。ストーブを焚くにも電気がいる。
そこで僕はまたスーパーの屋上で読書を試みることにした。
待てば海路の何とやらである。
しかしながらやっていることは2週間前と何も変わっていない。
車の中での読書。確かに経済効率は圧倒的にいい。
でも彼女に宣言した「一生懸命頑張る」のはどこへ行ったのか。
あまりにも言っている事とやっている事の差が大き過ぎる。
というよりも僕は実際何もしていないに等しいのではないか。
まだ甘えているのではないか。いくら貯金があるとはいえ、
今月から収入がないということを心底理解しているのだろうか。
それより彼女の期待を僕はどう考えているのか。
復帰を試みてはいるものの、もしそれがダメだった場合、
僕はいったいどういう行動をとればいいのか。
その最悪の事態を予想できているか。
そうなったときの恐ろしさからただ逃げているだけなのではないか。
自分から電話して確認した方がいいのではないか。
事務所の引っ越し準備で忙しいから、などと勝手に理由を付けては
そういった状況を回避、先送りしているだけではないか。

彼女もそのことに気付き始め、最近はめっきり会話も少ない。
すべては僕の弱さから来るものであり、
僕は彼女に愛される資格すらない。
約束を守れない男、覚悟を決められない男、最低だ。
今回僕がまずとっている行動は、まさに一撃必殺で、
それに少しだけ手応えがあるからそこに全力投球している。
他の会社にまったく当たっていないのはそのためだ。
これも逃げている理由になるのかもしれない。
ただ自分の選択した順序だけは間違っていない確信がある。
まずは復帰だ。

かなり前に古本屋で100円で購入していた
吉田修一の「パークライフ」を読む。
軽快な文体と現代の交流が何かを感じさせる力作だった。
さすが芥川賞作家だ、と思いながらも、この程度か、とも思う。
暑さのせいで持参したスポーツドリンクもすぐになくなった。
スーパーの屋上駐車場には今日も多くの人種がいた。
そのこともあまり考えたくなかった。
他人がどういう人生を送っているか。
それを考える事は今の僕と
彼らのおかれている立場を比較する事になり、
それは堪え難いことだった。
僕はすべてを放り投げて一心不乱に読書をした。

すると僕の車のすぐ横に、見慣れた車が停まった。
僕が復帰を試みている前々職の営業車だった。
運転しているのはもちろん知り合いで、一緒に仕事も何度かした仲だ。
向こうは僕の存在にまったく気付かず、一瞬厳しい顔をして、
口の動きから察すると「暑いなぁ」とこぼしながら
タオルで顔の汗を拭いていた。
それからおもむろにお茶のペットボトルとスポーツ新聞を
どこからか取り出して、それらを運転席で楽しみ始めた。
僕はその一部始終をすぐ横の3mしか離れていない場所で目撃した。
こうやってさぼっている奴もいるのに、と僕は思った。
僕はもっともっと働くのに、とまで思った。
ただよくよく思い返してみると、僕だって勤務時間内に
何度もCDを買いに行ったり、公園で時間を過ごしたり、
時には業務試写と称して映画鑑賞までしていたことがあった。
それと同じ事だった。彼がとっている行動は。
ここで彼と話す事は僕の現状が社内に筒抜けになるということだった。
僕はなるべく彼の方に顔を向けないようにして、
車を別な場所に移動させた。彼はまったく気がつかないようだった。

読書は続いた。2時から5時までの3時間で1冊を一気に読み終えた。
その間、バックミラーで何度か元同僚の車をチェックしたが、
彼は2時半から4時半までの実に2時間を車内で過ごしていた。
おそらく昼寝もしていたのだろう。
堂々と会社の看板を背負った営業車で。
颯爽と駐車場を出て行ったのを横目に、僕は人生の機微を感じていた。

僕がこれまでとって来た行動は、あまりにも愚かなことばかりだった。
そのときそのときでは自分がベストの選択をし、
決断もし、覚悟を決めていた。
でもそれは今振り返ってみると、何とも浅はかな選択であり、
決断であり、覚悟だったのだろう。
誰にも相談もせず、誰からも求められもせず、
ただ自分の意志の赴くままに自由にすべてを決定し、
挙げ句の果てにはそれを今全否定しようとしている。
いったい自分は何なのだろう?
若い頃に毎日考えていた疑問が20年以上ぶりに自分に舞い込んで来た。
そしてそれに今の自分がまったく対応できていない。
今日だって僕のしている事と言えば、
日当たりのいいスーパーの屋上駐車場に車を停めて読書するだけ。
彼女に報告する事すらできない。自己憐憫するつもりはさらさらない。
ただ自分が何をどうすればいいのか、わからないだけだ。
誰も答えを教えてくれない事はわかっている。
でもこれから先の20年弱のことを、早急に今決めてしまって、
それこそ後悔しかなくなってしまったら、いけないのではないか。
そういう風に考える事はおかしなことだろうか。逃げ口上だろうか。
確かに6月までに僕の進路を決めなければ、彼女は家から出て行き、
僕はまた孤独な生活に戻る事になる。
でもそれだけで、今将来を決定しなければいけないのだろうか。
そんなことをほざいている場合ではないのかもしれない。
早い所次の職場を決めて、
今度はがむしゃらに働くしかないじゃないか。
人はそう言うかもしれない。
でもそれができなさそうだから逡巡している。
前々職への復帰は、その僕の疑念を払拭する。
僕は気分的には一度も辞めずにずっとこの会社にいたことになり、
その点において後悔がないからだ。僕にとっては最善の策なのだ。
これには多少の甘えが含まれている事はわかっている。
社会や会社がそれほど甘くないということも。
でも僕はまず自分を元通りにして、一からやり直したいと思っている。
開けてはいけない箱を開けてしまった自分。
人生の真理がようやくわかった自分。新しく生まれ変わった自分。
それらは僕の新たな武器になり得ないのだろうか。
今までの自分にないものを身につけて帰って来た事は
プラスにならないか。
みんなもっともっと苦労を重ね、すごい武器を持っているのだろうか。

帰宅して夕刊を読み、弁当屋で割引の弁当を買って来て食べた。
気分は混沌としていた。こちらは待つ身だ。これに耐えるしかない。
午後7時。元部下に電話をかけて様子を聞いてみようと思ったが、
なかなかボタンが押せない。もし剣もホロロの話だったら。
自分から連絡するといいながら、聞き出せない自分がもどかしかった。
もどかしい自分が今の自分だった。僕は何かの小説の主人公か。

そうこうしているうちに彼から電話が来た。
元上司の発言はこうだったらしい。
「辞めたのはもったいなかった」
「ひとこと相談が欲しかった」
いささか感情的なものもあるらしい。
僕が相談もせずに辞める事を決めてから報告した事が
いけないようだった。
思うフシはあった。元部下に礼を言って電話を切った。
彼にはもう頭が上がらない。できる限りの事はしてくれた。
僕が戻ってきてくれることを望むとまで言ってくれたようだ。
本当にありがたかった。
ただ僕の先行きは相当厳しいものになることは直感的に理解した。
スムーズにはいかないことはわかっていたものの、
感情的なしこりはなかなかほぐすことはできなさそうだ。

午後8時。思い切って元上司に電話することにした。
事前に何を話すかをメモして何度も反芻したにも関わらず、
携帯電話は留守電だった。
思いがけない展開にしどろもどろになりながらメッセージを残した。
その後、もう一人の元部下から電話が来た。
「昨晩聞いた内容をそのまま伝えました」
「あとは待つだけだと思いますが、6月にしてほしいとのことでした」
ありがとう。彼も力になってくれた。彼の真意はわからない。
心の底では戻って来て欲しくないと思っているかもしれない。
何せ僕が多大な迷惑と負の遺産を残したあとを請け負ったのだから。
何て無責任な男なんだろうと思っている事は想像に容易かった。
ただ僕にはもう後がなかった。やるしかないのだ。

10時、彼女が帰って来た。
さっさと自分の分の夕食を食べ、11時には就寝するという。
僕も明日はハローワークでの説明会にいくこともあって、
早く寝ようとは思っていたが、
ここまで彼女が憔悴しているとは思わなかった。
よほど研修や電話が厳しいのだろう。申し訳なく思う。
僕のせいで嫌な仕事に就いたのに。

あれこれ考えていた10時半、何と元上司の方から電話が来た。
僕は会話を悟られないように寝室に行って、小声で話した。
「金曜の8時にメシでも食おう」「また連絡する」
彼はそう言ってくれた。
それはあくまでも社交辞令のようにも聞こえたし、
少しは可能性もあるぞという風にも聞こえる口調だった。
多忙の中、僕の心中を察して
電話をかけてくれたことに心から感謝した。
彼女にはまだ僕が復帰を目指している事は告げていなかった。
うすうすは感じているのかもしれないが、決まるまで僕は
そのことを隠すつもりでいた。彼女の反応が恐かったからだ。
その職場で僕と彼女は出会っているわけだし、
彼女もどういう会社なのかは重々承知していた。
僕も辞める時には散々悪態をついていた。
それがいざ無職になった途端に、手のひらを返したように
命乞いするなんて、と彼女は思うかもしれないと考えたのだ。
でもこれは僕の決定だ。誰にも文句は言わせない。
今回だけは間違っていないと思う。
でもこれも以前のように間違っているのかもしれない。
2007/05/23(水)
HWPと片付け』
前夜あまりにも早く寝たせいで、朝方何度も目が覚めた。
目覚まし時計がなる前に僕は起床し、ハローワークに行く準備をした。
8時前に起きたのは、5月に入って初めてかもしれない。
これが普通の生活なのに、僕の肉体はなかなか順応せず、
眠気はまったくとれなかった。
それでも行かなくては行けない場所があるだけ幸福なようにも思えた。
それが結果的に意味のないことであっても。

自転車を地下鉄の駅まで軽快に飛ばした。
地下鉄に乗るのは何日ぶりのことだろう。もう周囲の人は夏服だった。
若い女性はミニスカートばかりで、刺激的だ。
黒い膝上までしかないストッキングが流行っているようだった。
僕の好みのファッションだ。
心に少しだけ余裕があった。ただハローワークの入っているビルに
入って行くのを誰かに見られてはいないかと思う自分もいた。
まだ世間体を気にしているようだ。かなりの小心者だ。

説明会。
受付を済ませ、一番後ろの席に座り、話を聞いてビデオを見た。
集中しているようでできない部分もあった。
やはり朝が早かったせいか、それともすでにブランクがあったせいか。
肝心なことだけは聞き漏らすまいと思っていても、1時間40分、
ずっと集中していられない自分がいた。死ぬほど情けなかった。
ただ会場に同席していた約200名近い人達が、
自分と似たような環境に今いて、
それぞれの人生を生きているんだと思うと、心が少し軽くなった。
おまけにこう言っては語弊があるかもしれないが、
この200名の中では自分はトップレベルにいるような気がした。
確かに体力もないし、これといった特殊技能もないし、歳も歳だし、
これまでは会社への貢献心もあまりなかった。
でも今の自分は違うような気がした。
しかしこれはあくまでも僕が感じている事であって、
もしかしたらこういった妙なプライドや自尊心が
就職活動の邪魔をしているのかもしれなかった。
企業は僕のような人材をきっと求めてはいないのだ。
協調性に欠け、自分本位の考え方しかできない男なんて。
それでも僕は生まれ変わったような気がしているし、
今はやる気だってある。

直後の説明も聞き、外に出た。
散髪したい気分だったので電話をしてみたが、
時間が合わず、またにした。就職活動には身だしなみも大切だ。
テクテクと歩き出した方向は駅方面だった。
久々にCDショップに行きたかった。何枚か気分に任せて試聴した。
TRAVISの新譜と「ラブソングができるまで」の
サントラが目についた。4月に観て感動した作品だった。
2枚買うと1枚1590円になるはずだった。
財布には2500円相当のポイントカードの満点券もある。
それでも僕はCDを買わなかった。もっとやるべきことがあったからだ。
このくらいの我慢は僕にだってできる。
そして行きつけだった洋服店にも顔を出したが、
知り合いの店長は不在だった。

何も買わずに僕が向かった先は、前職の最寄りの地下鉄駅だった。
そこに自転車をすでに1ヶ月以上放置していた。
それをどこかに移動しなければならなかったが、自宅には無理だった。
まだ決まってはいないが前々職への復帰に願をかける意味で、
その時に利用していた駅の周辺に移動するとことにした。
途中、休みだった彼女にメールをして、官庁ビルの地下で
カレーライスを食べ、中古CD店に立ち寄ったが、何も買わなかった。

午後2時には帰宅していた。彼女は何と居間で寝ていた。
「天気もいいし、どこかに行こうか?」と僕は尋ねたが、
「いい」という答えしかなかった。
僕との関係に相当参っているようだ。
2人が一緒に部屋にいるのに、何も会話もなく、交流もなく、
かえってその方が一人でいるより苦痛だった。
僕は何かをしなければいけなかった。
そういう姿を今こそみせなければ。
ところが何も思い浮かばなかったし、実際何もすることがなかった。

突然僕は自分の部屋の片付けを始めた。
会社から持ち帰ったものが部屋に散乱していた。
心の整理ができてから、と思っていたが、そうも言っていられない。
何か身体を動かしていたかった。
昨日に続く好天だったからも知れない。
途中で懐かしいものもたくさん処分することにした。
音楽関係のチラシなどで古紙を入れる袋はすぐに溢れた。
前妻とのものがまだかなり手元に残っていた。
写真、新婚旅行の時のもの、手紙など。
それらも一気に処分しようと思ったが、できなかった。
このへんにも僕の弱さがきっとあるのだろう。
過去と決別できていないのだ。
いつ見返すかもわからない写真をとっておいて
一体どうするつもりなのか、自分でもわからなかったが、
やはり捨てる事はできなかった。
それでも以前僕の個展で制作したものを破壊したりはした。
何とか自分に活を入れる方法を模索していた。
もう15年ほど前に、今で言うブログのような雑誌を
当時は同棲相手だった前妻と一緒に出していたことがある。
友人にそれを毎週送付していたのだが、
それを発見し、懐かしくてついつい長時間読んでしまった。

途中で疲れたのでレイモンド・カーヴァーの詩を夕焼けの中、読んだ。
彼女がやっと起きて来て、夕食の買い出しに行き、
すぐに戻って来てパスタを作ってくれた。
僕はこの状況を打開しようと思い、こう話してみた。
「最近報告を怠っていたけど、金曜日にいったん結論は出そうだから」
パスタを口に押し込みながら僕は必死に今の状況を説明しようとした。
けれどもそれがどこの会社なのかは最後まで明らかにしなかった。
ただ「人づてで」「面接はなく」「今までと同業種」ということだけ。
「私の知ってる会社?」という彼女の質問には答えなかった。
彼女はもっといろんなことを聞きたがっていたようだった。
「自分のことを話すのは難しいね」と言った僕の一言に、
「正直に話すのが一番。わからないことはわからないって。
私だったら相手の目を見てきちんと話すけどね」と彼女はつぶやいた。
確かに僕には後ろめたいことをしている時には、
人の目を見ない悪癖がある。
自分に自信がない時にはなおさらのことだった。
これはもう小学校5年生の時に担任の先生に指摘されていた。
もう30年以上治っていないことになる。

もうお互いに会話を続ける気力も意味もないので、早々に食器を洗い、
自室に戻って片付けの続きをした。
彼女にしてみれば僕は何もしていないように見えるだろう。
話しをしても自信なさげで、これではだめだと思ったに相違ない。
すでに実家に帰る心の準備をしているのか、彼女はソファーで寝始め、
そして10時にはベッドに入ってしまった。
僕はテレビを見たりしながら準備をして、12時に床に入った。
無性にセックスがしたかった。
セックスしか優位に立つ事ができない気がした。
しかし今の僕にはそれを言い出す勇気もなかった。
2007/05/24(木)
図書館、家族との邂逅』
朝8時半に起きた。また晴天だった。
資源ゴミを捨てに行くと、もうやることがなくなった。
彼女も僕の存在がすでに邪魔そうだった。
彼女がでかけたあと、散髪に自転車で向かおうとしたが、
本日は予約でいっぱいだと言われた。
父は沖縄旅行、母はカラオケの会合、妹は仕事、甥は学校。
みんなやることがたくさんあった。でも僕にはなかった。
こういう状態で他の会社の面接を受けることは
いけないような気がした。
それに恩師のような存在に会いにいくこともできたが、
それもしたくなかった。
どこまでいっても僕は孤独で、そのことが一番辛かった。
もしかすると僕は無職でいることよりも、
孤独の方が恐いのかもしれなかった。
自分が誰からもどこからも必要とされていない感覚。
そのことは彼女がよく口にしていたが、まさにそういった感じだった。
自殺を考えるようになった。これも定石通りなのか。
PCに向かって日記を打つ事だけが生き甲斐だった。

2時になった。
ストーブがこうこうとたかれていた。
文章だけがとめどなく溢れてくる。これは快感だ。
しかし打ち込んだ文章が現在に達すると、途端に静寂が訪れる。
そして何もする事がない。途方に暮れる毎日。
一人でいる事に耐えられなくなってきている。
このままだと精神を病んでしまいそうだ。
それだけは何としてでも阻止したい。
急に魔が差したのか、もう買わないと決めていたロト6を買いに
川の方に自転車で行く事にした。直感だけで番号を決めた。
売場の女性と券を買う時に目が合ったことはこれまであっただろうか。
何だかいい予感がした。ただここで1億円が当たったとしても、
それは僕の成長を逆に妨げてしまうに違いない。
だから決して当たらないようになっているはずだ。
ならどうしてこの貧窮した時に1000円も僕は投資しているのか。
自分でも自分のしていることが実は良くわからなくなってきている。
何が正しくて何が間違っているのか。わけがわからない。

まっすぐ帰るのも忍びないので、帰り道に実家に寄る事にした。
とどのつまり僕は実家に都合のいい時だけ逃げ込んでいるわけだ。
ところが実家には誰もいない。やはり母はカラオケなのか。
帰り道、公園で考え事をしようかと思ったが、
世間の目が気になってやめた。

近所の図書館が目に入ったので、入ってみる事にした。
多くの人が本を読んでいた。こうした空間がすぐそばにあったのだ。
僕と同じような歳の人もいて、ものすごく安心した。
館内を歩き回った後、どれか一冊でも本を読んでみようと思い、
手に取った本は「タクシー運転手」の本だった。
リストラされて運転手になった50代の男性のコラム。
1時間半でほとんどを読破した。
タクシー運転手は最高の職業と言い放っていた。

帰宅してからは15年前に僕が毎週発刊していたミニコミを
2時間近くベッドに入って読んだ。15年で僕はどうして
こんなにもつまらない人間に変貌してしまったのか。
当時の僕には恐いものなどひとつもなかった。
世界は自分を中心に回っていた。
なのに今は世界は完全に止まって見える。
物欲も何もなくなってしまった。いやなくしようとしている。
こんな自分に自信なんて持てるわけがない。
また悶々と様々なことを考え始めた。
とにかく明晩に迫った
前々職での上司との会談が鍵になる事は明らかだった。
ただあまりいい反応は貰えないだろうということはわかっていた。
そんなに世間は甘くない。社会的制裁は必ずあるはずだ。
そして43歳の僕がしてきたことはそれに値し、間違いなく重い。
でもこれだけは記しておきたい。
僕は確かに弱く、すぐ逃げ出してしまう人間かもしれない。
それでも僕には人にはないものがあるし、
能力だって人並みはずれてある。
それを生かしきっていないのはやはり僕の精神力の弱さだと思う。
何ならCDショップでも開店すればいいのだから。
冒険心がなくなった今の僕にはその気力がない。
それに僕のそうしたちっぽけな自尊心こそが僕の前進を妨げている。
それと少額の預金が。

午後7時。辺りが暗くなり、僕は再度実家を自転車で訪れた。
今度も誰一人でてこない。いつもなら3人揃っている時間なのに。
きっと外食に行っているんだ。僕は完全に一人だった。
そのことに慣れなくてはいけないはずだった。
ただ一人になると途端に精神が不安定になり、叫び出したくなる。
そして外に飛び出しては誰もいない事に気付き、ますます不安になる。
本気で自殺を考え始めている。自分がもう用なしの人間に思えてくる。

また自宅に戻ってきた。
近所の人がもし僕の行動のすべてを見ていたとしたら
いったいどういう風に映るのだろう。
一日に、それも昼間から何度も自転車で外出する43歳の男。
まあそれはもうどうでもいい。僕は今人生の充電をしているのだ。
そう考える事もできた。
僕の前には可能性が無限大に広がっているわけだし、
何かをしなくては行けないという縛りはまったくないのだから。
今まで走って来たご褒美だと考えれば気も楽になる。
でもそれはただの気休め。
今月から僕には何の収入もないのだ。預金はあっという間に底をつき、
僕の行く末はどうなってしまうのか、さっぱりわからない。
とにかく何らかの形で働かなければ生きていきない。
ただこの先生きて、何かいいことがあるようにも思えない。
死ぬより生きる方が勇気がいる、と昔の友人が言っていたが、
それは真実だ。
圧倒的に生を営むにはエネルギーが必要で、死ぬのは簡単。
その原動力は今、底をつきそうになっていて、
何とか補充しなければと焦っている毎日。
それにどう補充していいものやら。

実家からの帰りにスーパーの前を自転車で通ったところ、
妹の車を発見した。外食後に買い物をしているようだ。
1階をぐるっとまわってみた。いない。
2階に行ってみると、母親がいた。100円ショップに妹と甥がいた。
一緒に1階に下りて、買い物をした。
僕は今晩のおかずを仕方なく買い物かごに入れて、
500円を妹に支払った。今の僕には500円は大金だ。
それでも誰かと会って、会う事ができて、話ができただけで
僕はとても救われた。やはり持つべきものは家族なのだ。
けれども僕はどうしてもうまく会話ができなくなっていた。
おまけに素直に笑う事も。そのことに直感的に気がついた妹は
後で「大丈夫?」とメールをくれた。
僕がかなりやられていることは傍目から見ても明らかなようだった。
それは僕が3人と話した時に、
泣きそうになってしまったからかもしれない。
本当に最近はふとしたことで涙が出てしまう。涙腺が緩い。
今までこんな事はなかった。人の暖かみがやっとわかったに違いない。
それだけでも少し強くなったと思わなければ。

自宅に戻って久々に夕食を作った。豚舌を焼き、レタスをちぎって、
刺身はそのまま彼女のために残しておいた。
家族からもらった折りのお寿司を食べたら、満腹になった。
久しぶりにテレビを見た。ほどなく彼女が帰って来て、刺身を食べた。
二人でメロンを切って食べるともう11時を過ぎていた。
時間が立つのが本当に早い。あっという間に1日は終わってしまう。
明日の口上を寝ながら考えたが、どうにもやはり自分本位で
自己中心的で、道理や筋が通っていない。
でもそれしか僕には言えなかった。これでいくしかない。
2007/05/25(金)
いきなりの電話と会談』
8時半に起床すると、いきなり前々職の上司からの電話。
夜8時の都合が悪くなったので、12時半にしてもらえないかとのこと。
こちらからお願いをする立場でもあり、特段の用事もないので、
もちろんその時間に会っていただく事にした。
口上を考える時間は少なくなったが、
考えてもおそらく結論は同じだった。
いかに自分が愚かだったかという事。
辞めてからすべてが見えるようになり、人間が変わったという事。
そのことを全身全霊で仕事に打ち込む事で表現したいという事。
いろいろよくしていただいたのに恩を仇で返して申し訳ないという事。

久々に地下鉄に乗り、約束より30分も前に着いた僕は、
12時半にパスタを食べながら、彼にそう一気にまくしたてた。
彼はやはり元部下と同じように、淡々と会社の実情を述べて、
できる限りの事はするが過度な期待はしないように、と最後に告げた。

外に出ると霧雨が降っていた。やはりうまく人と話せなくなっていた。
もうどこでも通用しないかもしれない。
通用していたのは僕の経験だけであって、
それを放棄してしまったのだから
僕はもう何もできないのかもしれない。直感的にそう感じた。
これからの人生、
自分の事をうまく話せないと生きていけないはずだし、
それが僕にはできそうもないということが手に取るようにわかった。
自信喪失。一言で言えばそうなのかもしれないが。
街をぶらついてみたものの、何も用はなかった。
消費することには飽き飽きしていた。
知人に会いに行ったが不在だった。
散髪にはまたもや予約が入っていた。
フリーでやらないかと誘ってくれた唯一の知人には
「落ち着くまでもう少し考えさせてくれませんか」と連絡を入れた。
いったいいつ落ち着くのかなんてさっぱりわからなかった。
それでも今重要なことを決める時ではない事はわかっていた。

また仕方なく帰宅する事にしたが、彼女には遅く帰る事になっている。
まだ時間は4時。母はいるかもしれない。
そう思って実家に行ってみると、何故か妹が帰って来ていた。
いろいろな話を2人だけでした。とても妹の存在が大きく見えた。
甥がまだ小さく、母子家庭なので苦労は人一倍しているはずなのに
妹は何故か生き生きして見える。何故兄妹でもこんなに違うのか。
看護師という手に職があることからの余裕なのか。人生経験の差か。
母もカラオケから帰って来て、甥も帰って来て、
地球儀で一緒に遊んだ。夕食をご馳走になり、お礼に後片付けをした。
そして甥と水彩絵の具でお絵描きをしてから、
山田太一作、渡辺謙主演の冤罪ドラマを2時間真剣に見入った。

外は暴風雨だったが午後11時前に傘をさして自転車を押して帰宅した。
誰かと会っていたはずだと、
先に帰宅していた彼女は思っているはずだった。
約束が前倒しになったことはあえて言わなかった。
徐々に彼女との間が冷めている。そのことに僕も気付いていた。
僕が特別何もしていないことに対して、
彼女が業を煮やすのは時間の問題だった。
どういう風に態度で示せば言いのかなんてわからなかった。

ベッドに入ってから思い切って今日の事を話してみた。
前々職への復帰は彼女にとって
人間として最低の信じられない行為だとまくしたてられた。
そうなることは何だかわかっていた。
だから詳しく話さなかったのかもしれない。
ただ僕の順番はこうだということを理論づけて説明した。
何度も言い争いをしたり、何度も穏やかな会話になったりしながら、
お互いの相違点だけが浮き彫りになった夜だった。
時計はすでに深夜3時をまわっていた。
2007/05/26(土)
昨日はごめんなさい。』
朝8時半に起床。居間のソファーで2度寝してしまう。
彼女は昨日のことがよほどショックだったようで起きてこない。
僕は朝からこうしてまたPCに向かい、2日分の日記を記している。
ストーブをまだ焚いている。外は寒そうだ。午後1時半。
密かに楽しみにしていた明日の甥の運動会が
6月2日に延期になったと妹からメールが来た。
前職でのクライアントからの質問メールも来ていた。

まだ僕には関わるべき人が少しでもいる。
もっともっと自分より大変な境遇の人がいる。
肉体的欠陥、ハンデ、精神障害。まだ僕はマシな方だ。
ただリストラされたのならまだしも、
自分の都合だけで動いてしまった僕の罪は、
今になって思うととてつもなく重く感じる。
自分の無責任さに呆れ返るばかりだ。
ただもうしてしまたことは仕方がない。過去は戻らない。
前職を辞めた事には何の後悔もない。僕には無理だったから。
ただ前々職を辞めた事はとても後悔している。
それを埋めたい一心で僕は今行動している事を
彼女にはわかってもらいたいだけ。

遅い昼食はもずくうどん。作り方を彼女に教えてもらう。
自分一人では何もできないのだ。本当にどうしようもない男だ。
食事中も食後も2人の間には沈黙が続いていた。
本当に彼女は選択肢にまったくないことを僕がしているので
かなり驚き、ショックを受けているようだった。
自分と価値観がまったく違う人物と一緒にいる事の意味。
僕にもそれがだんだんわからなくなってきてしまっていた。
おまけに何かを話そうとしても会話が続かないような気までする。
今まで2人で何をしてきて何を話して来たのかも
すっかり忘れてしまった。
会話そのものに自信がないような気さえする。
誰ともこうやって話せなくなってしまう恐怖心さえ覚える。
もしかしたら僕は面接もうまくこなせないのかもしれない。
何せ面接などこれまで受けた記憶がない。
口べたに加え、対人恐怖症、あがり性、信念がない。
これではどこに行っても通用するはずもない。
だから面接のないような順番で、自分を守る順番で、
今僕は動いているのかもしれないことにやっと気付く。

肉体はまったく疲労していない。動きたくて仕方がない。
でも何もすることがない。外は寒くどんよりと曇っていた。
手紙を出しに外に出た。連れ合いはソファーで眠っていた。
外の空気を吸う意味と本屋さんで立ち読みを少しする意味。
僕の行動にはそれしか意味がなかった。
生きている事にさえ意味を見いだせなくなっていた。
父が今日まで不在だったので、借りていたHTで多くの映画を録画した。
それをHDDに入れておいたので、少しだけ整理する事にした。

時間だけは刻々と過ぎているにも関わらず、
僕はずっと足踏みをしている。
どこかで生まれ変わらなければ行けない。
自分というものを捨ててでも。
今までの自分との決別は、
僕のような自分本意の生き方をして来たものにとっては
限りなく困難が予想されていた。
自己愛のみで生きて来たような男なので、それを愛せなくなる事は
畢竟、死を意味していた。
それでも僕はまだ人生の半分しか生きていない。
これからまだ半分が残っている。
夕食には鶏肉を焼いて一人で食べた。
彼女は今日一日何も口にしていない。
ひとつ屋根の下に暮らしているというのに、何一つ会話がない。
これでは一人でいるよりも苦痛な状態かもしれない。
ただ僕にはこの方が良かった。
一人でいると何をしでかすかわからない。
誰かと一緒にいる事が今の僕には必要だった。
本当に今日は一日何もしていない。
した事と言えば夕食前に村上春樹訳の名作
『キャッチャーインザライ』を読んだ程度。
それも少し読んだだけで眠くなってしまい、
本をソファーから落とした始末。
これでも人生は進んで行ってしまう。

夕食後、チューナーを返す前の最後のお楽しみにとっておいた、
ジロデイタリアをCSで観戦する。
去年彼女が偶然この番組を見た事で、2人でハマったのだ。
それが高じてツールド北海道まで観戦に行った。
あの頃は本当に良かった。何の疑いもなく自分の人生を歩いていた。
それがたったの1年で、これほどまで大きく変貌してしまうとは。
9時半からだった放送が10時からに延期になったので
30分は「検索ちゃん」を録画していたHDから引っ張り出して見た。
そして12時までジロの14日目をじっくりと観戦した。

本当に何もしないのに時間が過ぎ、お金はなくなり、
急速に2人の関係が冷めて行くのをただただ見過ごしているだけだった。
ベッドの中で彼女がこう言った。
「昨日はごめんなさい。あまりにも予想していなかったので混乱して。
現実的に考えれば最もいい選択なのかもしれないね」
いや、そうではない。
もしかすると僕はまたあえてイバラの道を選んだ事になりかねない。
自分に落とし前を着ける代償は、契約社員という身分で
何年間も賞与なしでの生活か。好きなCDも我慢し、服も買えない。
それを僕ができるのか。やるしかない。現実はそんなに甘くないのだ。
倒れるまで死ぬまで働いてやる覚悟だ。
ただそれが契約社員でいいのか。他にもっとあるのではないのか。
そういったことが夜な夜な頭の中を駆け巡った。
彼女にはこう言っておいた。
「そっちの方がきっと正解だよ」
2007/05/27(日)
「これですっきりした?」』
また9時に起き、朝刊と昨晩読み忘れていた夕刊を一気に読んだ。
今日は年に1度のダービーデー。
去年まではおそらく朝から検討していたはず。
でもそんな身分ではない。
ギャンブルに興じるほど僕には資金に余裕がないのだ。
ただ参加だけはしたかったので、
1万円口座に入っていたうちの1500円を賭ける事にした。
参考のためにサイトをくまなくチェックした。
武豊の優勝は絶対になさそうだった。藤田も安藤も。
皇太子が初めて観戦に東京競馬場に来るそうだし、
エージェントの問題がクローズアップされているからだ。
昨日と同じように昼に彼女が起きて来たが、会話はない。
僕はひたすら現実逃避を試みながらも、それではいけないと
何か話題をふろうとしていた。お菓子を一緒に食べたあたりから
少しずつ空気が良くなったが、戦後初めての牝馬のダービー制覇で
また沈黙が訪れた。僕はPCに向かい、また打ち込み始めているし、
彼女はまたソファーの上で眠ってしまった。

午後5時、またもや何もする事がなくなってしまった。
本来は履歴書を書いたりしなければならないのかもしれないが、
今はひとつひとつクリアにしていくことを優先させているので、
前々職からの返事待ちだ。それは社長承認を意味しているが、
元上司に押しのメールを書いた方がいいのか正直迷っている。

夕焼けで一番明るくなっている寝室で、一人で考えごとをしていた。
何だか2人でいる意味がすっかりわからなくなっている。
かえって一人の方が気楽でいいような気さえしてきた。
そんなことを考えていると彼女が寝室にいきなりやってきて、
僕に抱きついて泣きながらこう言った。
「ごめんね。私が間違っていたかも」
「ちゃんと働いてくれたら、夫婦になろうね」
「これですっきりした?」
僕は少し拍子抜けした。
もうすでにほとんど彼女は実家に帰ってしまうと思い込んでいたから。
それがいきなりの変貌。彼女の考えにどういう変化があったのか。
でも僕は彼女の言葉が嬉しかったので、ひとつひとつ素直に回答した。
「いいや、僕のしていることが全部愚かなことなんだ」
「ちゃんと働くから」
「ここ半年で一番すっきりしたかもしれない」
涙がとめどなく溢れて来た。彼女も同じだった。
ようやく一つになれたような気がした。
ただ僕の戦いはこれからだった。

沖縄から帰って来た父のお土産を楽しんだ。
シーサー、マンゴー、かまぼこ。特にかまぼこは大量にあった。
空腹だったがご飯がなかったので近所の食堂にかまぼこ持参で向かう。
店員に見つからないように2人で食べた。
5月31日までのご飯無料券があったので、会計は安く済んだ。
食費を遣ってくれないと惨めだと言ってしまった手前、そこから出す。

帰ってテレビを見て12時には就寝する予定だった。
ところが彼女がどうしても眠れないと言い出し、
しまいには過呼吸になり泣き出した。
自分で言ったことを翻したかったのかもしれない。
そう思い、彼女の動揺がおさまるまで付き合うことにした。
時には優しく抱擁し、時には強く言葉を投げた。
眠ったのは深夜の3時だった。
2007/05/28(月)
「勉強するには歳をとりすぎたかもしれないね」』
いつもの朝と違っていたのは明らかに寝不足な点だった。
3時に寝て、8時半に起きると、5時間半しか眠っていない。
おまけに眠りも浅かった。
ただこれからの生活のことを考えると、
昼までのんびり寝てはいられなかった。
それに彼女も9時過ぎには起きるし、11時には会社に向かうのだ。
自分一人が怠けてては行けない。必ず今まで通り8時半には起きよう。
しかし眠い。いつのもように新聞を読み、シャワーに入っても
眠気は一向に飛んで行きはしなかった。
彼女が出勤してからはそれがなおさら顕著で、
もう耐えられなくなってきていたのだけれど、
数日前から読み始めている「ライ麦畑」を読んでいると
久々に気分が高揚して来て、眠気がなくなった。

しかし外はいい天気で、家の中は相変わらず日が差さず寒い。
昨日の雨で運動会が中止になったせいで、もしかしたら甥が家にいて、
母が一人で困っているかもしれないと思い、
母の携帯に電話をかけてみた。
ところが甥は5時までの育成会に行っていた。
母は午後からホームにいる祖母に会いに行くと言う。
僕も一緒に行くと伝え、迎えに来てもらうことにした。

昼食はかまぼこでさっさと済ませ、午後2時にホームへ向かった。
車内は暑く、運転をした僕もさすがに汗をかいた。
祖母は見違えるほど元気になっていて、おしゃべりもはずんだ。
昔の写真をたくさん見せてもらった。何故だか涙が出て来た。
自分のルーツを見たからかもしれないし、
戦死した親戚から叱咤激励されたような気がしたからもしれないし、
時が止まっていることに感動したのかもしれない。
とにかく最近は涙もろくなっていることは確かだ。
4時まで饅頭をほおばりながら、いろいろな話をして実家に戻った。
自宅に帰っても頭がおかしくなりそうだった。

母と2人きりで話しをするのは久しぶりかもしれない。
母はこんなことを言っていた。
「勉強するには歳をとりすぎたかもしれないね」
本当にその通りだった。あまりにもすべてが遅過ぎた。
他の43歳はいつどうやって人生を悟るのだろう。
僕にはそのきっかけすらなかった。
もしあったとすれば、2002年に離婚を切り出したときか。
でもあの時はちゃんと僕は働いていたし、
前妻もこれからの人生を僕といることを疑問に思っていたし、
子供の存在についてお互いの意見が食い違ってはいたが。
おおむねすべてが前向きだったような気がする。
ただ5年前であったとしても、それから子供を作ると考えれば、
その子が成人するのは退職ぎりぎり間に合うかどうか、という瀬戸際。
子供だってすぐにできるかどうかすらわからない。
不確実なものに人生を振り回されたくなかったのかもしれない。
ただその時はそれがベストの選択だと思っていたし、
今もそう思っている。しかし今回の2度の退職は、
必ずしもベストの選択をしたと思っていない。
そこが僕を悩ませているのだ。

甥を5時に迎えに行って、近所の公園でサッカーをして遊んであげた。
甥は木登りをして手を切った。吸うことと、水で洗い流すことしか
教えてあげることができなかった。
もうすべてにおいて自信を喪失していた。
自分だけで精一杯なのに絶対に子育てなんて無理なような気がした。
僕が甥に教えてあげることができたのは、
サッカーボールの蹴り方には4種類あるということだけだったが、
小1の甥にはきっと何も伝わってはいないのだろう。

実家に戻ると妹が帰宅していて、また夕食をご馳走になった。
久々の親子丼は美味しかった。妹と母には本当に世話になっている。
もし人生がまたうまく行くようになったら、何かお礼をしなくては。
命の恩人かもしれない。
父が沖縄で仕入れて来たバナナでジュースを作ったので
取りに来いという電話を妹にかけて来たので、車で送ってもらった。
眠くて仕方がなかった。彼女もそうだろうと思って、メールして
駅まで車で迎えに行った。途中で買い物をして、松本人志の特番を
みたところでエネルギーが切れた。
眠い。すぐに熟睡した。
2007/05/29(火)
掃除&intro』
ぐっすり寝たせいか、かえって眠い。
朝8時半に燃やせるゴミを出しに起きた。外は暖かかった。
11時に彼女が出勤すると、いきなり自宅の大掃除を始めた。
どうしてこういう風に働くことを思いつかなかったのか。
肉体を酷使しなければ疲労はやってこない。
1時半までの2時間半、みっちりとくまなく掃除をした。
拭き掃除、掃除機。そして掃除機の中の掃除。
かなり完璧に近い状態にした。満足だったが、とても疲れた。
カレーヌードルとまたもやかまぼこを食べると、とても眠くなった。
でも我慢して読書をした。中身は盛り上がって来た。

電話が3本。ハローワークから前々職の給料がやはり間違っていたこと。
友人から7月第1週のマラソン中継でスーパー出しができるか否かの確認。
妹から今実家に僕の仲人をして頂いた夫人が遊びに来ているとの報告。
めずらしく、電話がいっぱい来たので、少しうれしくなった。
自分はまだこの世に存在するのだ。
シャワーに入ったのは午後3時半すぎ、気持ちよかった。
へそのごまがきれいさっぱりなくなっていることに急に気付いた。

元上司からは何の連絡もない。もしかすると月を越すかもしれない。
僕はそれまでじっと待つしかない。結局何もしていない。
ただ不思議と今日は落ち着いている。
同じ経験を過去にした電話をくれた友人からの一言。
「何とかなるって」が大きかった。ありがとう。
すべての人に感謝したい。僕は明らかに意識面で生まれ変わった。
人の心がわかるようになっている。

午後6時までPCに向かってintroと題した文章を打ち込んだ。
小説化する時の冒頭の文章をシャワーの際に思いついたのだ。
でも僕は物書きにはなれそうもない。
自分のことしか考えてこなかったので、自分の身に起こったことしか
書けそうにないから。フィクションはまるでだめ。
ということは、ネタはもう限られた題材しかないということで、
僕のこれまでの人生なんて、そんなに波瀾万丈なわけでもないから、
畢竟1冊が関の山だろう。1冊書いてそれが当たっても生活は不可能だ。

肉野菜炒めを作って食べた。一人の食事は本当につまらない。
彼女の分まで作ろうとも思うが、それを拒否するので作っていない。
そんなに作れもしないし、作りたくもない。
ロンハーを見ていたら彼女が帰宅。
夜には精神はお互い落ち着いているようで、
最近恒例となったニュースステーションでの大臣自殺騒動を
2人で食い入るように無言で見た。
自殺ということに敏感になっているのか。
そして就寝。
「何もしなかった。ごめん」
彼女はもう諦めているようだった。
2007/05/30(水)
サリンジャーとアルバム』
彼女は休みで、午後1時に起床。僕はいつも通り8時半に起床。
午前中に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み終えてしまう。
すると、失業中の身分だった自分のことを
切実に考えていない自分に気付いた。
何だかこの生活に慣れてしまって来ているようだ。
このまま一生を送るのも悪くないな、なんて考えてはいないけれども、
数日前までの半分ノイローゼのようになっていた自分とは
明らかに異なる。長期戦を無意識のうちに覚悟したということか。
元上司からは何の連絡もない。おそらく社長の機嫌が悪いのだろう。
月末でもあるし、きっと全国ワースト3位という営業成績が
今月も振るっていないのだ。
もしかすると来月にまで伸びてしまうかもしれない。
僕はそれまで黙って耐えて待つしかない。
でももし前々職への復帰が白紙になってしまったら、僕はどうする?
看板屋? 旅行代理店? 資格をとる?
実はどれも現実味がない。
今までしたことのないことだからかもしれない。
自分がその仕事をしている絵がどうしても想像できない。
死にものぐるいで働く覚悟はしている。
ただ本当にそれができるのか、だんだんと不安になってきた。
たった1ヶ月働かなかっただけで、
こんなに自分が自堕落になるなんて、まるで思いもしなかったが、
おそらく彼女はそういうことすら気付いていたのだろう。

ゆっくり起きて来ては、何やら携帯を操作し始めた。
彼女のNOKIAの携帯で自分のメールアドレスを表示できないらしい。
HPで調べてみるとやはり無理そうだ。
そうこうしているうちに彼女はまた寝室にこもって寝てしまった。
僕は本当に何もすることがなかった。本当は彼女がいるのだから
あくせく就職活動をするべきだったし、ポーズだけでもしたかったが、
今は黙って待つことにしていたので、あえて何もしなかった。
良く言えば自分を追い込んでいたのだけれど、もしかしたら
全く違う方向に追い込んでいたのかもしれない。たとえば神経症とか。

僕はあまりにも読書が楽しかったので、
今度は「ナインストーリーズ」を読むことにした。
サリンジャーを読むということは社会からの離脱や
隠居を意味しているかもしれないので、僕がそういった方向に
進みたがっていることは明らかで、午後になっても切迫感はなかった。
自分が失業中の身分だということをすっかり忘れ、
何だか大学生の頃のようなモラトリアムな気分になっていた。
これではいけない、と思うのだがどうしても無理だった。
明らかに現実逃避をしていた。どこまでも逃げるつもりなのだ、僕は。
約20年ぶりに読んだ「ナインストーリーズ」は、
完全に内容を忘れていた。けれども秀逸な短編集ではあった。
どこか今の心境とはずれていたが。

先日祖母が見せてくれた写真を見た時に、涙が出て来たが、
それと同じ体験をしたくて、階上の父のところに行って、
古いアルバムを借りて来た。
自分がどうしてこうなってしまったのかを検証できそうな気がした。
いつから僕の人生は狂いだしたのか?
幼い頃の写真がいっぱいでてきた。生まれたての僕。百日記念。
1歳、2歳。父も母も当然若く、
僕は愛情たっぷりに育てられていたはずだ。
何せ初めての子供、孫、長男。やはり過保護だったのか。
その頃の両親は20代中盤。生活も豊かではなかっただろう。
それなのに子供を育てて行こうとどうして決心できたのだろう。
どうして僕にはその年齢でその意識がなかったのだろう。
どうして自分本位にしか考えられなかったのだろう。
どうして自分の将来について真剣に考えることをしなかったのだろう。
確かに「できてしまった」可能性も否定できないし、当時の社会が
子供を持って当然といった風潮だったのかもしれない。
でも明らかに生活を逼迫することになる決断を若い2人ができた事に
尊敬するし、今でも大多数の人はそうして生きているのだ。
僕がどうしようもない自己愛馬鹿なら仕方ない。
でもそれほど自分の歩んで来た人生が間違っていたとは思えない。
20年以上真面目に働いて来たし、貯金だってそれなりにある。
ただそれでも今は何も有していないし、有したという実感がない。
みんなそんなものなのだろうか?
働くこと、生きることに、無自覚になって、初めてまっとうな人生を
送ることができうるのだろうか?
僕にはそういう風にしか理解できないのだ。
未来に対する漠然とした不安を抱えながら、
現在を生きるなんてできそうもない。
何のために働くのか、何のために生きるのか、
明確な理由なんてないのかもしれない。
誰も答えられないのかもしれない。
それでも人は生きていく。何故? 本当にわからなくなってきた。

この先、僕が40年生きるとしよう。
60歳まで働くとして、年金支給までの5年を悠々自適に過ごし、
貯金は半減。それまで今住んでいるマンションが持たなければ最悪。
年金が全額支給されるかどうかもわからない見通し。
そして65歳から僕は何を生き甲斐にしていきていけばいい?
愛すべく家族もいない。身内でいるのは妹と甥のみ。
甥だってもう25歳で、忙しい最中だ。
妹は多才なのでまだ看護師として働いているかもしれない。
そう考えると僕は人生設計をかなり間違えていることになる。
これまで愛情を注いで来た
ネオアコやロックやフランス映画は何の意味もない。
懐かしいメロディーに心を奪われることは時にはあるかもしれない。
映画「マグノリア」のように「過去は追いかけてくる」かもしれない。
ただそれがどうしたというのだ? 僕の生き甲斐にはなりそうにない。

こうなると未来に何の希望を見いだせない。
生きていても仕方ないような気分になる。
「ライ麦畑」を読んだ直後からかもしれないが、少し投げやりだ。
でも自殺はできそうにない。じゃあどうすればいい?
おそらく同じようなことを彼女も一人、
寝室で悶々と考えているのだろう。
共通の友人の結婚披露宴(彼女とその友人は同性で同い年で
同じ職場にいた)の案内メールが今朝来たことも
多少は影響しているかもしれない。
生きることがこんなにもつまらなく感じたことが
これまでにあっただろうか。
それともそれほど真剣に考えてこなかったのだろうか。

自分は詩を書いてそれを自己表現と称して発表していたのだけれども、
あれはまったくの嘘っぱちで、薄っぺらな思想の元に、
言葉を羅列させただけなのだろうか。
4冊の詩集にいったい何の意味があったのだろうか。
もう完全に思考は再就職というよりも、生きるということの
根源的な意味に向かって突き進んでいるのがわかった。
これも一種の逃避かもしれない。働くことの意味を問う前に、
人生を問いておけば、
少しは救われるかもしれないなんていう浅はかな思考。
つべこべ言わずに働けばいいものを。
失業手当なんて当てにしないで、バイトでも始めればいいものを。
僕はいったい何をしているんだろう。
昼間っから古いアルバムを押し入れの奥から引っ張り出して来て、
泣きながら自分の過去を振り返ったり、両親に感謝したり、
何の目的でこんな行為をしているんだろう。わけがわからない。

2時間ほど借りたアルバムを返しに行った足で、
いきなり肌寒い夕暮れの中、自転車を漕いで川まで行った。
寒さの中、いろいろと考えた。でも何も浮かんでは来ない。
心配してくれている美容師に携帯メールをした。すぐに返信が来た。
そして大型書店で1時間ばかり立ち読みをした。
7時に自宅に帰ると、彼女はまだ寝室で寝ていた。
かなり参っているようだ。
自分の行く末、そして何もしていない僕といることの意味。
すべてが一気に襲いかかって来たものだからたまらない。
彼女に何も声をかけずに一人で夕食の買い出しに行った。
生まれて初めて生姜焼きに挑戦したが、なかなかうまくできた。
無理矢理彼女を起こして食べさせた。最近の彼女の食生活は悲惨だ。
何も食べない日さえある。このままでは先に肉体がやられてしまう。
幸か不幸か僕の食欲は増す一方で、
これももしかすると逃避の一部かも、と思わせるような勢いだった。
その分、性欲はまるでない。本当にない。
自分でもびっくりするほどない。

食後、テレビを見て、11時半にはもう寝てしまった。先に僕の方が。
何もしていないのに疲れているわけはないのだけれども、
こんな状態で本当に社会復帰できるのかどうか
不安になって来たことは確かだ。
今日の彼女との会話は数えるほどだった。
2007/05/31(木)
それしか僕にはすることがない。』
8時半に起床し、ゴミ捨てなどの準備をし、
11時に彼女を送り出したあと、やはりPCに向かって文字を打っている。
それしか僕にはすることがないのだ。
もういい加減にしないと行けないのは頭ではわかっている。
すでに失業から3週間以上が経過しているにもかかわらず、
一向に何の進展もない。
あれだけ本気だった前々職への復帰も
どうなってしまったのかわからない。
今日で5月が終わってしまう。彼女と約束したことを守らなければ、
僕は孤独のまま死を迎えてしまうだろう。それだけは避けたい。

珍しく電気代をけちらないで、iTunesでJerryfishを聴いている。
先日Prefab Sproutを聴いて、忘れかけていたものが蘇ってきたからだ。
僕には音楽という同行者がいた。
膨大な時間と愛情を注いで来た唯一無比の存在。
それを今帯同させないで、何をすればいいというのか。
もしかするとこれは僕にCDショップを始めろというお告げか。
でももう僕にはそんな気力はない。
もし事業に失敗でもしようものなら、もう僕は立ち直れないだろう。

カップラーメンの昼食後、うっかり10分ほど昼寝をしてしまう。
本当に切迫感がない。
どういう立場に自分がいるのかわかっているのだろうか。
でも先日までのように一人でいることに何ら恐怖心は感じなくなった。
これは何故だろう。この怠惰な生活に慣れてしまったのか。
それとも一人を受け入れるようになったのか。
いずれにせよ、一人でいるのが恐くなくなった分、
失業中という身分に切実ではなくなったような気がする。
何とかなるさ、では何ともならない。
誰も職を世話等してくてはしないのだ。
だから僕には彼女のような背中を押す存在が必要なわけだし、
それも経験者である彼女だからこそ押せるのではないかと信じている。
しかしながら自分の怠惰には呆れ返るばかりだ。
まだ履歴書すら書いていない。
まずは書かないような所から攻めている。
これは「挫折」とは言えない。ただの罰当たりだ。
挫折とはもっと大きなものに挑戦して崩れさることだ。
僕のはただ自らの判断ミスと根性のなさが招いたもの。
今まであまりにも多くのことを考えないで生きて来た。
その分、人に優しかったかと言えば、そうでもない。
要するに自分のことしか考えずに、自己中心的に生きて来たのだ。
そのせいで離婚もしたし、今、こういう状態になっている。
これを罰当たりと呼ばずして何と呼ぼう。

「挫折」で検索して、同じ40代で鬱病になってしまい、
現在戦っている人がいた。彼は無職だが前向きだ。
僕も前向きではあるが、かなり楽天的に考えすぎている。
これではまた2つめ3つめの困難が待ち受けているだろう。
そのことを今から覚悟しておくこと。
神様がいるのだとしたら、必ず見ている。僕の行いを。
そしてこれまで楽して生きて来た分の帳尻が合うように
苦しい老後を与えることだろう。覚悟せよ。

午後5時、いきなり看板屋の会社に車を走らせてみた。
帰宅時間を調べるためだ。おおむね6時半にはほとんどの車が
会社を出て行った。
この会社は車でなければ通えそうもない場所にある。
この会社でいいのか、正直疑問はあるが、背に腹は代えられない。
第2候補として自分の中であるのだから。

帰り道は混雑していた。そんな中、父から電話。
具沢山のカレーライスを作ったから食べに来いという連絡。
ありがたき幸せ。彼女が遅いことを告げると少し寂しそうだったが、
午後8時から10時半までいろんな話を聞かせてくれた。
中にはかなり衝撃的な事実も含まれていた。
たとえば、僕の生まれる前にもう一人男の子がいた話。
昨年31歳の女性を孕ませた話を先日聞いて驚いたのだが、
それ以上にショッキングだった。
僕にはいったい何人の兄妹がいるのか?
あとは、母親の不倫話。20の頃と40の頃の2回。
父と母の不仲は今に始まったことではないことを知った。
それからノンプロ野球の話や組合活動の話など。
「話してて寝なくてよかった」は父の最高の気遣いだ。ありがとう。

途中で彼女にメールをして、カレーを階下に置いておいた。
帰宅後、すごい話を聞かされた、と話し出してしまったので、
孕ませた話にしておいた。あまりにもたくさんありすぎたので。
人には歴史がある。人にも言えない話がたくさんある。
本当に複雑なのだ。だからこそ面白いのかもしれない。
ただ僕は今晩の夕食に出してくれたもやしのおひたしの
髭と豆の部分を全部とってくれた父の気持ちを理解してやれなかった。
父の口からそれが出るまで実は気付かなかったのにも関わらず、
知っていたと強がってみせた。もっと素直にならなくてはならない。
以前からそう言う傾向にはあったが、最近は特に自分から話題を
ふれなくなって来ている。自分が話題についていけないのがこわいのだ。
それ以上に話をする事自体、億劫になっている。
こんなことでもし面接だ、ということにもなれば、
僕はいったいぜんたいどうなってしまうのだろうか。
2007/06/01(金)
HW初回認定日、場所取り』
猛烈に早起きして彼女が起床する前に出発。
とは言っても、ハローワークの初回認定日だったからだ。
今日からガソリンが値上げするらしいが、そんな余裕はない。

ただしかし何か用事があるってことはいいことだ。
とりあえず生きているという実感はあるから。
手続きは簡単に済み、初めて2階に行って話を聞いてもらった。
「つまらない話ですみません」と係の人にまで気を遣う自分がいた。
その後PCで検索して、何枚かの求人票を印刷してから帰った。
まだ彼女が外出する前かもしれなかったので、のんびりと帰宅。

途中で僕の不注意で車に接触しそうになった。
注意力まで散漫になってきている。どうしようもない。最低。
今日は映画の日だが、そんな余裕もない。いや、そんな資格がない。
早く帰宅することが決して悪いことだとは思わないが、
それでも妙なプライドがあって、自分が動いていることだけは
見せておきたかったので、彼女の出勤後の11時15分に帰宅した。
こういった妙なプライドが僕の人生で邪魔しているに違いない。

帰宅してからいつものようにネットサーフィンをしながら
求人を探したが、案の定希望に合うものがなかった。
それにしても前々職の返事はどうなったのか?
メーラーを開くとメールが来ていた。
最終決定権を持つ社長の体調が悪く、まだ話していないそうだ。
僕の1週間はただ待つだけのものだった。最低だ。
おまけに危機感が日に日に削がれている。何とか持ちこたえないと。

1時過ぎに昨日の残りのカレーでの昼食。
そのあと炎天下の中、2時に父と明日の運動会の場所取りをしに行く。
歩いて近所の小学校に向かう途中、
旅行会社への転職の話をしたが、まだ本気にはなれなかった。
どこでもいいわけではないのだ。これから17年も働くのに。
父と2人でこんな平日の昼間に外で一緒にいるのは、いつ以来だろう。
おそらく幼少期からないはずだ。
酔っていない父はやけにおとなしかった。
全校生徒約400名のうち、242番の番号札を甥がひいてしまったので、
並んだ列はかなり後ろで、
とった場所もグラウンドの一番後ろだった。
それでも逆に後ろを気にすることなく、
椅子に座ってのんびりできるはずだ。

父とスーパーで本を立ち読みをして、父は2冊購入し先に帰宅。
僕は立ち読みをかなり長時間続けた。精神論の話ばかりだった。
人の意見や実体験は確かに参考にはなるが、これは僕の人生だ。
そしてそれが今、見事に崩壊しようとしている。
本がいささかの救いになるとは思えなかったが、
黙って家に一人でいるよりは、人目にさらされていた方が、
自分を客観視できていい。変なことも考えないし。
こんな昼間っからジーンズ姿で立ち読みをしている43歳の男を
世間はどういう目で見ているのだろうか。

4時過ぎに自宅に戻ってCDの整理をした。
もういい加減聴かなくなったCDを売却しようと思った。
何せ自宅には5000枚近くのCDがひしめきあっている。
いざというときに売却すれば、多少はたしになるはずだ。
それでもCDに巨額の投資を僕は過去にしているし、愛してもいる。
簡単には譲れないものがあるが、最低レベルの、もう絶対に聴かないと
思うものを80枚くらいピックアップした。
ものによってはHDにデータとして保管しておいた。
そしてものによってはもしかしたら高額取引の対象かもしれないと、
アマゾンなどのネットで検索してキープしておいた。
本当は自宅のビデオで映画でも見ようとおもっていたのだけれども、
あっという間に7時になってしまった。

9時になったら弁当でも買いに行こうと思っていた。
今日はサッカー日本代表戦があるからだ。それも相手はモンテネグロ。
僕が大好きだった元ユーゴスラビアの血を引くチームだ。
楽しみにしてテレビをつけると、彼女が帰ってくると言う。
6時での早上がりだったらしい。
テレビを見ている姿を見せたくなかったが、サッカーだけは仕方がない。
熱戦に注視した。彼女は帰ってくるなり、夕食の準備にとりかかった。
熱戦を期待していたが、モンテネグロは案外弱く、日本の圧勝。
あとは6月5日にコロンビア戦があるので、そこでは俊輔をみられそうだ。

彼女が作ってくれた夕食を食べたが、
観戦後も会話ははずまなかった。
もうこんな状態がしばらく続いている。
ただ僕から話しかける話題がない。報告すべきことも。
それより僕は何とこんな生活に慣れてしまって来ていた。
とても危険な兆候だった。鬱病、ひきこもり、まっしぐらだ。
それだけは避けなければ。
2007/06/02(土)
甥の運動会を家族全員で観に行った。』
彼女は休日出勤だった。
朝8時半に起き、急いで用意をして、
父のBMWにクーラーボックスを積み、
飲み物や椅子などをグラウンドに運んだ。
すでに母と妹はいて、父は車を置きに一旦帰宅した。
これ以上ない晴天。雲一つない空の下で運動会は行われていた。
甥も楽しそうだったし、僕も撮影係として奮闘した。
こんな人生も悪くないなと思った。
休日に自分の子供の成長を確かめる意義。
非常に悪くない。でも今の僕にそれができるだろうか。

昼食はグラウンドで食べた。
僕は午前の部の途中でいったん抜け出して、自転車を取りに戻り、
妹の家まで行って、車に乗り換えて、
少し離れた寿司屋で父が注文していた太巻きを取りに行って、
またグラウンドに戻って来た。
今日は土曜日なので大手を振って外を歩けた。
熱射病を避けるためのキャップもいい感じで作用していた。
父と母は現在険悪な仲だったが、何とか会話をしようとしていた。
昼食は豪華で、席に戻って来た甥と5人仲良く美味しく食べた。
妹はこのために5時に起きて、丹誠込めて食事を作ったと言う。
本当にすごいことだと思った。自己犠牲できる事自体が感動だった。
僕は本当はこんなことをしている場合ではなかった。
もっと多くの人に会ったり、情報を収集したり、
やるべきことはたくさんあるはずだった。
それでも運動会を盾に、やはり現実逃避を繰り返していた。
そして家族を盾に甘えていた。

運動会終了後も、実家でのんびりコンサドーレの勝った試合を
テレビ観戦したりして、まったく危機感が欠如していた。
妹と甥は疲れて昼寝していたので、4時過ぎに僕は自宅に戻った。
直接家には入らず、車でいきなり向かったのは銭湯だった。
車にタオル等を常備していたので、そのまま向かうことができた。
一日中外にいると本当に疲れることを知った。
埃にもまみれていたし、うっすら汗もかいているはずだ。
のんびり2時間も銭湯で汗を流した。
自分が逃避していることはわかっていた。
それをどう克服するかが今の僕の課題だった。
そのことをずっと露天風呂で考えていたが、結論は出なかった。

6時に帰宅すると、いきなり彼女が帰って来た。
今日も早上がりだったらしい。2人で居間にいたが、何も会話がない。
彼女もいい加減、こんな生活に嫌気がさして来ている頃だろう。
夕食を作ると言う彼女をおさえて、外食することにした。
気分を変えないといけないような気がしたからだ。
ところがあまり腹が減っていない。昼食などでたらふく食べたからだ。
仕方がなのでラーメンを食べに行ったが、
あまり美味しくなかったのでなおさら雰囲気は悪くなった。

帰宅後楽しみにしていた番組を見るため、テレビをつけた。
心から笑えない自分がいたが、「すべらない話」は面白かった。
ゴールデン版なのでカットされた部分も多く、
無理に笑わなければいけない雰囲気はあった。
それでも芸人の底力を見たような気がした。

12時に就寝しようとしたが、どうしても今週の自分に納得できず、
彼女に思い切って話しかけてみた。
「最近何も報告することがなくて、ごめん」と僕。
「黙って待ってるだけでいいの? バイトもしないで」と彼女。
「こういうときのために貯金はあるのでは」と受け売りの回答の僕。
「私にどうしてほしいの? 私任せは酷だから」
「自分がどうしたいのか理想を教えて」
「私はちゃんと働くか、子供を育てるかの2通りしかできない」
「ちゃんと働くなら家のことは一切しないからいても無意味」
「私とのことも少しは考えて欲しい」
「この2年間、そのことだけを考えて生きて来たんだから」
「このままだと2人共だめになる」
続けざまに彼女の口から出てくる罵詈雑言の数々に僕は辟易した。
返す言葉がないのだ。その通りだから。
彼女はいろいろと考えた結果、こういう考えになったのだろう。
僕はと言えば、考えているようで結局彼女とのことは後回しだった。
まずは仕事を見つける、そのことしか考えていなかった。
心から悪いと思った。何とかしなければならなかった。
ただそういうことにいつも僕は気付いていなかった。
そう言われて初めて考え始める有様だった。
今回ばかりではなく、いつもそうだった。
そういう人間なのだ。馬鹿な人間なのだ。激しく自己嫌悪した。
彼女とのことはどうしても結論が出なかった。
一緒にいて欲しいと思う。ただ彼女じゃなければいけない理由は
日々失われて行った。
眠れそうになかったが、結論を先延ばしして眠った。
時計はもう2時をすぎていた。
2007/06/03(日)
終日、寝室で悶々と』
朝、まったく起きれなかった。
10時にベッドを出たが、居間のソファーでうたた寝をしていた。
考えなければならないことが山積みだった。
そしてそのすべてに自分が回答しなければいけないことに
猛烈なプレッシャーを感じていた。
これが人生のどん底なのだ、そう感じた。

彼女は12時近くに起きて来て、たんたんと準備をしていた。
シャワーに入ったり、化粧したり、バッグを作ったり、
ホットケーキを焼いたり。
僕は寝巻きのまま、シャワーにも入らず、歯も磨かず、
顔も洗わず、PCも立ち上げず、終日、寝室で悶々と考え込んでいた。
ただ思考があちこちに行ってしまい、肝心な結論はなかなか出ない。

それでも6時半頃に、急に覚醒した。
世の中の人は、ほとんどみんな結婚して子供を作って、
安月給でも何とか生きているじゃないか。
それを僕ができないだなんて、そんなことはあり得ない。
僕はこれまで20年以上ちゃんと働いて来たんだし、
無職期間だってまだ1ヶ月にもなっていない。
そんなことであきらめてどうする?
僕の理想は家族3人で楽しく生きることじゃなかったのか。
それをこんなことであっさり放棄していいのか。
あとでそれこそ後悔するのではないのか。
お金なら何とかなるさ、きっと。楽天的なのかしれないけれど。

彼女に夕食時、それとなく話してみたが、伝わらなかったようだった。
きっと僕の話し方がいけないか、あまりにもまた現実離れしているか、
とにかく彼女の暗い顔はそのままだった。
本当にこのままだと2人ともダメになってしまう。

10時半、あまりにも早い時間だったが、2人共寝ることにした。
寝ている時だけが幸福だった。何も考えなくて済むから。
あまりにも無駄で無意味で徒労な1週間だった。
「人生から抹消したい感じ」僕はそう彼女に表現した。
2007/06/04(月)
人間は弱いもの。弱くて卑怯なものだよ。』
「この世に転ばなかった人は一人もいませんよ」
人間にとって、転んだことが恥ずかしいことじゃない。
起き上がれないことが恥ずかしいことなのだ。(三浦綾子)

他人の言葉に触発されている自分。相当弱っているようだ。
しかしある意味、開き直ればいいことはわかった。
自分は弱い、そういう自分を受け入れながら生きていけば気楽だ。
ただ今日は天気が良過ぎる。好天だと気が滅入る。
こんなに天気がいいのに、寒い自宅でこもって、
一体何をすればいいのか。
おまけに今日6月4日は自分の記念日じゃないか。
もし今日僕が自殺をして、命日になったのならば、おかしい話だ。
みんなに覚えてもらえるだろう。
馬鹿なことを考えるようにまでなった。
まだ完全に失業して1ヶ月も経っていないのに、
僕と言えばまるで人生最後の日を迎えているかのような面持ちで、
全然前向きどころではない。
本来やらなければいけないはずの心の準備さえしていない。
ただの怠け者。すぐ逃避し、甘える性格はどうすれば治るのだろうか。

彼女が出かけた11時からまたPCに向かって日記めいたものを打つ。
1時までSpearmintを聴きながら、孤独と戦いながら。
昼食は昨晩の残りの肉野菜とホットケーキ。満腹になった。

やはり孤独に耐えきれず、自転車で出かけることにした。
外は雲一つない青空で、心地よい風が吹いていた。
実家にいる母の元に行こうと思ったが、あまりにも甘えているので
まずは川沿いに行った。友人にメールをした。
そしていろいろ思案した。主に彼女とのこと。
やっぱり結婚して子供が欲しかった。どうしても。
そのために苦労してもいいと思った。それしか結論が出なかった。
あまりの暑さで実家に逃げ帰ろうとした。ところが母は不在だった。
これは僕に与えた試練なのだ。孤独に耐えなければならない。
このくらい耐えられないでどうする。

自宅に戻ろうとしたが、あまりの好天で、近所の公園に向かった。
キャッチボールをしている親子や少年達がたくさんいた。
一人で公園にいるのは僕だけだった。みんな誰かと来ていた。
そしてまた考えた。もう孤独はいやだ。安直な考え方かもしれないが。
生きていくことは決意した。死ぬことは辞めにした。
僕はもっと自信を持っていいはずの人間だと思い込むことにした。
今は充電しているのだ、と思い込むことにした。

午後4時に帰宅。おもむろにPCに向かい、履歴書の下書きをした。
やはり小学校と中学校を3つ行ったことがどうしても気掛かりだった。
僕の人格形成に大きく影響しているような気がしたからだ。
でも今更どうしようもない。
僕は弱く、それに従って生きていくしかない。
それから突然、退職の挨拶メールを出そうと決めた。
もうすぐ辞めて1ヶ月だし、心配している人もいるかもしれない。
Gmailに挑戦したが、前職のアカウントで入ってしまい、
激しく後悔した。
新しく自分の名前のメールアドレスで登録し直し、
文面を考えているうち、あっという間に8時になった。
あまりにも最近時の経つのが早過ぎる。

昨晩の鮭を食べた。少し少なかったが仕方がない。贅沢は言えない。
彼女の帰宅が遅かったので、一人で性欲を処理することを考えた。
何せ5月14日から性交をしていない。全く出してもいない。
僕にしては考えられないことだった。この間、彼女の生理もあった。
それでも我慢することにした。
いつか彼女とできる日が来るはずだった。
幸福のうちにセックスをしたい。
総合格闘技の番組を何の気なしに見ていた。桜庭がホイスに負けた。
元部下が進捗状況がどうなったのか、心配して電話をくれた。
心遣いがありがたかった。
妹からもメールをもらった。みんな心配してくれていた。
何故かまた泣きそうになっていた。最近は本当に涙もろい。

挨拶メールを12時近くに送信した。
終電で帰宅するはずの彼女をセブンイレブンまで迎えに行った。
軽くカフカのアフォリズムを読んで就寝した。深夜1時半。
相変わらず彼女との会話は少なかったが、
階段に落ちていた謎の山菜を巡って、眠る前に若干の話ができた。
彼女の劣悪な職場環境などについても。
ごめん。そんなところにいさせているのも僕のせいなのだ。