2007/05/01(火)
intro 2007年5月29日 記』
もし人生を振り返ることができたとき、
自分が何者でもない空白の期間を見つけたとしたなら、
まさしく今がその時だろう。

プリファブ・スプラウトの『アンドロメダ・ハイツ』が心に滲みている。

家族の写真。自分が小さかった頃の写真を見ると何故だか涙が出てくる。
どうしてかは自分でもわからない。

これまで用事のある時にしか訪れることのなかった
歩いて10分程度の実家に毎日のように行っている。

そこには昨年、子宮癌を克服し、今は月に一度うつ病の薬をもらいに
精神科に通っている66歳の母と、6年前に離婚し、
僕にとっては甥となる男の子とともに戻って来た40歳の妹が住んでいた。
母は大病を煩ってからは人が変わったように穏やかになっていた。
家で一人でいても大丈夫になってきていたし、今年小学校に通うことになった
甥を学校まで迎えに行く午後5時になるのを、本人は面倒と言いながらも
楽しみにしているように見えた。
妹は僕なんかよりとても人間ができていて、今は看護学校の教師をしている。
本来は非常に優秀な看護士なのだけれども、
甥の存在が夜勤を困難にしているようで、現職に今年の4月から転職した。
毎日朝8時には甥を連れて車で家を出て、甥を小学校に送り届けると、
20分ほどかかる僻地の学校で教鞭をとり、午後6時には帰宅する。

父も71歳で生きてはいるが、誰とも住むのを拒み、
今、僕の住んでいるマンションの真上に一人で住んでいる。
年金と退職金で悠々自適の毎日のようだ。
どうやら沖縄に愛人がいるようで、3ヶ月に一度はかの地を訪れている。
他人に干渉されるのが世の中で一番嫌いなようで、
午後4時になると大好きな酒をたっぷり飲み、電気とテレビをつけっぱなしにして
朝まで寝てしまうのを日常としている。
午後4時の解禁時間は父が人生において唯一自分で定めた掟だ。
彼は70歳まで現役で働いた、体力にはすこぶる自信のある男で、
もしかすると今でも腕相撲では勝てないかもしれない。
ゴルフは一生勝てそうもない。
父は元銀行員で、後年は出向先の病院の事務長を務め、
週に4日はゴルフをしていた。
元々は小心者で神経質な小市民だったが、
酒の飲みっぷりと金遣いだけは豪快で、
残りの家族は彼のせいで振り回されることが多かった。
それというのも彼の転勤に付き合わされたからだ。
数えてみたところ、これまでの人生において僕が引っ越しをした回数は
実に13回。それも15歳までに10回もしている。
そのせいで幼稚園を2つ、小学校を3つ、中学校も3つ通うことになった。
少なからずその転校は僕の人格形成において影響を与えただろう。
でも今となっては何が原因かはわかりはしないのだけれども。

僕は今34歳の彼女と一緒に父の真下のマンションの4階に住んでいる。
父から生前贈与を受けた築25年の分譲マンションで、
家賃は駐車場代や水道代などの使用経費以外かかっていない。
最寄りの地下鉄駅から歩いて15分。
バスも走っているが、あまり乗ったことはない。

今これを書いているのは、2007年5月29日、火曜日、午後4時32分。
リラ冷えのする静かな午後だ。
昨晩のトップニュースは戦後初の現役閣僚の自殺で、
一昨日のそれは戦後初の牝馬ダービー制覇だった。
今日はどんな戦後初が飛び出すか、楽しみはそれしかなかった。

気分は空模様のようにどんよりとしていた。
自分が何者なのかが、43歳になって初めてわからなくなっていた。
42歳まではすべてがクリアに見えていた。視界良好。
人生には何の不安もなかったし、まさか1年後の平日の真っ昼間に
自宅でパソコンに向かって、わけのわからない自伝のようなものを
書いているとは思いもしなかった。
先に疑問を晴らしておきたいのだけれど、僕はリストラされたわけではない。
自分から会社を辞めた。それも2社も。この1年で。正確には8ヶ月で。
それには理由が書ききれないほどあるのだけれど、
あまりにも事情が複雑で、どこまで正しく伝わるかはわからない。
正確に伝えようとすればするほど、自分に優位なように伝えてしまいそうで、
今の心境では到底無理な作業のように思える。
なので、それを端的に、そして時系列的に伝えられるたったひとつの媒介、
僕のここのところの日記を公開することとする。
これだと内情が手に取るようにわかってもらえるはずだ。
また、これによって自分の置かれている位置を再確認できるかもしれない。
時間はたっぷりあるのだけれど、これまで効率的に生きてきたので、
その慣例に則って始めてみたい。
2007/05/07(月)
今日から第二、いや第三の人生が始まる。』
意気込んで8時半に起床する。かと言って、何もすることはない。
しかしいつも通りシャワーを浴び、朝食をとると目が覚めてきた。
新聞は休刊日で、仕方なく昨日の新聞の上で髭を剃る。
これもいつもの習慣だ。
特別なことはしたくないし、する必要もない。

ただ今日辞めた会社には連絡した方がいいことが2つあった。
ひとつは某タレントプロダクションのグッズのこと。
ただこれはメールでCCしているから、おそらくは大丈夫。
もうひとつは某航空会社への請求。これも何とかなるだろう。

要するに僕がいなくても世界は回るということだ。
そのことさえ肝に銘じていれば、妙なストレスは抱え込まなくて済む。
何もすることがないのに起きてしまったのは
自分に喝を入れるためだけではなく、
僕の自宅に共に生活を営んでいる彼女に
ダラダラしているところを見られたくなかったからだ。
彼女とは前日にまた長い話し合いをして、
最後に「こんな私でいいの?」の一言が決め手となって、
これからも一緒に暮らすことが決定したところだった。
かなり不安定な決定ではあったけれども、
僕の心の平穏は、その一言である程度保たれていた。

善は急げという諺の通り、ハローワークに行くことにした。
何しろ今日から人生初の無職なのだ。
必要書類を集めていたら、
そういった類いには慣れている彼女がいろいろアドバイスをくれた。
どうやら証明写真が必要らしい。
これまで見たこともない多くの書類と一緒に
僕は行ったことがない場所にこれから出向くのだ。
その気分は、やけに軽やかだった。
今までの様々なことから初めて解放されたことよりも、
これから起こるであろう人生の出来事の方に興味があった。
しかしながら自分がどこにも属していないという不安、
そして、これも初めて味わうことになる経済的逼迫、
こういった要素は頭の片隅にどうしてもあった。
今日の天気と同じように、晴れたり曇ったりといった具合だ。

彼女を最寄りの駅まで送った。
いつもよりかなり早い到着だったが、彼女は嬉しそうだった。
その足で、少しだけ並んで通帳に記帳しに近所のスーパーに行った。
何しろ長い連休明けだ。主婦が通帳とにらめっこしていた。
そして2階にある証明写真のマシンで
600円払って写真を撮ることにした。登録に必要だという。
なかなかマシンの利用方法が理解できなかったが、
2回目に撮影した写真はなかなかよく撮れていたと自分では思う。

さて、それを持ってハローワークへ、と思ったが、
ゴールデンウィークの連休明けで混雑が予想され、
なおかつ昼休みにさしかかりそうだったので、
先に自転車で5分ほどのところにある実家に行くことにした。
実家には母がいた。とりたてて用はなかった。
洗顔中だった母と、これからホームに入る祖母と
そのために来札する叔母の予定を話し合った。

とにかく人生の何かがわかり始めていた。
老いていくこと。働くこと。人と暮らすこと。家族のこと。
多くの人生の仕組みがようやくこの歳になってわかってきたのだ。
この歳になって、というより、
こういった境遇になって、と言った方が正しいかもしれない。
しかしそれはすべて自分が選んだ結果なのだ。
たとえそれが愚かな選択だったとしても、
もうそれは選んでしまったのだから仕方がない。
取り返しがつかないことを嘆いても仕方ないことはわかっていた。
それを誰かのせいにしようとも思っていないし、
誰かに押し付けようとも当然思っていない。
これからその愚かな選択分だけ、僕は苦労しなければいけない。
そしてその苦労は、今まで避けて来た、
いや訪れることがなかった苦労なのだ。
よくぞここまで苦労知らず、世間知らずで生きてこられたもんだ。
何しろ、いったい1ヶ月に自分がいくら遣っていたのか、
社会にどんな形で貢献していたのか、
働かないと収入がなくなり、その結果訪れるものが何なのか、
すべて最近知ったことなのだ。
僕はもう43歳の、れっきとした大人なのに。

突然、友人の誕生日が昨日だったことを思い出し、
携帯からメールしてみた。そこには「今日からプー」とだけ記した。
心配してくれた友人から何通ものメールの返信をもらった。
自分がまだ一人になっていないことが、やけに嬉しかった。

母からおいしい食パンを半斤もらい、自宅に戻り焼いて食べた。
何故かはわからないが、無性にお腹だけは空く。
それにこれまで便秘だったのが信じられないほど
便がスムーズに今朝は出た。
快食快便はいいことだが、これは先日までの9連休で、
自分の心身が元に戻ったことを証明しているのだろうか。
デザイン会社での変則的な勤務で、
すっかり夜型になってしまっていた自分が
たったの9日間、それも3日間は東京で何も考えずに
遊んでいたというのにそれだけで回復してしまうものなのか。
それほどのダメージは受けていなかったということなのか。
とにかく休んだことは自分にとって悪い方向には行っていないようだ。
思考もポジティブだし、物事をプラスに前向きに捉えられる。
それは不安の裏返しなのかもしれないけれど。

勝手に会社を辞めてしまったことに対しては済まなく思っている。
しかしそうするしか方法はなかった。
今日から会社に行かないことは、
前日に置いて来た手紙ですべてわかっているはず。
電話もメールも来ないところを見ると、もう諦めたのだろう。
これまでも何度も辞める辞めないを話し合って来たのだから。
ただ、パソコンを立ち上げて、
会社関連のフォルダーの名前を変えているあたりから妙な胸騒ぎがした。
ほどなくそれは的中していたことがわかる。
僕のメールアドレスがまるで使えなくなっていたのだ。
これが彼らの僕に対する回答だった。あまりも陳腐な。
僕はこれで外部、特にクライアントとのコミュニケーションが断絶され、
外部からのメールははじかれていき、おかしいと思ったクライアントは
そのまま自動的に他のスタッフへメールをするか、
電話に切り替えて、初めて僕が退社したことを知るという仕組みだ。
「体調不良につき退社」などという綺麗ごとは言わない奴らだ。
きっと「今日から突然来なくなった」など、
わめき散らしていることだろう。そんなことなもうどうでもいい。
あとは僕が僕らしい人生を静かに歩むだけだ。
きっとどこかでまた彼らと接することがあるかもしれない。
そのときに笑顔で会えるようにしたい、そのためにはどうしたらいいか、
それだけを考えようと思っている。
仕方がないので、amazonなどのメール設定を
すべて自分のものに切り替えた。

その時点ですでに2時を迎えていた。
パンを食べた後、食器も洗わずに、ネットサーフィンをしていた。
このままではいけない、とどこかで自分が叫んでいた。
とにかく動かなければ。
しかし動けば動くほどお金がかかることもわかり始めていた。
世の中はそういうシステムで動いている消費型社会なのだ
ということをあらためて知った。
ふと先日、彼女が珍しく勇気を出して発言した言葉が蘇って来た。
「食器洗い乾燥機をなくしたいんだけれど」
確かに彼女の目指すスローライフとの方向性には
180度そぐわない代物だった。
前妻の手術で余った保険金で買った機械だったが、
最近は使用頻度が激減し、ただの白い大きな箱と化していた。
結構重量もあり、移動するにも面倒だったが、
こんなにまとまった時間はそうそうないと判断して撤去することにした。
それは前夜に彼女が放った一言、
「前の奥さんと暮らしてた家にやってきた居候」
それに僕自身が影響されていることは間違いもない事実だ。
確かにそこかしこに残骸があり、今の彼女の前の彼女もそのことに疲れ、
ここにはほとんどよりつかなった。
微かな匂いや空気を読む力は女性の方が強いのだろう。
おまけに感受性の強い女性ばかりなこともあって、
僕がかえって無神経な男に思えてくるから不思議だ。
こんなに繊細な男はそんなにいないと自分では思っているのに。
彼女のために大枚はたいて家をリフォームし、
前妻の存在を払拭しようと試みたのだけれども、
やはり完全にはできていなかったのだ。
これから少しずつでも無くしていくことが、僕の役目でもあり、
過去との決別にもつながっていくことだと心に決めた。
そして機械の撤去に着手したが、なかなか手強く、
モンキーレンチまで登場し、やっとのことではずすことに成功した。
捨てるのはもったいないと思ったが、
機械の裏側には、1997年製とあった。
もう10年も前のものだ。リサイクル屋も引き取りはしないだろう。

ダメ元で、マンションの真上に住む父に
この機械をいるかどうか聞いてみた。
すでに仕事をリタイヤした父は昼寝中だった。
昨日も孫と息子とのキャッチボールでほとほと疲れていたことだろう。
おまけに長男である僕が突然家にいるようになったものだから、
心配しない方がおかしい。
今まで寝るためだけに帰って来たような場所に終日いることは、
自分ではまったく苦しくないと思っていたのだけれど、
すでに初日から破綻していた。
父は「いらん」と言うことだったので、
空いている父の物置に入れさせてもらうことにした。

外は寒かった。
様々な過去の残骸が物置にはあり、
それらを僕はなかなか捨てられないでいた。
どこかで考え方を変えないといけないことは重々承知していた。
ただ何かが僕の中でくすぶり続けているのだ。
食器洗い乾燥機を物置にしまってから、
やっとハローワークに車で向かった。
すでに時間は4時近くだった。

ハローワークは5時15分までやっているらしいのでまだ大丈夫。
それに午前の方が混んでいる。
現実は甘くなかった。駐車場は満車。あらゆる人種で混雑していた。
何をどうしていいのかわからなったので、
記入場所でボンヤリと周囲の人をうかがっていたら、
自分と同じような書類を持った女性が総合案内所で質問をしていたので、
僕もそれにならって案内の手ほどきを受けた。
次々と横には新しい客が並び始め、
スタッフに対して「えー、そうなの?」とため口をきいていた輩もいて、
これじゃ職も失うわな、と思った自分も
実は同じような甘い考えで、いや逆に無知なことで、
こういった状況を招いているのだった。

人生はよくできているもので、必ず帳尻が合う。
今まで何もなかった分、これからどっさり苦労を抱え込むのだ。
書類を書き終え、整理券を受け取った時点で、すでに26人待ちだった。
いったい自分の番がいつになるのか、まったく見当もつかなかったが、
初めて来た場所での緊張も手伝って、
初めはきょろきょろと周囲を気にしてばかりいた。
しかしそれにも限界があり、しかたなく時間潰しに
携帯電話に入っていた英単語ゲームをすることにした。
久々に英語の脳味噌を遣っていることが快感だった。
僕はおそらく一般人よりは英語を知っている。

名前が呼ばれたのはすでに閉館時間を過ぎた後だった。
最後の一人か二人といった状況。
ひげを生やし口臭がきつい男性が担当で、
事務的に僕の退職理由等を聞いて来た。
僕はそれに正直に答えたつもりだったが、
今となってはどうして会社を辞めたのかがわからなかった。
ただ他人に説明するのに最適な理由を見つけ出しているだけだった。
確かに僕には管理能力が欠如していたし、
この歳で管理ができないことが
どういうことを意味しているかは一目瞭然ではあったけれども、
それでもできないものはできないので、
仕方なくそう答えるしかなかったのだ。
そして結果は、8月14日から9月30日までの
1ヶ月半分しか失業手当が出ないという、
事前に予想していたものとは全くちがうものだった。
自分では1週間後に21万円が振り込まれ、
6、7、8、9月はゆっくりと職を探せるとたかをくくっていた。
それがこの結果を受けて、見事に崩壊してしまった。
すでに暖房が消えてしまった館内は薄ら寒く、
僕の未来も暗くなっていくばかりだった。
でも仕方ない。これもすべて僕の人生なのだ。
甘んじて受け入れるしかない。
少しの間ならこれまで貯めた貯金で何とか暮らして行ける。
この状況が僕に余裕を持たせているのか、
逆に追い込まれているという状況を作り出せずにいるのかはわからない。
ただ生きていくしか方法はないのだ。すでに夭折と行った時期は過ぎた。
自死は現時点で選択肢にはない。

霧雨の中、ハローワークを後にした。
帰宅するとすでに6時半を過ぎていた。
しばらく何もする気が起きなかった。
彼女が帰宅するのは10時だ。
それまでに僕がすることと言えば、夕食を作って待っていることだけ。
すでに昨日彼女が材料は仕入れて来てくれていたので、
それを準備することにした。
でも何だか腰が重く、仕方がないので、
テレビでクイズ番組を少しだけ見た。
そしてきっちり2時間見続けた。

あまり褒められたことでも何でもないのだが、今日は昼寝をしなかった。
今日一日昼寝をしなかったことは自分における最低限の意地だった。
これからは朝の7時に起きる生活だってしなくてはいけないはずだ。
昼寝をしないことは、そういったリズムを作り出すと信じていた。
朝は早く起き、昼寝をせず、夜は早く寝る。
先日までのデザイン会社の深夜帰宅パターンから
早く脱したいという気持ちももちろんあった。
しかしそれより何より、人間らしい生活をしたかった。

とろろを擦って、まぐろを切って、山掛けを作った。
サラダのためにレタスとキャベツを切った。
千切りが以前よりもうまくなっていた。
たださすがに味噌汁の作り方だけが定かではなかった。
自分でほとんど料理をしたことがなかったので、見よう見まねでしかない。
これはあとで彼女に聞くことにしよう。
あとは鶏肉を炒めるだけだったが、
それは彼女が帰宅してからにすることにした。
案外料理や家事は楽しかった。今だけかもしれないけれど。

帰宅した彼女と一緒に夕食をとった。
12時から夜9時までコールセンター勤務で
電話で話し続けている彼女に言葉数は多くなかったが、
食器洗い乾燥機があとかたもなく消えていたことは嬉しそうだった。
やっと理解したか、といった気持ちだったのかもしれない。
しかし夕食後、食器を洗っていると彼女の態度が一変した。
雑誌を読みながらソファーの上で寝込んでしまった。
連休明けのいきなりの仕事で疲れているんだな、と僕は思い、
かかっていたテレビをただ眺めていた。
松井秀喜が2000本安打を奇妙な形で達成したようだった。
休刊日あけの夕刊には、昨日のNHKマイルカップでの
大万馬券の940万が大きく取り上げられていた。
どちらも僕には縁遠い世界の話になってしまっていた。
彼女が突然、もう寝ると言い出したのは12時を少し回った頃だった。
やはり疲れているんだと判断した僕は、
一緒に寝る準備をして、床に入った。
僕はすぐにでも寝られそうな体調だったが、
彼女は寝付きが悪そうだった。
2007/05/08(火)
1円たりとも使いたくなかった。』
朝5時に一度目が覚めた時、彼女はつられて目が覚めたようだった。
ただしばらくして、深い寝息が聞こえて来たので、少し安心した。
7時に寝返りをうった際にも、彼女は起きたような感じだった。
要するに自分のペースや人生が他人によって変化してしまう。
そのことにおそらく彼女は激しくストレスを感じているのだ。
もちろんそのことに本人も気付いていて、
でもそれをどうすることもできないという非力な自分に
ほとほと嫌気がさしているようだった。

朝8時。僕は燃やせるゴミを捨てに一度起き、
着替えてマンションの4階から1階へと階段を下りた。
別に嫌な気分はなく、
逆にこうして朝早く起きられる自分に感動さえしていた。
しかし外は寒く、帰って来て僕はまた寝巻きに着替え直し、
彼女の待つ布団に舞い戻った。
それは単に寒かったし、もう少し横になってもいいと思ったからだ。
すると彼女はこう言った。
「お願いだから、普通にしていて」
普通・・・。
僕は何とか自分の人生を普通にしようとしてたのに、
どうやらそうした僕の行為が彼女にとっては重荷のようだった。
出かける準備もままならない様子の彼女は泣きながら、こうも言った。
「私がすることがなくなったら何のためにここにいるのかわからない」
そういう考え方をする女性だった。
「だったら餃子は作らないから」
冗談とも皮肉ともつかない僕の言葉をよそに、
送って行くよというのを無視して、
「甘えちゃいけない」と彼女は11時に仕事へと向かった。

残された僕は、またメールをチェックしたが、やはり繋がらず、
やむを得ず、村上春樹が訳したレイモンド・チャンドラーの名作
「ロング・グッドバイ」を読み始めることにした。

僕がやるべきことは、まず早く次の就職先を見つけること。
まだ僕は何ひとつしていない。履歴書も職務経歴書も書いていないし、
どこにも面接にも行っていない。
たかが1日の無職生活が、これほど辛いと思わなかった。
窓を開けて気分を変えたかったが、
花粉症に悩む彼女のことが気掛かりで開けることもできなかった。
もうこれ以上、親には心配や迷惑はかけられない。
彼らには彼らの人生があるのだ。
そこに突然現れた息子はただの邪魔者だろう。
あとは本屋かビデオレンタル屋に行くか、図書館に行くか、
それとも狙っている就職先に行ってみるか。
現実逃避をするつもりはまったくないけれども、
動きが遅くなっているのは加齢のせいだろうか。
自分の冒した罪を自分で償うだけのことなのに、
どうしてこんなにも困難がつきまとうのだろう。社会も人間関係も。
そういった考え方自体が、
すでに利己的で自己中心的なのだろう、きっと。
すべては自分が招いたこと。運命でもなんでもない。
自分が楽に生活しようと夢を見ていただけ。

やはり空腹には耐えられなかった。
これも徐々に量を減らさないと家計がまずいことになる。
こうしてパソコンに向かい、現状を吐露しているのは、1時半。
外は暖かそうな日差し。桜は満開のようだ。
午後4時までdiaryと称したものを書いたが、
まるで理路整然としていない文章に辟易。
ただ、ある意味では小説にできるかもしれないとも思う。
しかしながら誰が43歳で無職になった馬鹿な男の話を読むだろうか。

本屋に行こうと思ったのは、天気が良かったことと、
今朝の朝刊に広告が掲載されていた稲森和夫の「生き方」という本を
手に取ってみたかったからだ。
今の僕のように弱った人間のために、
自己啓発と宗教は用意されていることくらいわかっている。
ただそれが気になってしまうのは、
やはり僕もご多分に漏れていないということなのだ。
結局は平凡な人間。そういうこと。
いよいよ経済的なことも頭の中をよぎり始めて来たので、
自転車で有名な川の近くの大型書店まで向かうことにする。

本州では真夏日になったところもあるという5月だというのに、
僕の出立ちはタートルネックにフリースにジャンバーにジーンズに手袋。
案の定、表に出た瞬間に暑いと感じた。
でも自宅の室内は結構寒く、足は相当に冷えていたのだ。
時間を何も気にすること無く
自転車を走らせたことはかなり久しぶりのこと。
いつもは出勤くらいしか使わないので、
普段のスピードの半分くらいでのんびりこいだ。

15分程度で郊外型の大型書店に到着し、まずはCDを座って試聴した。
いまだきちんと聴いたことの無かったノラ・ジョーンズの新譜と、
アヴリル・ラヴィーンの新譜、
それにアークティック・モンキーズの新譜。
一番馬鹿にしていた2番目のが心に響いた。
リズムを取っている自分に正直驚いた。
ロックはこういったときに無力だということを知った。
店員が何度も僕の横のブースに入替作業をしに来たので、
嫌がらせかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
被害妄想はここまで来ているようだ。
そして本のコーナーに移動し、座って読める場所が空くや否や、
目当ての本を持ち込み、速読であっさり読破した。
しかしやはり内容的には「仕事が人生で一番重要」、
「強く願えば必ず叶う」など紋切り型のものばかりで、
頭ではわかっているのにできない自分に腹を立てることに。
その他の本も、何かとそういった類いの本ばかりが目につき、
本当に弱っていることを確信したが、気分的には悪くなかった。
こんなに自由を満喫しているのは初めてだからかもしれない。
しかしその自由も一時のものだという認識はやはりあって、
それでも僕を川沿いの遊歩道に招くくらい太陽光線は強かった。

自転車で川沿いまで下りたことは、これも初めてだった。
野球を楽しむ少年、ジョギングをする男性、
サイクリングをする帰宅途中のサラリーマンなど
普段あまり目にしたことのない光景はやけに新鮮だった。
そこで大きく深呼吸をしてから、
東京に暮らす友人に携帯でメールを送った。
こういった場合、
どうして同じような境遇の人間に接したいと思うのだろうか。
傷口を舐め合いたいという本能なのだろうか。
すぐに返信が来て、そこには
「今まで走り続けて来たから休む頃合いなのかも」とあった。
自分以外の人間にはそう思えるのかもしれないが、
今まで自分は走っている感覚など微塵も無かった。特に昨年の夏までは。
ただ惰性で生きていただけ。
それはこの4月の番組改編で、
後任の手腕が大きくアピールされたのを目にした瞬間、
自分でも確認したばかりだった。

だから僕は疲れてもいなかった。
今となってはどうして前々職を辞めたのか、それすらわからない。
彼女が言うように「安定」を求めていたのなら、
絶対に辞めるべきではなかった。
それは給料の面からも仕事の面からも、そして将来の面からも、
誰の目から見ても明らかだった。それでも退職したのだから、
きっと僕は何も深く考えていなかったのだろう。
事実、こうなってしまうことなんて、全然予想していなかった。
それでもこうなってしまった以上、最善を尽くすしかない。
それしかない。

帰り道、ビデオレンタルに寄ってみた。
先日観た映画「バベル」が「クラッシュ」に似ているらしいので
ちょっとそれを観てみたかったからだ。
アカデミーを受賞したくらいだから、その存在は知っていたが、
何だか観る機会も余裕もなかった頃に上映されていた作品らしく、
今の今まで観ていなかった。
ところがどうやって目当てのビデオを探していいものやら、わからない。
五十音順でもないらしく、最新作でもない。
かなりの時間を費やした結果、やっと発見。
1本だけ棚に残っていて、あとの7本程度は借りられていたが、
いったい借りるのにいくらかかるのかも知らなかったので、料金表を見た。
330円。それだけで借りるのをやめた。1円たりとも使いたくなかった。
いや、こわくて使えなかった。事実、昨日から一銭も使っていない。
こんなにも自分が弱くなるのが信じられなかった。
43歳での転職は臆病者のすることではないと、心からそう思った。
他人事のように聞こえるかもしれないけれど、本当にそう思った。

帰宅にはなだらかな坂道を
ずっと自転車をこいで上らなければならなかった。
いつも会社帰りにフーフー言いながら帰っていたのだが、
今日は違っていた。ペダルが軽い。
どうやら体力だけは回復したようだった。
桜は満開。夜の6時半に帰宅した。もちろん誰もいない。
ビデオレンタルにいるときに思いついたのは、
自宅にあるまだ観ていないビデオ達の存在だった。
それでいきなり観ることにした。
室内は寒かったが、肌掛けを巻いて観た。
以前CSでHDDに録画しておいた「らくだの涙」という映画。
こんなに台詞の無い映画を観たのは久しぶりだったが、
その土地に住む人の生活がよくわかった。

かといって、僕はモンゴルに住んでいるわけではなく、
日本の北国で暮らしているので、
映画が終わった瞬間、いきなり現実に引き戻された。
彼女が今朝言っていたことを守るわけではなかったが、
夕食は炊飯と味噌汁だけにすることにした。
水餃子は彼女の得意料理なので、そこを汚すわけにはいかなかった。
7時からかかっていたテレビ番組に結構夢中になってしまった。
それから夕食を作り始めたが、
昨日と違って何だかまったく楽しくなかった。
味噌汁はうまくできた。けれどもご飯は少し柔らかかった。
昨夜が硬かったせいで水の量を増やしたせいだ。

彼女が帰宅した。朝とは打って変わって別人のような口調だった。
そして大急ぎで水餃子を作り始め、
あっという間に完成し、あっという間にたいらげた。
僕は極めて普通にしようとしていた。
でも何かが決定的に失われていた。
彼女はもしかすると二重人格かもしれない。
そこまでいかなくても分裂症の嫌いはあった。
それでも僕は誰かと一緒にいたかった。
深夜のテレビを見ることはやめにした。
明日は彼女は休日なので、
久しぶりに早く布団に入りセックスをした。
とても親密な交わりだった。記憶を整理すると4月22日以来だ。
彼女のすべてを余す所なく舌で触れた。それが唯一の愛情表現だった。
2007/05/09(水)
僕はあまりにも自己中心的過ぎる』
早起きだけは心がけようとしていたのに
彼女が休日なのをいいことに10時過ぎまで寝てしまった。
起きても何もすることがないのは、すでにもう飽きていた。
シャワーに入りたかったけれども、
まだ寝ている彼女を起こすのは心外だったので
仕方なく居間のソファーで「ロング・グッドバイ」の続きを読み始めた。
それにしても分厚い本で、
いつになったら読み終えるのか皆目見当がつかない。
おまけに次から次へと人物が登場し、
こういった類いの小説を今まで読んだことがなかったので
手強いなと感じたのと同時に、
いったい何てタイトルの本を読んでいるんだ、と自虐的になった。

昨夜の感じからすると、
彼女の心はまだ100%ここにとどまることに決めてはいない。
どこかまだ実家へ帰るという選択肢は残されているようだった。
それは一緒にいると二人共不幸になるといったいつもの口上以外に、
何か大きな、そして決定的な理由があるはずだった。
予想外にそれは彼女が起きて
居間に来てから話した言葉で明らかになった。
あまりにも早くその謎が解けたのは、
僕にとってはいいことだったのかもしれない。
知らないで生きていたら、僕はどうにかなっていただろう。
そういった点でも僕は彼女のことを愛していた。
人の痛みがわかる人だという点において。
そしてそれが今の僕には必要に思えた。

「辞めた会社には顔を出さないの?」と彼女は切り出した。
「近いうちに行こうと思ってる」と僕は心にもないことを言った。
実はもう2度と行かないと決めていたのだ。
でも朝から事を荒立てるのはやめにした。
「手紙だけっていうのは、よくないんじゃないかな?」と彼女。
「僕もそうは思ってる」と僕。これも心にもないこと。
「もう会っても向こうは何も言うことはないかもしれないけど」
「ほとぼりが冷めるまで待とうと思っている」

相手側の立場になって物事を考えられるというのは、
僕の強みでもあったはずだ。
ところが今回はまったく他人を顧みることなく、
衝動的に動いている自分が確かにいた。
これだけでも今の僕の切羽詰まった状況がわかるというものだ。
何もかも冷静に考えられず、何もかも中途半端に、
そして無責任に物事を終息させてしまう。
神経質な僕が物事を放り投げると、
こういった状態になることが今回よくわかった。
いや実は前々職を辞めたあたりから、
自分では気がついていたのかもしれない。
無能なスタッフをまとめられず、
理不尽な要求をする株式上場企業の中間管理職。
肩書きや給料はいいにしても、
まったくクリエイティブとは言えない業務内容。
そういったことに嫌気がさして、僕は放り投げたのだ。
そして自分自身の残された力をもう一度確かめたくて、
まったく畑違いのところに身を投げた。
けれどもそこは地獄のような場所で、
毎日魂をぶつけ合うことにたったの半年で疲弊してしまった。

それが本来のクリエイティブな生き方だということは百も承知だった。
頭では何もかもわかっていた。わかっていたつもりだった。
しかし自分でいざ実行しようとすると、まるで動きがとれなかった。
それを「何をしていいのかわからない」という
簡単な言葉で説明したのが間違いだったのかもしれない。
加齢のせいや、以前からの環境の違いによる戸惑いといった理由は、
半年も続かなかった。
僕より10歳も年下の社長に毎月提出を要求されていたレポートには、
僕がいかに与えられた仕事ができなくて、不向きで、
でも頑張るといった内容がここのところ数ヶ月続いていた。
そして殺人的に多忙だった年度末を終え、
4月に入ると何も仕事がなくなってしまった。
朝、何をしていいのかわからない日々が続いた。
そろそろ本腰を入れて、自分の進むべき道を考えようと勿論した。
でもそれにはワンマン社長の同意が必要で、入社前に僕が描いていた
比較的自由なポジションはその会社にはほとんどないに等しかった。
ちょっとでも外出しようなら、
そのための給料は払っていないと一蹴された。
金の遣い方は大雑把だったが、
こと賃金となると異常な執着心を見せる社長だった。
決算期のボーナスが、他の社員に300万円以上で、
僕には一銭も支払われなかったのには、
叱咤激励という意味が込められていたのだろうと想像する。
しかしその考えは毎年必ず2回賞与が約束されていた
典型的なサラリーマンの僕には通用しなかった。
その不払いは確かに退職の引き金にはなった。
でもそれ以上に僕に決意させたもの。
それは「これから何をするんですか?」の一言だった。
そしてある日机の上に置かれていた広告批評という雑誌とメモ。
「これからは広告営業の道しかないと思います」
僕に「給料は下がりますが、何もしなくてもいい」といった経営者は、
たったの1週間で態度を豹変させた。
確かにその1週間、僕は何もしていなかった。
何かをしようとも思っていなかったし、何もしたくなかった。
本当にゆっくり道を定めようとしていただけだ。
でも結果的にそれが逆鱗に触れることとなった。
そして不払いが発生した。
彼曰く、「株はいらないといった態度からも決めざるを得なかった」
社長である彼以外の従業員に節税対策で株を持たせる話があり、
そのメンバーの一人に僕も当初は入っていた。
しかし僕がいったん退職の話を持ち出したので、
彼はそれを一人のスタッフだけに譲渡すると言ったのだ。
僕もそれに賛成した。
けれどもそのとき、頭の片隅にはやはり
「いつか辞める」といった思考がどこかにあったのだろう。
それを彼は察したのだ。彼の洞察力は人並みはずれていた。
その他も多くの才能にあふれていた。
自分とはレベルが明らかに違いすぎていた。考え方も生き方も。
特に仕事に対しての姿勢や取り組み方は、
家と仕事を分けることなく考えるなど180度異なった思考経路だった。
僕がその会社を去るのは当然の末路のような気がしていた。

彼女との会話は、
それらのことを急激に僕に思い出させることになった。
僕はもう前職については何も思い残すことなく、
きれいさっぱり忘れていた。
ところが彼女にしてみると、まだ全然終わっていなかったのだ。
彼女は僕の後始末はいつも最低だと思っていた。

そして午後2時の納豆ご飯という質素な昼食時に、
ついに思いも寄らないことを口にした。
「本屋さんでのこともそうでしょ?」
それは僕が自分の詩集を委託販売してもらっていた
独立系の本屋さんとのやりとりのことだった。
僕はそのときのことを酸っぱい記憶としてはとどめていたが、
どうやら彼女にとっては、
僕という人間を判断するのには格好の材料だったらしい。
図星だった。何もかも彼女の言う通りだった。
僕の生き方は、すべてが無責任で、自分勝手で、
人間関係の「に」の字も感じられないものばかりだった。
特に強い意志の人と対峙した際に僕がとる言動は、
ことごとく最終的に逃げていた。
自分が傷つくことばかり恐れ、なのに責任を全くとろうとしない僕。

立ち直れないほどのショックだった。
彼女に言われるまでまったく気付かなかった。
何がショックだったのか。まず気付かなかった自分。
そしてそんな僕だと知っているのに
一緒にいることを選択しようとしている彼女の強さ。
僕は自分ではペテン師だとも思っていないし、
裏切り者だとも思っていない。
けれども結果的にはそうなってしまっていた。
自分が最も嫌悪するような人間に
自分自身がなっていたという事実に愕然とした。
しばらくの間、食卓テーブルで放心状態だった。
これからどういう顔をして生きて行けばいいのか。
すべてをお見通しだった彼女にどういう態度で接すればいいのか。
世の中の人々は、みんなこのような逆境に耐えて生きているのか。
だとしたら、自分だけが弱く甘えた人間なのか。
何が僕をそうさせたのか。幼い頃の奇妙な家庭環境か。
それともやはり甘えて生きている自分自身か。
わからない。わからなかった。ただわかったことがあった。
それを自分で認めて、それを直して、そこから立ち上がらないと。
何故かポジティブに考える自分に驚いた。
「直そうとするだけ偉いよ」と彼女はやさしく呟いた。
「私はもうすべてをあきらめているから」

自死を選択しなかった以上、生きていくしかないのはわかっていた。
生きていくためには働かなければいけないことも、よくわかった。
そして僕にはそういった言葉をあえてかけてくれる存在もいる。
それだけでもう十分幸福じゃないか。
お金では買えないことを今日学んだ。
ある意味清々しい気分だった。
自分のことをこんなに知ったのは生まれて初めてかもしれなかった。
大学生の頃、同級生が僕に
「お前は90%の確率で社会から脱落する」といったのは正解だった。
どのようにして彼がそれを見抜いたのか、とても知りたい気分だが、
それから20年以上たって、ようやく気がつくことができた。
僕はあまりにも自己中心的過ぎるのだ。

近所からはゴスペルの曲を練習する歌声がずっと聴こえていた。
午後6時、彼女と今晩以降の食事の材料を調達するために
近所のスーパーに買い物に行った。
強く物事を言えない僕に対して、
彼女はあまりにもストレートに核心を伝えてしまったことに
いささか済まない気持ちがあったようで、
物腰がいつにも増して急に柔らかくなっていた。

夕食に肉野菜定食を作って食べたあと、
二人で居間に横になってまた話し合った。
自分が本当に馬鹿者だということを知った後だったので、
とても正直に、言葉を選ぶことなく、心情を伝えられた気がした。
彼女もそんな僕を見て、少し喜んでいるように見えた。
せっかくの休日を話し合い(かれこれもう何百時間にも及ぶ)と、
堂々巡りの思考に費やしていることに彼女も疲れていることだろう。
けれども僕は今日確実に生まれ変わった。成長した。
どんな本を読んでも書いていない、どんな映画を観ても出てこない、
そんなストーリーが自分自身の人生で展開されている。
まだ僕には変えるべきことがたくさんあるに違いない。
そうやって人生は転がって行くべきなのだ。
母からの電話に丁寧に答える自分がいた。
彼女と一緒にいる意味が今日ひとつ加わった。
2007/05/10(木)
僕の特異な才能』
8時に目が覚めるが春眠暁を覚えずという通り、というよりも室内が寒く、
布団の中が暖かかったので、そのまま9時過ぎまで寝ていた。
彼女が起きたと同時に床を出たが、邪魔になるかと思い、
もう一度布団に入って「ロング・グッドバイ」の続きを読み始めた。
やっと物語の中に入り込めているような感覚を
10章を越えたあたりから感じ始めていた。
あたたかい布団の中で集中して朝の読書をしていたが、
彼女の出勤と同時にやはり猛烈な孤独感に襲われることになった。

もう両親のところに逃げ込むのはやめにしようと思っていた。
確かに困った時はお互い様、ではあるが、
さすがに43歳の息子の面倒をみるのはいくら何でも悲し過ぎるだろう。
たとえその種を蒔いた責任はあるにしても。
寒い中、起きていつものように
ホットカルピスとバナナという朝食を11時にとり、
このところ昨日を除く毎日出ている大便を済ませた後、
トイレ掃除をして、再び読書。

しかし心中はまったく穏やかではなく、
どうやって前職の社長と話をしようか、そのことばかり考えていた。
昨日まではまったくといっていいほど考えていなかった
(自分の中ではもう片付いたと思っていた)ことなので、
その方法がわからなかった。
メールはすでに社長の手によって使えなくなってしまっているし、
電話をかけて直接話すのも違うような気がした。
昨日彼女が言っていたように「ああそうですか。そうですね」で
済まされることも十分考えられた。
それが恐かったというのもあった。
ただやはり会って話をしないことには次の段階に行けない。
そうするのが正解なのだ。
自分自身にそう言い聞かせた。
それで思い立って、FMラジオを聞きながら、
webメールを書くことにした。

「このような形で会社を去るようなことをしたくはなかったのですが、
もうどうしようもないところまで追い込まれてしまい、
置き手紙が精一杯でした。自分のとった行為自体に関して、
いたたまれない気持ちでいっぱいです。
いろいろとご迷惑をおかけしたと思います。申し訳ありません。
数日が経過し、少しはまともに振る舞えるようになっています。
もし会っていただく気持ちと時間がおありでしたら、
会っていただけないでしょうか。もう話すこともないし、
顔も見たくないと思われるのはごもっともなことですが、
このような形で別れるのはとても悲しいです。お願いします。」

それから何十秒かおきに受信メールをチェックしたが、
社長からの返信はなかった。
仕方なくまた読書を再開した。物語は20章まで進んでいた。
僕とはまるで縁遠いハードボイルドな世界が小説では展開されていて、
その会話の端々に人生の悲哀や人物の生き様を感じ取ることができた。
しばらくして再度返信をチェックすると、
短いながらも優しく感情を抑えた返信が来ていた。
来週会ってくれると言う。ありがたい。正直、そう思った。

気分が浮かれたのと、これからの準備のため、
一昨日に自転車で行った大型本屋に向かった。
履歴書と職務経歴書を買いに行くためだ。
どうしてもそれを書かないことには
自分を客観視できないような気がしてならなかった。
しばらくそういったものを書いていなかったので、
書き方も忘れてしまったし、
どうやって今の自分の自己アピールをすればいいのかなんて
さっぱりわかりようもなかった。
ただ今のまま立ち止まっているのだけは
いけないことだけはわかっていた。
一昨日とほとんど同じ格好で自転車を走らせた。
惨めな生活者には黒の服装というイメージが昔から僕にはあったが、
実際自分がそういった状況になった時に黒い服装で、
眼鏡までしていたのには何だか笑えた。
僕の視力は1.5なのに。そして白樺の花粉症でもないのに。

履歴書売場には女性ばかり3人も品定めをしていた。
どうやらやはりそういうご時世らしい。
レジの人も驚くことだろう。これから3人も連続で履歴書を買うのだ。
格差社会なんて無縁だと思っていたが、ここから先、
正社員になったとしても給料は半分になることは明らかだった。
貰えるものが少ないと、買えるものも少なくなるわけで、
それは畢竟、僕の生き甲斐でもあったCDや映画に
接することの減少を意味している。
それに今僕が「貰える」と表現している時点で、
もうそういったことを嘆いている資格が
僕にはないことも感じ始めている。
昼間見たサイトでの書き込みには、
「契約社員で結婚なんてあり得ない」とあった。
それが現実なんだろう。そしてその現実感はまだ僕にはなかった。

そう言った状況になって初めてわかる、僕の特異な才能だ。
将来のこと、まだ起こっていないこと、起こるかもしれない可能性。
それらを僕はあまりにも楽観視しすぎていたようだ。
ある意味、馬鹿か天才にしかできない、と昨日彼女が言っていた。
その点で、僕はきっと馬鹿だ。明らかに天才ではない。
そういえば、サイトで実は狙っている会社のことを調べたのだった。
僕には大きな会社で、福利厚生が行き届き、朝は早くてもいいので
帰りも早い、それでいて何かを作り出している会社が向いていると
自分で判断していた。
この判断も合っているかどうかはわからない。
むしろ間違っている確率の方が高いような気もする。
おまけに募集している年齢制限は35歳まで。
ただそこの取締役支店長とは一緒に仕事をしたことがあり、
全く知らないわけではなかった。
あと気になったのはリクナビで検索した、リフォームの会社。
しかしそこは従業員が4名で、社長が元パチンコ屋経営者だった。
深い人間関係を求められることは必至だ。
そんなことを選り好みしている余裕は本当はないのかもしれない。
ただあと17年もそこで働くことを考えれば、必然なような気もする。
そして実は僕の選択肢には、前々職に再就職という選択肢もあった。
ただ正社員は困難だろうし、何せ社長がきっと首を縦にふりやしない。
でも頭を下げにいく覚悟はある。何しろ約20年も働いて来た会社だ。
契約社員には賞与がなく、その賃金も安く押さえられていることは
管理職だった自分には知っていて当然のことだった。
どうしてそんな立場を捨ててしまったのかは、
今となってはもうわからない。
ただその理由を問いつめられることもきっとあるだろうから、
自分ともう一度素直に向き合って、
その時の自分の気持ちにかえってみたいと思う。
そうした時が早く訪れないかと心待ちにしている。

もしかすると、と思い、また川沿いに自転車を走らせた。
風が強く寒さを感じたが、
雪解け水が豪快に音を立てて川を下っていく景色と、
遠くの山に沈んで行く夕陽、
それに、僕の前を無造作に過ぎて行くランナーや自転車。
人生の縮図を見ているような気がした。
多くの人が自分の前を通り過ぎて行く。
幾分感傷的すぎるが、「銀河鉄道の夜」のような感覚だった。
帰路で以前暮らしていたマンションの前を通ってみた。
もう10年以上も前なのに何一つ変わっていない風景がそこにあった。
それから友人が勤めている中古本屋にも顔を出してみた。
友人はいなかったが、違う友人から携帯にメールが来た。
「6月か7月に結婚します」とのことだった。
この友人は彼女とも友人なので、
彼女にショックを与えることは必至だった。
何しろ同じ歳で同じような境遇で会社を辞め、
かたや年下の若い彼氏をゲットして幸せな結婚生活、
一方僕の彼女は9歳も年上の無職の黒い格好をした自己中心的な男と同棲。
いつ結婚するかもわからない。不安定な人生。
こんなタイミングで、
それも僕達が当初予定していた6月に入籍するなんて。
何だか人生のバランス感覚に嫌気がさして来た。

こんな状況で絶対に当たるはずがないロト6を買わずに6時前に帰宅した。
すぐに暗くなり始めた。
PCに向かって昨日からの長い長い1日を書き連ねた。
不思議と文章を書いていると、時間の感覚がなくなる。お腹もすかない。
元々好きなのだ、文章を書くのが。
この生活自体が小説になれば、との思いから書き始めて来たのだけれど、
主語や言葉遣いがバラバラだし、状況説明がまるでできていないはずだ。
その上、若い頃描いていた小説家になろうという覚悟や決意も
もうどこかに消え失せていた。
そういった気持ちは永遠に戻ってこないような気もする。
でもそれではいけない。とにかく稼いで生きていかなければ。

彼女が帰宅し、半額のステーキを焼いて食べた。
一緒に食事をとっているにも関わらず、会話はほとんどなく、
唯一琴線に触れた会話は、
やはり共通の友人の結婚報告メールのことだった。
当然のように彼女の元にも届いていたメールは、
どうやら僕と同じ内容のようだった。
彼女は素直に「よかったんじゃない」と言った。
でもそれを僕は強がりと捉えてしまい、
「大丈夫?」などと気の利かない最低の言葉をかけてしまった。
「人は人だし。何が大丈夫なのかわかりません」
それからというもの彼女は一切会話を拒否し、
一人で床についてしまった。
確実に何かが僕の心を蝕んでいるに違いなかった。
沈黙は金なり、という格言通り、僕はこういう時だからこそ、
静かに自分の思いに忠実に、何も語ることなく、
やるべきことをやるだけなのだ。
2007/05/11(金)
本当はもう気取っている場合ではない。』
詩人だとか、アーティストだとか、
少しばかりの知識や経験などを振りかざしても何の意味も持たない。
僕は今、世の中から必要とされていない人間の仲間入りをしている。
それを証明するかのように、誰からも何も連絡はない。
確かに誰にもこの状況を説明していないのだから、
仕方がないことかもしれない。
ただ僕は思う。
あまりにもこれまで人間関係が希薄だったのではないかと。
それは僕の幼少期が少なからず影響していると自分では思っている。
幼稚園2つ、小学校3つ、中学校3つ、僕が転校した経歴だ。
さすがに小学校までは受け入れられた。
しかし中学校3つはさすがにきつかった。
心のどこかで、転校さえしてしまえば
人生をリセットできると思い込んでいたのだろう。
その気持ちは高校でも、大学でも3、4年という短い期間なら通用した。
そして最初の就職は8ヶ月。次の会社には約20年。それからは7ヶ月。
20年勤続した、というかできたということは、
やはり自分に合っていたとしか考えられない。
確実に給料は上がっていたし、それほど残業もなかった。
今考えると天国のような会社だ。しかし僕はそこを放棄した。
せっかく築いて来た人間関係も、いともあっさり捨て去った。
それほど遠くには行かない気がしたが、
結果的にかなり遠くに僕は旅立ってしまったわけだ。
それから僕はもがき苦しんで、今、また逃げ出した。
今回ばかりは次の行く先や彼女とのこれからの関係が
決まっていない分、不安しかない状況だ。
さすがにいい加減大人なので、
自分で何とかしなくてはいけないことくらいわかっている。
しかしもう5日間、結果的には何も動いていない。
唯一勇気を出したのも、社長に向けてメールを書いたことくらいだ。
あとは読書、外出。食事の支度、テレビ、以上。
この時間を楽しめと言う声も聞こえる。
でもどうやってこれを受け入れていいのか。
今週末から祖母の件で少しばかり世の中に貢献できそうだが、
それにしてもその後はまったくの暗闇だ。
挙げ句の果てには、こういった状況が続いてしまっているので、
徐々に活力も失われて行っているような気がしてならない。
僕は本当に次の就職活動ができるのか。
自分を売り込むことができるのか。
時間が経つにつれ、それは損なわれて行くような気がしてならない。
でも焦ってはいけないような気もする。そして要するに逡巡している。

昨日と同じように読書から始まった1日。すでに半分は読んだ。
身支度をして、久々に首だけ髭を剃った。
そこだけは伸びると厄介だから。
そしていきなりPCに向かった。
毎週欠かさず見ている海外の占いサイトが更新されていた。
「やらなければいけないことを優先せよ」そこにはこうあった。
おっしゃる通りだ。
一通り、昨日までのことを打ち込んだ後、
やはり何もすることがなくなった。
いや、することは山ほどある。やらなければいけないことも。
ただ今週は自分と向き合って、
自分がどうなってしまうのかを見届けたいと思った。
何も考えていないわけではもちろんない。
でも何を考えていいいのかも正直わからない。
自分が考えても実現しないことだって世の中にはたくさんある。
そんなことを言っている場合でもないのだが、
自分を見極めたい気持ちが優先し、
それ以上に経済的なことがここ数日頭をよぎり始め、
何も収入がない状態で物を消費したり、
お金を使うことに罪悪感すら感じている。
これがもしかすると最も恐れていた真実なのかもしれない。
そのことは自宅が寒かったことで気がつき、
灯油代を節約しなければ、から始まり、
風呂と洗い物は短く、湯温は低く、食費を削ってなど、
あらゆる消費活動に広がっていった。

昼食は昨晩の残りもののステーキとパン。それだけで十分だった。
外は春の陽気に包まれていたが、風がまだ冷たく、
終日外にいることは不可能だった。
そして僕がとった行動は、風を遮り、
日光を効率よく浴びることができる、自動車内での読書だった。
2時過ぎから6時まで、4時間もの間、一心不乱に読書をした。
車内は汗ばむほど暑く、その点では僕の考えは間違っていなかった。
何しろ自分の判断や行動にまったく自信がないので、
何が間違っていて何が正しいかの見極めがついていない状態なのだ。

こういった状態をただやり過ごすだけで、いいのかという疑問はある。
でも仕方がないことだってこの世にはたくさんあるはずだ。
もちろんそれで済まされないこともあるけれども。
「ロング・グッドバイ」をずっと読んでいるせいで、
気持ちは少し大きくなっている。
フィリップ・マーロウよろしく、何かを達観しているような。
しかしながら僕には死を恐れない勇気もないし、
すべてを理解したような経験もない。
人生というものを
この歳になって初めて歩いている気さえしているルーキー。
小説の中の出来事を現実にまで投影していまうようなことまでは
しないと思うけれども、何かどこかで現実を受け入れたくない自分も
存在していることは確かだ。

読書をしていた場所、つまり自動車を駐車させていた場所は、
終日日光が差し込むことを考慮し、近所の大型スーパーの屋上だった。
そこに着いた時から、何十台かの車が停まっていたが、
僕と同じ頃についたガス会社の自動車に乗ったスタッフは、
おもむろに運転席の背もたれを倒し、昼寝を始めた。
それから何度か気になって見てみたが、実に3時間近くそこに車を停め、
携帯電話を眺めたりしながら、時間を浪費していた。
僕にはただただ過ぎ行く時間をやり過ごしているような風にしか
見えなかったけれども、彼には彼なりの事情があって、
今そこにいるわけだし、きちんとした勤務状態を
続けていたからこその行動だったのかもしれない。
それに彼はれっきとしたサラリーマンで、僕は無職だ。
そこに決定的なものを感じてしまうのは、
僕がかなり疲弊しているからだろうか。
次々と車が屋上に滑り込んで来た。
車内で食事を摂る会社員や、携帯を手にする男。
どうやらここは人目につかない、
開放感を満喫できる場所として機能しているようだった。
店舗のスタッフが、僕が滞在していた4時間の間、1度掃除に来た。
初老の男性で、手には箒を持っていた。
そんな彼だってやるべきことをやっている。

僕は何も自己憐憫をしているつもりはない。
ただこうやって比較している自分に正直驚いている。
今までこのような比較などしかことがなかった。
自分には確実に自分の人生があったし、
そのことに対して何の疑いもなかった。
それがどこでどうボタンを掛け違えたのか、
今こうしてスーパーの屋上に平日たたずんでいる。
小説の主人公ならまだしも、
現実生活においてそれがどういうことを意味しているかを
僕は身をもって体験しているわけだ。
そしてそこからもう逃げることはできない。

帰宅後、HDDに録画してあった映画を観た。
「靴に恋して」。スペインの映画だ。
すでに2年前に録画してあったにも関わらず、初めて観る映画だった。
複雑に人生が交差している構成で、
最終的に主人公だった女性はとてもキュートだった。
登場人物は皆どこかに暗い影を持ち、
人生は重くのしかかっているように見えた。
けれどもラストでは、美しいリスボンの街をバックに、
前向きなエンディングを迎えていた。
誰の人生にもハッピーエンドが訪れますように!

午後9時近くになって、ようやく空腹感がやって来た。
先程まで車を屋上に停めていたスーパーに行って、
夕飯の買い出しをした。思い切って多くの食材を買い込んでみた。
でも僕が選んだのは「50%引き」のシールがはられたものばかり。
こうやって惨めになっていくのだろうか。

刺身、生姜メカブ、特売の焼きそば、バナナ。
肉野菜炒めもどきを自分で作ってみて、
彼女には刺身を食べてもらった。
帰宅した彼女に相変わらず笑顔はなく、
特段刺激的な会話もなく、夜は過ぎて行った。
僕は胃袋を小さくすべく、あまり満腹にはしなかった。
それがいけなかったのだろう。夜遅くには空腹感が襲って来て、
仕方がないので、お菓子を一切れ口にした。
くだらないデートを提案するくだらないテレビ番組を見て、
HDDに録画してあったバラエティを2本も2人で一緒に見た。
土曜日の明日は僕にはやるべきことがあった。
祖母の家の引っ越しの手伝いだ。
彼女は還暦を迎えた父への買い物に朝早くから出かけるらしかった。
そう告げた彼女に、僕はもう一緒にいたくないんだな、
という空気を感じ取った。
2007/05/12(土)
祖母の家の片付け』
彼女はいつもより早起きし、急いで支度をして、あっさりと外出した。
よっぽどこの部屋の重苦しい空気から脱出したかったらしい。
確かにこの1ヶ月は、
2人でいてもあまり楽しくはない状態が続いている。
何ら建設的な会話がないのだから、一緒にいても楽しいはずがない。
しかしこうした状況を作り出したのは、紛れもなく僕自身で、
おまけにその僕ですら、どうしていいのかわからない。
いや、本当はわかっている。
僕は一刻も早く次の仕事を見つけ、
彼女の信用を勝ち取らなければならないのだ。
彼女は何度もこの言葉を口にする。「私といても重荷になるだけ」
まったくもって彼女は正しい。
僕はどこに向かって生きているのかわからない。

外は5月だというのに相変わらずの寒さだった。
それに今日は祖母の家に駐車場がないせいで、
自転車での移動が課せられている。
十分に厚着をして、午前10時半に家を出発した。
半分期待をこめて祖母の家までの途中にある実家に立ち寄ってみた。
するとまだ母や妹や甥は出発する前だった。
それは僕が車に同乗できることを意味していた。
母は気を利かせて「2時までに祖母の家に来て欲しい」と
言ったにもかかわらず、
僕は11時前にはもう家を出ていたのだから間に合うはずだ。
朝起きてからどうも胃の調子が悪かった。
歯磨きをしている最中には嘔吐感もあった。
実家でトイレに行きたかったが我慢した。
直前に妹が大便をしていて「臭いからね」と念を押されていたからだ。
出発する時間が近づいていたこともその要因だった。
僕の腹部は常に違和感とゴロゴロといった異音に包まれていた。
そんな中、4人を乗せた車は祖母の家に向かい、10分後到着した。

母の母である祖母は昨年の夏、独り住まいの自宅で倒れ、
頭から血を流しているのを近所の人に発見された。
救急車で運ばれ、精密検査を受けた結果、
頭には異状がなかったけれども、
倒れた拍子で足の付け根を骨折したようで、
本人の意識ははっきりしていた。
僕は母からその一報を聞き、すぐに病院にかけつけたが、
大事には至っていなかったので安心した。
運び込まれた病院に、そのまま入院することになった。
そこは一昨年まで母がガンで入院していた病院だった。
母の妹が仙台から見舞いに来たり、
僕も頃合いを見ては彼女と一緒に見舞いに行った。
祖母は昔に比べればはるかに縁遠い存在になっていた。
昔は僕が初孫だったこともあり、とてもかわいがってくれていた。
僕が大学生の頃に足を骨折した際には、
祖母の家に寝泊まりしていたこともあった。
僕の自宅がエレベーターなしのマンションの5階だったからだ。
それから骨折が癒えたあとも、
学校を抜け出して突然昼食をご馳走になりに行ったりした。
祖母はいつでも僕の味方だった。
そんな祖母が今、入院先を転々とした結果、
いわゆる老人ホームに入ることになったのだ。
自宅の階段の昇降ができず、一人で生活することが困難になったからだ。
祖母は一人で住むことを好んだし、母や叔母との関係は冷えきっていた。

今日は祖母の家からホームに持ちこむものを選び、
運送屋さんに運んでもらう日だった。
スタッフを1名しか頼んでいないので、
箪笥を運んだりするのに男手が必要だということで僕が呼ばれた。
僕は当然それを引き受けたし、むしろ肉体を酷使したかった。
ところが2時までには相当の時間があり、
僕は今年小学校に入学した甥の面倒をみるため、
甥と一緒に外出することになった。
甥と2人きりで外出するのはこれが初めてではない。
以前は2人で映画も観に行ったし、ドライブもした。
ところが僕が前職で激務だったせいで、なかなか会えずにいた。
今は会おうと思えばいつでも会える状態に僕はいて、
そのことは彼に喜んでいた。

そういえば先週の土曜日も同じようなことがあった。
先週も祖母の家の片付けをしていた。
僕は6歳の甥と近所の公園や古本屋に散歩にでかけ、
1時間程度一緒の時間を過ごした。
甥にはそれがとてつもなく嬉しかったらしく、今日も、となったのだ。
同じ公園にもう一度、とも考えたのだが、
それではあまりにも芸がないと思い直し、
少し遠くの大きな公園で開催されている
フリーマーケットに行くことにした。
外は冷たい風が吹いていた。
僕と甥は2人で並んで川沿いの道を歩いた。
甥は僕のポーズを真似するように、
両方のポケットに手を入れて、風を切って歩いていた。
2人並んで歩くその光景は僕には微笑ましかったし、おそらくは
誰の目から見ても正真正銘の親子にしか見られないことだろう。
僕は43歳で甥は6歳。僕が37歳の時にできた子供だということになる。
それは世間的にはむしろ遅過ぎる子供ということなのだろうけれども、
現実では僕には一人の子供もいない。

僕は子供の気持ちを理解できる自負があった。
何故かはわからないが、子供の目線や考え方と同じレベルまで
自分を持って行くことができるのだ。
どんな子供でもすぐ僕と仲良くなるし、
そのせいで妹からは「保父さんになれば?」と言われたこともあった。
子供が大好きだった。でも子供は持てなかった。
前妻がそれを拒否したからだ。
「○○ちゃんのお母さん」と呼ばれる存在になることに、
前妻は激しく抵抗していた。
そのことも一因で、僕は4年前に離婚した。
前妻とは時々だが会っている。
彼女の出演している芝居を僕が撮影に行くときにだけ。
彼女は女優で、僕はテレビのディレクターだった。
慰謝料のつもりで僕は舞台撮影の仕事を離婚後も引き受けていた。
独身となった彼女は自由奔放に活躍の場を広げ、
今では業界内で確固たる地位を築いていた。

そんな前妻の住むマンションが見える公園に僕と甥は到着した。
僕の胸中に様々な思いが交差した。
子供がいない自分、別れた前妻、そして今自分が置かれている状況。
今の僕の彼女はおそらくもう子供は諦めているのだろう。
僕が約束を果たせなかったから。
2人の話し合いで僕と彼女は今年の6月に結婚することになっていた。
そして来年の4月に子供を産む予定だった。
今思えば、そんな夢のような話し合いが
現実に進行するはずもないことくらいわかる。
ただそれを約束した頃は、
まったくそれがおかしいとは思っていなかった。
ところが僕は昨年の9月に約20年働いたテレビ局を退社し、
友人の経営するデザイン会社に誘われるがままに入社した。
そして5日前の5月7日、
たったひとつの殴り書きの置き手紙を残して僕はその会社を去った。
4月8日、2人は普通の日曜日を過ごしていた。
その生活が僕の「会社を辞めようと思っている」という発言から、
崩壊し、今では僕は「裏切り者」のレッテルを貼られている。
すでに34歳の彼女にとって、
今回の約束は人生最大にして最後の賭けだった。
高齢出産、ぼくの年齢や体力、両親の介護、
それらを総合して彼女は現実的に判断していた。
一方、僕はおそらくは何も考えていなかった。
ただ単に辞めたかった。
その気持ちはきっと僕以外の誰にも理解できないと思う。
前職のデザイン会社は僕のいるべき場所ではなかった。
その気持ちだけではもちろんないが、
僕はそこから結果的に逃げ出していたことになる。
そしてその後片付けさえ、まだしていないただの馬鹿者が僕なのだ。

今ならよくわかる。僕は本来辞めるべきではなかった。
前々職も前職も。
ただしかし死にものぐるいで働く決意が僕にはなかった。
その覚悟の曖昧さが彼女の人生を狂わせてしまったことに
僕はとてもいたたまれなさを感じている。
自分の弱さだけならまだしも、
自分以外の人生を犠牲にしてしまったことは、
正直どう償っていいのか、皆目見当がつかない。

甥とのフリーマーケットは、続く。
途中、僕は何度も甥に尋ねた。「疲れた?」「寒くない?」
その問いに対して、いつも甥は「大丈夫」と答えた。
半分は強がりだったのだろう。
僕ですらその日の風は冷たく感じられたし、
かなり長い距離を僕らは歩いて来た。
僕の心の中には、甥が何かを欲しがったら
素直にそれを買ってあげようという気持ちがあった。
けれども甥はまるでそれを拒否するかのように、
売場と離れた方をひたすら歩くのだった。
きっと幼心に遠慮しているのだ、と僕は思った。
いくつかの店の前を通り過ぎ、
子供用の対戦型カードが多く陳列されている店の前に来たとき、
甥の顔がパッと輝いた。
そこには本当に多くのカードが並んでいるというより、
箱の中に積み重なっていた。
そしてたくさんの甥と同じような年代の子供達が群がり、
一心不乱に自分の持っていないカードの品定めをしていた。
しかし何故か気弱な甥はその中に
すすんで飛び込んでくようなことは決してしなかった。
おとなしく品定めをしている子供達が去るのを待ち続け、
周囲をうろうろ彷徨うばかり。
僕は甥の精神的弱さを見たような気がした。
同時に自分の姿もそこに投影していた。
「見せてって言って一緒にみせてもらいなよ」と僕は甥に言った。
「いい」と甥は言った。
「ダメだって」
僕は半ば強引に甥を引っ張り込んで、一緒にカードを物色した。
態度で示さないとわからないのだと、
その時は本能的に判断したのだろう。
甥には父親がいなかったし、父性をどこかで僕が示す役割があった。
それがこの時とばかり、僕は一緒に甥の目指すカードを探し始めた。
「エレメンタル・ヒーローを探すんだよ」
元気に叫ぶ甥に僕は少し嬉しくなり、真剣にそのカードを探した。
カードは20枚1組で100円のと、11枚1組で100円のものがあった。
どうしてその差があるのかは僕にはわからなかったけれども、
甥の探しているのは20枚1組の方に属していて、
甥はすでに5セットを手に持っていた。
店の女性がこう誘いかけて来た。「5個買えば1個おまけしますよ」
僕はその言葉に乗って、甥にこう告げた。
「あと1個選びなよ。それをおまけしてくれるって」
「わかった」甥は再び目の前のカードの山に手を入れ始めた。
けれどもなかなかその残りの1組が見つからなかった。
探しても探してもそれはあらわれない。
甥の表情がどんどん曇って来た。「ないなぁ」
そこで僕はこう言った。「じゃあ5個でいいよな」
「でも1個おまけなんだよね?」と甥。
「だって探したけど、欲しいのなかったんでしょ?」と僕。
「うーん」甥はさすがに困っていた。
その感覚は僕に幼い頃の記憶を蘇らせていた。
何かに制限があって、それを我慢しなければいけない瞬間の感覚。
自分で払えるお金がないので、
どうすればいいのかわからなくなってしまう感覚。
甥の表情からそれが手に取るようにわかり、心が痛くなった。
すると甥はこう言ったのだ。「じゃあ2個でいいよ」
僕は驚いた。おそらく甥はおまけがつかなくなることの躊躇いから、
節約へと気持ちを入れ替えたのだ。
それはおそらく僕の妹の教育なのだろう。
そしてその言葉は僕に鋭く突き刺さった。
無職である僕には
甥に節約することまで強制してしまっているような気がしたのだ。
涙が流れて来た。本当に悲しかった。自分で自分を追い込んだのに。
今週1週間で遣ったお金は、履歴書代の150円と、
昨晩の夕食の材料の910円だけだった。
これまでの自分では考えられないほどの少額しか遣っていなかった。
どこかで節約しなければ、という気持ちがあったのだろう。
昨晩も半額のシールを探し求めている自分がいたくらいだったから。
そういったものが甥に伝播しているのか。妹がそう説明していたのか。
とにかく甥は2個でいいと言い張った。
僕は涙を拭き、次に出てくるのを必死にこらえていた。
妹がいつも1個にしなさいと言い聞かせていたのかもしれなかった。
でも僕はこう言った。「じゃあ3個買ってあげるよ」
甥は嬉しそうだった。
そして間髪入れずに、「じゃあこれとこれ」と3つ選んだ。
僕は300円を店の女性に支払い、
僕らは60枚のカードと共に歩を進めた。

祖母の家からすでに地下鉄の駅にして2つの駅を歩いてきた。
フリーマーケットの会場の終わりが見えて来た。
さすがに疲れたと思い、甥に尋ねたが、
甥は疲れていないけど座りたいと呟いた。
僕はやっぱり疲れているんじゃないか、強がりを言って、と思った。
近くに小さな公園を見つけたので、
甥とその中にあるベンチに腰掛けた。
すると甥は真っ先に白いレジ袋に入っていた
60枚のカードを開け始めた。
表面しか見えないそのカードの残り19枚ずつに何が入っているのか。
甥はそれを一刻も早く確認したかったのだ。
僕は何だか知らないけれど、また泣きそうになっていた。
今度はさすがにこらえたけれども。

ここしばらくの様々なダメージで涙腺が緩んでいるわけではない。
僕以外の純真無垢な甥という人間を前に、
自分の薄汚れた人生を顧みていたのだろうと思う。
何も考えずに生きてこられた幼い頃。
ただ僕の場合それが実に43年にも渡って繰り広げられて来た。
多くのものが一瞬のうちに去来して行った。
幼い頃の自分、学生時代の自分、
社会人になってからの自分、そして今の自分。
カードを一心不乱にながめる甥を横に、
僕は人生の何かを少しだけ理解した。
本当は僕にも甥のような子供が必要だったのだ。
それを僕は真剣に考えることなく、ただ今が楽しければいい、
その気持ちだけで生きて来た。そのツケが回って来たのだ。
もっと将来的な展望を考えなくてはいけなかった時期に、
僕は音楽や映画や文学のことを優先して考え、
常に一緒にいる女性を中心に生きて来た。
その女性との関係性こそが僕の人生と言っても過言ではないくらい。
その点では僕はとても素敵な男だったのだろうと自分でも思う。
でもそんなのは本当の優しさではない。
そのことにもっと早く気付くべきだった。

カードの中には特別なものはなかったようだった。
甥は少し残念そうな表情をしていたが、
40枚だかしかない英雄のカードのうちの半分程度を
今日の3枚の合算で集めたことになるらしく、
そのことで少しは満足していた。
そして僕らは祖母の家に戻ろうとした。
胃は相変わらず変な音を立てていた。完全な消化不良だった。

フリーマーケット会場の半分まで戻ってきたときに、
僕の携帯が鳴った。妹からだった。
「昼食を食べに行こうと思うんだけど、いまどこ?」
「公園のフリーマーケット。もう駅まで来ちゃった」
「じゃ車で迎えに行く」
「文学館で待ってる」
僕と甥は寒さをしのぐため、文学館の中で妹の到着を待っていた。
かなり寒かった。インド人らしい家族3人が
マフラーをしながらロビーでお菓子を食べていた。
しばらくして僕は外で待っていようと思い、
「行くぞ」と甥に告げた。
すると甥は「寒いから中で待ってようよ」と答えた。
やはり甥は寒かったのだ。
それを口に出せば家に戻らなければいけないと思い、
その言葉をずっと心の中にしまいこんでいた。
僕はまた何故か泣きそうになっていた。
そうやって子供から得られるものがある。
妹はかけがえのないものを手に入れたんだ。
そのために多くのものを犠牲にして。
それでもなお逆境にみんな立ち向かって真摯に生きている。
自分だけが苦しいんじゃない。
みんな苦しいのを顔にも出さずに生きているんだ。
迎えに来た妹の車に同乗していた母からの携帯での到着の連絡で、
僕と甥は外に出た。

昼食を食べる食欲は僕にはなかった。感慨に耽っていたからではない。
本当に胃腸の調子が悪かった。
自分の体調管理くらい自分でしなければいけない。
そのくらいわかっていた。でもさすがに今日はおかしかった。
母と妹と甥の3人が祖母の家の近所のパスタ屋で
1時頃に昼食をとっている間、
僕は後片付け最中の祖母の家のソファーで横になって、
さっきまで僕の身に起こっていた出来事を振り返り、かみしめていた。
それからトイレで大便をすると、途端に空腹感に襲われた。
3人が戻ってくるころには、
もう運送屋さんが来る時間近くになっていた。
昼食を諦めた僕は、ほどなく来た初老のドライバーを手伝うべく、
箪笥や布団などを手際よく運び出し、積み込み終わった後は、
車で5分ほどの老人ホームに向かった。
そしてまた運び出しを手伝い、今度は室温の高い部屋の中の
主役である介護用ベッドの組み立てに着手した。
空腹感はピークを過ぎていた。

すべてが終わったのは午後4時。
それからまた祖母の家に戻り、今度は灯油タンクから
ポリタンクへの灯油の積み替えを妹と共同作業で行ない、
油まみれになりながらも午後5時半にそれらを終え、
ポリタンクを積んだ妹の車に揺られながら、実家に戻った。
途中で自転車に乗り換えて自宅に戻った。
妹らは車でタンクを運んでくれた。僕の方が少しだけ早く着いた。
物置にタンクを入れ、3人は手を振って帰って行った。暖かい家庭に。

僕は一人で4階の自宅に戻った。彼女はまだ戻って来ていなかった。
古くからの友人から「弟が出した本を贈呈します」と
写真集が送られて来ていた。それはすぐに目にする気分ではなかった。
僕はまた同じ格好で外に出て、
ポリタンクから灯油を移す赤いポンプを買いに、
実家の奥の方にあるホームセンターに向かって再び自転車を漕いだ。
本当はそんなものは欲しくなんてなかった。
おそらく近所のスーパーでも売っていた。
ただ妹の一言、「ホームセンターの方が100キンより安いよ」
それだけが僕を動かしていた。
少しでも安い方に。引っ越し作業はしたが体力はまだ余っている。
時間もたっぷりある。
けれども何より一番の理由は、もう一人で家にいたくなかった。
加えて彼女との2人の時間は苦痛以外の何ものでもなかった。

僕はうす暗くなった5月の寒い夕暮れに自転車を走らせた。
途中で公園に寄って、ベンチに座って時間をやり過ごした。
時間を確認しようと携帯を手にした瞬間、
メールの着信音が同時になった。彼女からの携帯メールだった。
「これから帰ります」
彼女が朝出かけてからすでに8時間が経過していた。
きっとまた一人で悩み苦しんでいたに違いない。
「僕ももうすぐ帰ります」と僕は返信した。
「了解です」とすぐに返信が来た。
それから僕はポンプを探し、ほどなく見つけ、98円で購入し、
かばんに入れて自宅に戻った。
ゆっくりと、ゆっくりと。

自宅にはすでに彼女が戻っていた。そして夕食を作り始めていた。
僕が昨日買っておいたホッケ。半額のものだ。
食事最中、案外会話が弾んだのには驚いた。
彼女がそんなに話すとは思わなかった。
僕はどうにも他人に会話のペースを影響される嫌いがあり、
自分からそのペースを作り出すようなタイプではなかった。

夕食後、僕の提案でお汁粉を作ってもらい、2人で食べた。
かなり甘かった。
それを食べ終えた後、彼女の口から怒濤の言葉が溢れ出した。
「私は6月で今の職場を辞め、実家に帰る」
「あなたのとってきた行為にはもううんざり」
「私はそれほどお人好しではない」
「いつも言葉だけ」「態度で示していない」
「これからどうするということを一切聞いていない」
「信用を取り戻したいのならとにかく行動で示してほしい」
すべてが正論だった。僕は下を向いて頷くことしかできなかった。
そして子供の話に話題が移ったとき、
今日甥とのことで起こったこと、
感じたことを話そうと思った瞬間、僕は号泣した。
さすがにこらえられなかった。
職を失い、彼女を失い、そして将来まで失った。
何を生き甲斐にこれから生きていけばいいのか、わからなかった。
2人で多くのことを語り合った。
もうこれはここ最近では恒例の行事のようになっていた。
でも今回は最後通告だった。
彼女は今日、街に出て、多くのことに整理をつけてきたらしかった。
堰を切ったように話し出したその言葉には、
今までにはない重みが感じられた。
反論の余地がなかった。僕はすべてを失うべくして失ったのだ。
そしてそのことに今の今までまるで気がつかずにいた。
会話の途中で「天然」という言葉が何度も登場した。
この言葉は今夜が最初だった。
そう、僕はまるで将来を予想できない、
そうなってみないと真剣に考えられない天然ものだ。

深夜1時。彼女が歯ブラシを差し出したことで、会話は終了した。
2人でベッドに入ってからもまだ話は続いたが、
2時に彼女は向こうを向いて寝息を立て始めた。
僕は結局3時まで眠れなかった。
いつまでも会話がリフレインしていた。
彼女の最後の言葉はこんなものだった。
「結婚、離婚、不倫、そして同棲。フルコースを堪能したわ」
最後のは僕とのことを意味していた。
2007/05/13(日)
不幸な自分を演出しているのだろうか。』
昨日は遅くまで起きていたにもかかわらず、朝は8時に目が覚めた。
そしてこれから僕が「やらなければいけないこと」を想像した。
それからその後起きるであろう、最悪の状態を想像して、身震いした。
もし今頭に描いている再就職のプランが
どれもことごとくダメだったとしたら。
恐ろしくて寝てもいられないかった。自殺する自分をも想像した。
起きて居間のソファーでまた考えたが、恐くて恐くて仕方がなかった。
みんなこのような経験を経て、平気な顔をして生きているのか、
と考えると不思議でならなかった。
僕が弱すぎるのか。それはわからない。
ただ強くないことだけは明らかだった。

シャワーに入った後、何日かぶりに髭をすべて剃った。
僕が態度で示した初めての行動とでもいうように。
あとから起きて来た彼女と、友人から送られて来た写真集を眺めた。
そしておもむろにPCに向かい、僕は日記を書き始めた。
彼女は昼食に焼きそばを作ってくれた。
僕は小説を書いていることを説明し、少しだけ会話が成立した。

それから僕は何時間、こうしてキーボードを叩いているのだろう。
思考をすべて叩き付けるように。
書いている途中で競馬中継を何分間か見た。
コイウタが勝ち、先週に続き200万馬券の波乱だった。
もう競馬なんてできる身分ではなかった。外には雨が降っていた。
今日は叔母が仙台からやってくる日だったが、
それは見過ごすことにした。
これ以上人に惨めな姿をみせたくない。
昨日も祖母の義理の妹に髭面の顔を見られたばかりだ。

僕は不幸な自分を演出しているのだろうか。
こうやって文にしていることもその一環か。
わからない。ただ他にするべきことを見つけられていないだけ。
また2人だけの静かな沈黙の時が流れた。
何も考えていないわけではないが、
何かを考えても無駄なような気もした。
行動こそが今求められていることは百も承知だった。
そしてあまりにも深く考え過ぎることも、
実はいけないことだということも承知していた。
ただ黙って時が過ぎるのを待っているのだけは、性格上許せなかった。
明日からは頭をよぎったことを実際に行動に移そうと心に決めていた。

僕が先日、気分転換で上京した際に購入して来た、
DEAN&DELUCAのミントのことがきっかけで
彼女とネットサーフィンを楽しんだ。
何だか彼女は開き直っているように見えた。
昨日、あれだけ思いのたけをぶちまけたからかもしれない。
僕も少し開き直るくらいの精神的余裕ができればいいのだけれども。
やはり誰からもメールは来ていなかった。
ほとんど誰しもが僕の今の状況をわかってはいない。
わかっていたとしても連絡などしてはこないだろう。
僕はこれまであまりにドライな人間関係しかしてこなかったから。
今そのことを痛感している。

夕食の買い出しに彼女と雨の中出かけた。
今日外に出るのは初めてだった。
梅ジャコチャーハンを作ってもらって、美味しく食べた。
1人でなくて良かった。彼女がいてくれて良かった。
2人でテレビを見た。
じっと苦しい時が過ぎ去っていくことを待っているかのようだった。
居間にあるデジタルの時計は、
今この瞬間がもう2度とやってこないことを示していた。
本当はやり過ごしてなんかいられないのだろう。
僕はもっともっと多くの人に会ったり、話をしたり、
自分自身を見つめ直さなければいけない。
しかしながら何より今は行動だ。
そうしないと僕は仕事のほかに、
応援してくれている彼女までも失うことになる。

早めの就寝。2人でベッドに入った。
ここのところ、僕も彼女も深夜になっても眠くならない。
その代わり朝はものすごく眠い。
もしかすると睡眠障害なのかもしれないが、今晩もまた同様だ。
食後は眠く、寝ようとすると眠くない。
いつものように会話が始まった。これも最近の恒例になっている。
まだ会話があるだけ、僕は救われているのだけれど。
そして僕は決意を言葉に出した。
「明日から頑張るから。何をしたか報告するね」
「ありがとう。無理しないでね」
彼女は突然抱きついてきた。その勢いにものすごく驚いた。
彼女に信じられているという実感がこみあげてきた。
本当に今こそがんばらなければいけないと思った。
今がんばらないで、いつ頑張るのだ?
今こそ強くなるように神様が与えた試練。
ここを乗り越えてこそ初めて真の幸福を手に入れることができるはずだ。
彼女の強い抱擁が引き金になって、僕の欲求に火がついてしまった。
激しいセックスのあと、泥のように眠る2人がいた。
2007/05/14(月)
昨晩彼女と約束したことを』
実行にうつさなければならない。
その気持ちだけが僕を占拠していた。
しかし特段誰と約束をしているわけでもなく、
何をするのかも決まっていない。
それを決めるのはすべて自分で、誰も決めてはくれないのだけれども、
それでもまだ僕は甘えのせいか、まだどうにかなると信じていた。
僕以上に不幸な境遇の人は世の中に山ほどいる。
借金だったり、犯罪だったり、事故だったり。
それに比べて僕はまだ恵まれている。
約20年働いて来たので、それなりの蓄えが僕にはあった。
それに頼っているわけではないが、
どこかでその存在が僕を救っていた。
まだ窮地には追い込まれていない。まだ考える余裕がある。
どこでもいいから日銭が欲しい、
といった危機的状況にはなっていなかった。
僕に課せられているのは、
どちらかというと彼女の信頼を勝ち取ること。
結果的には双方叶えることにはなるのだけれど、
モチベーションとしては後者の方が圧倒的にリアルだった。
それは僕がまだ甘いということを証明している。

午前はゆっくりと時間が過ぎた。
友人に写真集のお礼の手紙を書いた。
今の状況も少しだけ終わりの方に書いておいた。
久しぶりにペンで自分の肉筆を見たような気がした。
そして久しぶりに誰かに向かって
客観的に文章を書いたような気もした。
するといきなりの空腹感に襲われ、
昨日の昼食の残りの焼きそばを作って食べた。

今週、僕がやるべきこと。
それは消去法的に自分の選択肢をあたっていくこと。
その優先順位の一番手として、
まずは工場に行ってみることにした。
そこは僕の住む市の隣の市にあり、
前職で外注に出していた会社だった。
それなりの歴史と資本金があり、従業員も多かった。
そこは今回の大きなポイントだった。もう少ない人数の会社で
公私の区別がないのにはうんざりしていたからだ。
一番気になっていたのは、通勤手段だった。
そこは交通手段が何もなく、
自動車でしか通うことができない場所だった。
これまで車通勤をしたことがなかったので、
いったいどういった道路事情で何分かかるのか、
それをまずは確かめたかった。
それを人は余裕と呼ぶかもしれない。
そんなことより当たってくだけろじゃないかと思うかもしれない。
そういった意味でやはり僕はまだ
切羽詰まった感覚になっていないのだろう。
それがいつかはやってくることを知っていながら。
僕はその会社の支店長を知っていたが、
まだ何も連絡はしていなかった。
本来は会う約束を取り付け、事情を話し、
サイトで見つけた求人情報を切り出すといった段取りが正式なものだ。
だが僕は求人情報にあった年齢制限を大きく超えてしまっている。
そこを支店長権限で何とかしてもらいたいと思っている自分、
それ以上に、本当に僕はこの会社で仕事をしたいのか
と思ってしまっている自分、
すべてに何だか納得できていない部分があり、
それが僕を逡巡させている要因だった。

車に乗り込むと案外車内は暑かった。
午後1時半に出発し、何も迷うことなく会社に到着した。
約25分。妹も同じ方向で車通勤しているが、13分と言っていた。
案外近い。途中でコンビニは2軒。
すでに入社した後の昼食のことを考えていた。
工場は3階建てな巨大な建造物で、事務所は階段で上る3階にあった。
駐車場では作業服のスタッフが車両のライン引きをしていた。
そのような作業はお手の物なのだろう。
ただあまり質のいいスタッフのような気はしなかった。
従業員用の駐車場にはところどころ水たまりがあり、
舗装がいびつになっているようだった。
勇気を出して支店長を呼び出してもらおうかとも考えたが、
それはあまりに尚早だ。
確かに今日は久しぶりにきちんとした身なりをしているし、
髭もちゃんと剃っている。
それにしてもいきなり手ぶらでやって来て、
雇ってくださいはないだろう。
今までは外注先と発注先という間柄だったのだ。
1階と2階は工場で、
専門的な職人でないと動かせないような特殊な機械が並んでいた。
きっと冬は寒く厳しい環境なのだろうということは想像できた。
工場の周辺にはまだ雪も残っていて、自然に溢れている。
かっこうの鳴き声まで聞こえた。
車に乗り込み、帰ることにした。
途中で友人の勤務している仕出し弁当屋の車とすれ違った。
何をしにきたのか自分でもよくわからなかったが、行動だけはした。

帰路で4月から転職した妹の勤務する学校に立ち寄ってみた。
そこは一種のコロニーを山奥に形成しているようだった。
そしてそのまま帰宅した。
何もしていないのに何だか疲労感だけがあった。
階上で父の歩く音がしたので、顔を出してみることにした。
前日まで父は名所に花見に行っており、その間に来客がドアノブに
山菜をたっぷり届けているのを僕が連絡していた。
それで今朝父とは電話で話していた。
父の家に入ると、父はその山菜を大量に煮ている最中だった。
僕にも少しくれるという。
そう言いながら「こごみ」の筋をとる作業を父はひたすらしていた。
何故だか知らないけれど、僕はそういった単純作業を突然したくなり、
手伝うと言いながら、結局その作業に没頭してしまっていた。
父は途中からテレビを見ながら、好きな酒を飲み始めた。
僕は今晩訪問予定の病院の話を切り出した。
その病院は開業したばかりで、僕は前職で一緒に立ち上げに関わった。
挨拶がてら、何か僕にできることはないか聞いてみようと思ったのだ。
実は父は一昨年まで病院の事務長をしていたので、いろいろ質問した。
「病院の事務って何をするの?資格はいるの?」などなど。
父はそれに丁寧に答えてくれた。
そして「お前みたい(な説明のつかない業種)のは難しいなぁ」
とつぶやいた。
サッカーや大相撲など当たり障りのない話題がつきると、
徐々に会話がなくなった。
こういう環境になるまで、僕は父とそれほど交流をしていなかった。
父は酒を飲まないとほとんど話をせず、
酒が入ると話にならないほど酩酊する男だった。
僕は筋をとる作業を淡々とこなした。100本以上あったかもしれない。
水の中に何度も入れた手は冷えきって、
ずっと立っているせいで腰が痛くなった。
その作業を最後までやり遂げないと、
自分がダメになってしまうような気がした。
父の家に行ったのが4時すぎで、
テレビではもう大相撲が終盤を迎えていた。
途中、父から連絡を受けた妹が山菜を採りに来たが、
とても疲れているようだった。
6時過ぎ、山菜の天ぷらを後で取りにくる約束を交わし、
いったん自宅に戻った。
そしてじっくり今晩の予定を考えた。

病院で僕の居場所は見つけられるだろうか。
まったくの異業種で僕はやっていけるのだろうか。
ただその病院は前職で嫌と言うほど関わっていたので、
スタッフはほとんどわかっている。
まったく知らない場所でない分、やりやすいのは確実だった。
ただいきなり雇ってくださいというのは唐突だ。
何しろまだ僕が前職を辞めたことすら知らないはずだ。
まずは退職の挨拶をと考え、それを機に話をすすめてみようと思った。

手頃な手土産をスーパーで買い、7時の閉院にあわせて車を走らせた。
院長がすべての作業を終えるまで、
結局1時間半以上待つことになった。
その間、頭の中では文字通りの筋書きが浮かんでは消えて行った。
「お疲れのところ、突然お邪魔して申し訳ありません。
少しだけお時間よろしいでしょうか?
実は急なお話なのですが、前職を退職することになりましたので、
ご挨拶におうかがいいたしました。つまらないものですが、
これをみなさんで。退職の要因は業務形態の見直しです。
うまく機能しなかったようです。
僕はこれまで20年、実はテレビのディレクターをしていましたが、
昨年の10月に友人に必要だからと誘われ入社しました。
本当にこちらとは楽しくお仕事させていただきましたし、
貴重な経験になりました。ありがとうございました。
これからのことは何も決まっていません。
こんなお願いは滅相もないのですが、
何かこちらでお手伝いできることはありませんか?
病院勤務の経験はありませんが、
一般的な患者からの視点でお力になれると思います」
このようなストーリー。
前半部分はうまく言えた。
しかし後半は必要以上に言葉がでてきてしまい、
うまく論理的に話せなかった。
それ以上に、「こちらで何かお手伝いできることがあれば」
「お声をかけてください」という口調にすりかわっていた。
質問をするつもりだったのに、お願いに変わっていたのだ。
これでは相手も「そうですね」で終わってしまうだろう。
でもさすがに何のアポもなしでこのような話をされ、
院長ともう一人のスタッフは驚いた様子で、
初めの数分はお互い立ったままで会話が進んでいたくらいだった。
僕はこことの仕事では全力を尽くしたつもりだったし、
僕がいなければこのプロジェクトは
うまくいかなかったこともわかっている。
しかしその評価は賞与なしという冷たいものだった。
自分で「プロジェクトマネージャーとしては失格」と
口に出してしまったことが
このようなことになろうとは思っていなかった。
それは相手が判断することであって、
自分では胸にしまっておくことだったのだ。
それを僕は社長に毎月要求されていたレポートにも記していたし、
直接話してもいた。
僕はもっと自信を持って働いても良かった。
やることはやっていたのだから。

病院を後にした僕には、多くの後悔が残った。
ハンドルを握る手に力はなかった。気持ちもうつろだった。
空腹だったからもしれない。
外の風景にはまるでリアリティがなかった。
これで僕の選択肢が一つ減ってしまった。
すると助手席の携帯電話が鳴った。
出てみると先程の病院の院長からだった。
「プライベートのメールアドレスを教えてください」
ありがたい言葉だった。気にかけてくれているのだ。
タイピングができるか、ネット環境の整備ができるか、
そのことを少し彼は気にかけていた。
でもそれは一過性のものでしかなく、
あとは僕の提案能力にかかっている。

お腹だけは満たそうと、駅前のスーパーで
以前によく食べていた弁当を半額で買って食べた。
9時半に食べたその252円の夕食はとても懐かしい味がした。
3年前、前妻との離婚後、一人で暮らしていた頃の主食だったのだ。
ほどなく彼女が帰宅し、
帰宅前に立ち寄った父の家からもらってきた
タランボの天ぷらをおいしそうに食べていた。
そしていつものようにテレビを静かに見た。
日本一のタクシー会社の再生の話を放送していた。
世の中はどこも厳しい。格差社会は僕の所までやってきた。

恒例となった早めの就寝。
生活を少しずつ朝型にシフトしなければならない。
明朝は燃やせるゴミを8時半まで出さなければならないし、
8時から12時の間には、
彼女が通信販売で購入した化粧品が届くことになっている。
ベッドに入ったあと、今日のことをすべて彼女に報告した。
そうすることが信用を勝ち取って行くと思ったからだ。
ひとつ、まだ前職の社長との会談が終わる前に
退職の挨拶をしてよかったのか、
という点で納得がいかないようだったが、
僕はもう完全に退職したつもりだったし、
もう絶対に戻る気はなかったし、
おそらく社長にもその気はないだろうし、
何せ普通の会社ではなかったので、何ら退職規定もなかったため、
自分が今どういう身分のなのかは判別はできなかったが、
辞めたと思わない限り、次には進めないし、
すでにハローワークにも行ったのだし、
僕が今しているすべての行為がすべて無意味になる、
といったような屁理屈ともとれる言い訳で納得してもらった。
もちろん自分でもそう考えることも可能だということはわかっていた。
でも自己正当化しないと、本当に次に進めなかった。
進めないことがとても恐かった。
やさしい彼女に報いるためにも僕は強く生きなければならない。
彼女がいなければきっともっと堕落してしまっていただろう。
ありがとう。何度も彼女にささやいて眠った。
2007/05/15(火)
今この感覚を深く胸に』
今この感覚を深く胸に刻み込んで決して忘れないように。